【打上花火/DAOKO×米津玄師】歌詞の意味を考察、解釈する。

DAOKO(ダオコ)と米津玄師の「打上花火」は、本当に素晴らしい曲ですね。
この楽曲はアニメ版と映画、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の主題歌としても話題となりました。
この曲は、夏の切ない美しい思い出を非常に感情豊かに表現していると思います。

“君”との特別な瞬間

一瞬で強烈に輝き、たちまち消えてしまう花火。
そして、通常はめったに見ることができない打ち上げ花火。
これらは特別な夏の日の瞬間を象徴しています。


特別な夏の日に、一緒に打ち上げ花火を鑑賞した”君”との一瞬の特別な瞬間、そしてその後の疎遠感が、この曲の核心をなしています。

あの時こうしていれば

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿

寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く

夏の日、砂浜で”君”と過ごしたあの瞬間が、いつも私の心によみがえります。
夕日が沈み、風もなく、ただ波が穏やかに打ち寄せる光景が、懐かしい哀愁を呼び起こします。
そして、歌詞にあるように”波が、足元をよぎり何かを攫う”という言葉が、あの日の海辺で何か大切なものを失ったような気がさせます。
しかし、その何かの正体はつかめず、ただ夕暮れの中で迷子のように立ち尽くすしかない瞬間が、この曲で描かれています。


パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音

“曖昧な心を 解かして繋いだ”という歌詞は、自分のはっきりしない感情を比喩的に糸になぞらえ、花火が開いた瞬間にゆるく解け出し、お互いの気持ち(糸)が結びついた瞬間を表現しています。
サビでは、花火が開く瞬間に2人の心が結びつく様子が歌われています。
花火を一緒に楽しむ2人ですが、花火は一瞬で終わってしまいます。
この特別な瞬間を通じて深まった絆があるものの、その絆がいつまで続くかはわからず、焦りを感じます。
花火のおかげで距離が縮まったものの、時間が足りずにうまくいかなかった一夏の後悔が今も残り、消化しきれていません。
後悔がずっと続き、心はあの夏のままです。
しかし、あの時、笑顔の”君”に何かアクションを起こそうとしたものの、何ができるか分からずに立ち往生しました。
二人の時間はじりじりと過ぎ去り、最終列車が迫り、二人の時間の終わりが近づいているような予感が漂っています。


何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように

はっと息を飲めば 消えちゃいそうな光が
きっとまだ 胸に住んでいた
手を伸ばせば触れた あったかい未来は
ひそかに二人を見ていた

今では”君”はもう私の前にいません。
後悔の念を抱きながら、彼の名前を呼びます。
あの日、何もできなかった自分を悔やみながらです。
絆も花火のように一瞬で消え去りました。
残されたのは、ほんの一瞬の二人の共有した時間だけです。
しかし、未練は私の心にまだ残っています。
もしかしたら、もう少しすれば”君”と今も一緒に幸せな瞬間を過ごせたのではないかと思います。
もう少し何かが足りていたのかもしれない、そんな気持ちがあります。


パッと花火が
夜に咲いた
夜に咲いて
静かに消えた
離れないで
もう少しだけ
もう少しだけ

夜の打ち上げ花火は、二人の絆を象徴していました。
一時的に輝き、そして消えてしまった花火は、失われた絆を思い起こさせます。
ただし、花火が消えても、二人の関係は終わっていないことを知っています。
あの瞬間に”君”を離さなかったらという後悔が何度も私を襲います。


パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

再び、あの夏の日の出来事が私の思い出に浮かびます。
打ち上げ花火を二人の絆にたとえて。
花火を鑑賞しながら過ごした時間は、二人の結びつきを強化する素晴らしい機会でした。
しかし、何もできずにその機会を逃してしまい、今や私たちは離れ離れです。
今となっては、あの時こうしていればと後悔する以外に何もありませんでした。

まとめ

今回、DAOKO×米津玄師の「打上花火」についての考察を共有させていただきました。
「君」との不器用な夏の思い出が、曖昧で儚い瞬間と、一瞬で輝いて消える打ち上げ花火という歌詞に巧みに表現されていると感じます。
この曲は、メロディーも歌詞の雰囲気やテーマに見事に合致しており、非常に素晴らしい楽曲だと思います。