【ずっと好きだから/ねぐせ。】歌詞の意味を考察、解釈する。

「ずっと好きだから」歌詞に込められたメッセージとは?

ずっと好きだから」は、ねぐせ。の曲の中でも特に青春や恋愛をテーマにした楽曲として捉えられています。
この曲は、若者特有の純粋な感情と、それに伴う複雑な心情が交錯する瞬間を描いています。
サビのフレーズ「ずっと好きだからやれてきた」という言葉には、何かを愛し続けることで成し遂げられるという意味が込められていると考えられます。

この表現は、一見すると単純な恋愛の告白のように聞こえますが、実際には、何かを「好き」であることが人を支え、困難な状況を乗り越えていく原動力になるというメッセージが含まれています。
この「好き」という感情は、恋愛に限定されず、スポーツや夢に向かう情熱など、さまざまな場面に当てはまる普遍的なものです。
特に「ずっと好きだから」という繰り返しのフレーズは、その感情の強さと永続性を強調しています。

また、「そっと隙間からこぼれ涙」という表現は、努力や我慢の中で生まれる感情の一瞬を象徴しています。
この涙は、喜びや感謝、あるいは達成感といったポジティブな感情の結果とも取れますが、同時に切なさや未練をも含んでいるようです。
このように、「ずっと好きだから」というフレーズには、表面的な恋愛の告白以上に、深い感情の起伏や葛藤が込められていると言えるでしょう。

全体的に、この曲の歌詞は、青春期特有の揺れ動く感情とその先にある成長を描いており、若者の心に共感を与える内容となっています。
ただし、その感情を表現する手法や言葉選びには、独特な曖昧さが見られ、それがリスナーの解釈に多様性をもたらしています。

歌詞に対する批判の背景と炎上の理由

ずっと好きだから」は、甲子園のテーマソングに選ばれたことから大きな注目を浴びましたが、その歌詞や表現が原因で批判を受け、炎上する事態となりました。
まず、その炎上の背景にはいくつかの要因があります。

1つ目の批判の理由は、歌詞の日本語表現の不自然さです。
特に「ずっと好きだからやれてきた」や「あの人の優しさの大好きを一緒にありがとう」といったフレーズは、多くのリスナーから「意味が分からない」「日本語として成立していない」と指摘されました。
この曖昧で不明確な表現が、歌詞としての完成度に疑問を投げかけ、多くの人々が戸惑いを感じた要因です。

2つ目は、「甲子園のテーマソングとして不適切ではないか」という意見です。
甲子園は青春と努力の象徴であり、勝負の厳しさやチームの絆を描いた楽曲がこれまで多く選ばれてきました。
しかし、「ずっと好きだから」の歌詞はラブソング的な要素が強く、野球の戦いと結びつくイメージが薄いことが指摘されました。
ずっと好きだから」というフレーズ自体が恋愛を連想させるため、甲子園という舞台にふさわしくないとの声が広まりました。

さらに、誤字や不適切な言葉の選び方も炎上の火種となりました。
特に「世間の外野なんて聞こえない」という歌詞が物議を醸しました。
野球において「外野」は重要なポジションであり、その言葉を「騒がしい人々」や「ノイズ」の意味で使うことが、野球ファンにとって不適切だと感じられました。
この点に関しては、野球を知らないまま書かれた歌詞ではないかと批判され、さらに話題を呼びました。

これらの要因が組み合わさり、「ずっと好きだから」は一部で強い反発を受けることとなり、ネット上で炎上しました。
特に、SNSやインターネット上では感情的な批判が加速し、楽曲そのものだけでなくバンド「ねぐせ。」に対する評価にも影響を与えました。
このように、歌詞の内容とテーマソングとしての役割に対する期待のズレが炎上の大きな要因であったと考えられます。

言葉の選び方に見る、歌詞の曖昧さと誤解を招く表現

ずっと好きだから」の歌詞に対する批判の一因として、曖昧な表現や誤解を招きやすい言葉選びが挙げられます。
特に「ずっと好きだからやれてきた」や「あの人の優しさの大好きを一緒にありがとう」といったフレーズは、その意味が一読しただけでは明確に理解しづらいものです。
この曖昧さは、歌詞を感覚的に捉えた場合には共感を得るかもしれませんが、言葉として分析するとその曖昧さが浮き彫りになります。

まず、「ずっと好きだからやれてきた」という表現について。
やれてきた」という言葉は、一般的には「何とか乗り越えてきた」というニュアンスで使われますが、ここでは「やってこれた」や「続けてこれた」とは異なり、どこか軽い印象を与えます。
さらに、具体的に何を「やれてきた」のかが明示されていないため、リスナーに誤解を招く余地を残しています。

次に、「あの人の優しさの大好きを一緒にありがとう」というフレーズです。
この文は文法的に不自然で、「大好きを一緒にありがとう」という表現が特に曖昧です。
大好き」という感情を感謝する意味に取れるかもしれませんが、その言い回しが直接的でないため、リスナーの中には「誰に対して何を伝えたいのか」が分かりづらいと感じる人が多いようです。
このような表現は、詩的であることを狙った可能性もありますが、結果的にメッセージ性が不明瞭になっています。

これらの曖昧な表現は、意図的に多様な解釈を誘うように作られた可能性もあります。
しかし、それが逆にリスナーに混乱を与え、結果的にネガティブな評価を招く原因となっています。
特に、甲子園のテーマソングとして広く聴かれる曲においては、こうした曖昧さが誤解を招きやすく、歌詞の理解に困難を伴うことが批判の一因となりました。

この曖昧な言葉選びによって、楽曲全体のメッセージが弱まってしまっているという点は、楽曲自体の完成度にも影響を与えていると言えるでしょう。

韻を踏むための無理な日本語表現とは?

ずっと好きだから」の歌詞に対する批判の中で特に目立つのが、韻を踏むことを優先した結果、不自然な日本語表現が目立つという点です。
音楽において韻を踏むことは、歌詞にリズム感や一体感を持たせるための重要な技法です。
しかし、この楽曲では韻を重視するあまり、意味が曖昧になり、日本語としての自然な流れが損なわれてしまっている箇所が散見されます。

特に指摘されるのが、「ずっと好きだからやれてきた」「そっと隙間からこぼれ涙」というフレーズです。
これらの表現は韻を踏むことを意識して書かれたと考えられますが、その結果、文脈や意味に違和感を覚える人が多くなりました。
例えば、「隙間からこぼれる涙」という表現は、詩的である反面、「隙間」という単語が涙と直接的に結びつきにくいため、感情表現としてやや無理があるように感じられます。
この表現は、韻を踏むために「隙間」という言葉を使ったことが原因で、歌詞全体の意味がぼやけてしまっています。

また、「やれてきた」という表現も、通常の日本語としてはあまり使われない言い回しです。
この場合、「やってきた」や「続けてきた」といった自然な表現が考えられますが、韻を優先するために「やれてきた」という不自然な表現が選ばれたようです。
このような表現は、リズムを重視するあまり、言葉の意味や文法が犠牲になってしまった例として挙げられます。

さらに、「世間の外野なんて聞こえない」という歌詞も、韻を踏むことが優先された結果、意味が曖昧になってしまった箇所の一つです。
野球における「外野」とは守備位置を指しますが、ここでは「外野」という言葉を「世間の雑音」として比喩的に使っています。
しかし、野球のテーマソングであるにもかかわらず、この比喩は適切ではなく、野球のルールや役割を無視した不適切な使い方だと多くのファンから批判されています。

これらの例から分かるように、韻を踏むために無理な日本語表現が使われていることが、この歌詞の大きな欠点として指摘されている点です。
韻を踏むこと自体は重要なテクニックですが、それが歌詞の意味を損なう場合には、リスナーにとって逆効果になり得ることを示しています。

甲子園ソングとしての適性は?過去のテーマ曲と比較する

ずっと好きだから」は、2024年夏の甲子園テーマソングとして選ばれましたが、その適性については賛否両論が巻き起こりました。
甲子園ソングは、青春、努力、友情、そして勝利や敗北といった感情をテーマにしたものが多く、過去の楽曲もこれらの要素を巧みに表現してきました。
しかし、「ずっと好きだから」は、そのテーマや表現方法において、従来の甲子園ソングとは異なる点が多いのです。

まず、過去の甲子園ソングといえば、2019年のOfficial髭男dismの「宿命」が思い出されます。
この曲は、「努力」と「挑戦」という普遍的なテーマを歌詞とメロディーで表現し、球児たちの奮闘を支える楽曲として非常に高く評価されました。
同じく、「」の「夏疾風」や、ゆずの「栄光の架橋」も、熱く燃える青春と、それに向かって突き進む姿を見事に描いています。
これらの楽曲は、甲子園という「青春の舞台」との親和性が高く、聴くだけで熱闘甲子園の情景が目に浮かぶような曲ばかりです。

それに対して、「ずっと好きだから」は、ラブソングの要素が強調されており、野球そのもののテーマと結びつきにくい点が指摘されています。
特に「ずっと好きだから」というフレーズが、恋愛の文脈で解釈されがちで、甲子園という舞台に対して感情移入がしづらいという声が多く上がっています。
また、甲子園ソングに期待される「熱さ」や「力強さ」とは異なり、全体的にポップで軽い印象が強いことも、過去のテーマ曲と比較したときに違和感を持たれる要因です。

さらに、テーマソングとしては盛り上がりに欠けるという批判も見られます。
これまでの甲子園ソングは、クライマックスやサビで一気に感情を高ぶらせるような構成が多く、球場の雰囲気を盛り上げる役割を果たしてきました。
しかし、「ずっと好きだから」は、全体的に淡々としたトーンで進むため、感情的な高まりが少なく、試合の緊張感や興奮を支えるには力不足だと感じられることもあります。

結論として、「ずっと好きだから」は甲子園ソングとしての適性に疑問が投げかけられている一方で、その新しいアプローチに肯定的な意見も存在します。
TikTok世代を意識した楽曲として、若者層には共感される可能性があり、伝統的な甲子園ソングの枠を超えた挑戦であるとも言えます。
しかし、従来の甲子園ソングに求められる要素とは大きく異なるため、ファンの間では議論が続くことは避けられないでしょう。