こんにちは。
今日は、注目のミュージシャン、TOMOOさんの楽曲「Super Ball」の歌詞解析に挑戦します。
この曲は、2024年初頭の「関ジャム完全燃SHOW」で、いしわたり淳治さんから2023年のトップ10曲の中で第1位に選ばれ、多くの人々の関心を集めました!
詩的な情景描写を駆使し、深遠な意味を秘めた歌詞が特徴です。
TOMOOさんが伝えたいことの全てを解き明かせたわけではありませんが、私なりの解釈を通して、その歌詞の奥深さに迫りたいと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください!
J-POPの未来を担う、注目のアーティスト
2022年に音楽シーンに登場したシンガーソングライター、TOMOOさんは、インディーズ時代にリリースされた楽曲「Ginger」で注目を集め、YouTubeでの再生回数は300万を突破しています。
彼女の作品は、文学的な比喩や対比を駆使した美しい歌詞と、感情豊かなアルトボイスで知られています。
2024年の初めに放送された「関ジャム完全燃SHOW」のプロが選ぶ2023年のベスト10曲で、「Grapefruit Moon」が2位、「Super Ball」が1位に輝き、その人気は更に加速しています。
J-POPの未来を担う、注目のアーティストとして期待されています!
重圧さえも味方に変えてしまう
それでは、「Super Ball」という楽曲の歌詞解析に進みましょう。
この曲では、タイトルにもなっているスーパーボールを中心に据えています。
スーパーボールを別の要素と比較しつつ、また、スーパーボールがどのような意味を持っているのかを考えながら、歌詞の深層を掘り下げていきましょう!
大通りからそれて細道 この先ゆけばただの公園
昨日のことも 誰かの声も 今はオフ
Aメロ部分では、現実を避ける願望が比喩的に表現されています。
「大通りを離れ細道へ」というフレーズは、社会の主流から逸脱し、個人の独自の道を歩むことを象徴しているかのように思われます。
「大通り」が一般社会を、「細道」が自分だけの世界を表していると解釈すれば、普通の生活から逸脱し、自己の内面に没入する現実逃避のシーンが想像できます。
「公園」という言葉も、通常の大人の生活とは距離がある場所として描かれ、子どもの頃に戻りたいという現実からの逃避が感じられます。
さらに、「昨日のことも 誰かの声も 今はオフ」という歌詞は、過去の辛い出来事や他人の厳しい言葉から距離を置きたいという願望を直接的に伝えています。
このセクションを通じて、日常生活の苦悩から離れ、精神的にリセットしたいという欲求が描かれていると感じ取れます。
曲全体に渡り、現実からの逃避のテーマが反映されていると感じます。
「Super Ball」は、TOMOOさんの楽曲の中で恐らく初めて、楽器の音色ではなく人々のざわめきで幕を開けるものです。
TOMOOさんが歌を始めると、そのざわめきが突如として消え去る瞬間があります。
これは、世間の厳しい言葉や騒音から「オフ」に切り替わることを象徴しているかもしれません。
言い換えれば、イントロダクションは日常の喧騒の中にいる状態を表し、TOMOOさんの歌声とともにその騒音が消え去る瞬間は、現実世界から離れる瞬間を描いているのです。
これは少し解釈を深めた見方かもしれませんが、そのように考えることもできるでしょう。
おさまりのいい 綺麗なビルじゃ
まるで馴染まないちゃちなボールを
ポケットの中一個隠して歩いてる
真四角になれる素質なんて 誰も持っていないのに
はみ出して転がりだす迷路 君も同じならこの歌を
曲が進むと、タイトルにもある「スーパーボール」が重要な役割を担い始めます。
サビの直前に至るまで、一貫して「真四角になる資質」についての言及があります。
このコンテキストにおける「真四角」とは、他の誰にも真似できない独自の個性や、際立たせる特徴など、変わらない本質を意味していると解釈されます。
AI技術の進展により、特別な技能がない人々、すなわち「真四角になれない人々」が必要とされなくなっているという声もあります。
しかし、実際には全ての人が他者と異なる独特の特性を持っているわけではないでしょうか?
TOMOOさんは、そもそも「真四角になれる」人が存在するのか、という疑問を投げかけています。
もしかすると、私たちはみんな、何も特別でない、ただの丸い存在、すなわちスーパーボールのようなものかもしれません。
この曲にはそんなメッセージが込められているのです。
この楽曲の中で、「収まりがいい美しいビルには全く溶け込めない安っぽいボールをポケットにこっそりと忍ばせて」という部分が、専門家からも高い評価を受けている鮮明な対比を描いています。
「収まりがいい美しいビル」という言葉から連想されるのは、大規模で四角い形をした都市のビル群です。
これに対し、「全く溶け込めない安っぽいボール」と表現されるのは、小さく丸い普通のスーパーボールのこと。
通常、「ビル」のように固有の特徴を持ち、堂々とした大きな存在であることが理想視されがちですが、実際には「スーパーボール」のように取るに足らない、角のない存在である私たち自身を指しているかもしれません。
この二つの対照的な要素の対比は、極めて身近な事象を用いることで、革新的かつ才能あふれる構造を作り上げています。
「関ジャム」の番組内でも、いしわたり淳治さんによってこの対比部分が特に絶賛されていたことが報告されています。
俯いたままで踊って 胸から飛び出す虹色
それでもときめくわけを「好き」をだまらせないで
サビの部分では、「尖った特性を気にする必要はない」という思いが込められています。
「虹色」という言葉は、スーパーボールにも関連づけられている歌詞だと捉えられます。
これまで、スーパーボールは小さく、尖った側面がなく劣っているかのように描かれてきましたが、実際には、その一つ一つが色とりどりで、虹のような個性を持っています。
青や緑、黄色、赤といった様々な色のスーパーボールが存在します。
たとえ同じスーパーボールであっても、それぞれに独自の特性があるのです。
これまで、尖った特性を追い求めて奮闘する様子が描かれてきましたが、実際には、私たち一人一人には自然と異なる特性が備わっています。
無理に特性を際立たせようとしなくても、既に自分だけのユニークな価値があることを伝えています。
現代社会では人と異なる個性が重視されがちですが、この曲では、ありのままの自己で良いというメッセージが心に響きます。
そして、このメッセージがスーパーボールという比喩を通じて間接的に示されている点が、メッセージの深みを増しています。
個性を無理に見せようとする必要はなく、「好き」を隠さずに生きていくことで、前向きな気持ちになれるというメッセージが、私たちに希望を与えてくれます!
賑わいのない遊具の陰に 砂利を探れば誰かのBB
”いさかいの種ならどこにでも”?
I know I know
誰かが今日こぼした溜息は 氷のつぶてになって降る
傘も持たず 今 君がいるなら 踊るように並んで歩こう
2番は、周囲からの圧力に対する反抗をテーマに展開されます。
整然としたビルに囲まれた世界を抜け出し、公園に辿り着いたシーンから物語が始まります。
しかし、その場所にさえも「誰かのBB弾」が飛んでくることがあります。
BB弾は、子供たちが使う戦闘ごっこに用いる玩具です。
たとえ厳しい現実から逃れて公園に避難しても、子供の頃から存在する些細な争いからは逃れられないことが示唆されています。
まるで「争いの種はどこにでもある」というメッセージです。
この世界では、批判や否定は避けられず、たとえ顕著な個性を持っていたとしても、批判から逃れることはできません。
ここでは、スーパーボールと同様に子供のおもちゃであるBB弾を引き合いに出し、状況を描写することが巧みです。
「今日誰かが漏らした溜息は、氷のつぶてとなって降り注ぐ」という表現は、その批判や否定を象徴しています。
溜息をつく人がそれを意図的に行ったのか偶然なのかは定かではありませんが、溜息一つでも時には心に深い傷を負わせることがあります。
氷のつぶてのように激しく傷つけられることもあるのです。
しかし、それに一々心を痛めていれば、自分の好きなことさえも手放すことになりかねません。
そんな争いの種がどこにでもあると知りながらも、現実の厳しさに傷つくことは避けられない、と2番の前半では現代社会の辛さをうまく比喩を通じて描いています。
怖がりのまま踊ってあなたに見せたい虹色
”槍出せ 角出せ”はいらない 丸いままつらぬいて
2番サビでは、さらに明確なメッセージが提示されています。
前のサビで触れられた通り、スーパーボールのように角がなく、尖っていない個性でも、本質的には虹のような多彩な個性が備わっています。
この部分では、「槍も角も要らない、そのままの丸い姿で突き進め」と述べられています。
しばしば、社会では「槍」や「角」のように尖った特徴を持つことが求められますが、TOMOOさんは、そういった尖った特性は必要なく、自身の本来の姿のままで立ち向かっていくべきだと主張しています。
尖っていることがすべてというわけではなく、その人自身の内にある強さで困難を乗り越えることができるというのです。
このような視点は、まるで新鮮な発見のように感じられます。
特に、自分には顕著な個性がないと感じている人々にとって、深く心に響くでしょう。
個性を無理に作り出さなくても良いという、この歌詞を通じた直接的かつ強力なメッセージは、聴く者を驚かせるほどの表現力を持っています。
君の強さはとんがってるその先じゃないとこにだって宿ってる
君のかっこよさは鉄壁のシェイプじゃないとこだって活きてる
君の強さはとんがってるその先じゃないとこにだって宿ってる
君のかっこよさは鉄壁のシェイプじゃないとこだって生きてる
揺れもしない強さなんていらない いらない
突然テンポが上がるサビの前のセクション。
この部分では、先に触れた2番サビの内容をより詳しく掘り下げている様子が見られます。
次に、TOMOOさんが「Super Ball」について語ったインタビューの抜粋をご紹介しましょう。
さっきの“丸”の話に通ずるんですけど、一般的に個性が尖っていることって強さの象徴だったりするじゃないですか。尖って角ができれば、それが三角形でも四角形でも安定感がよくなるし、それによって扱いやすくなったりもする。でも私は、丸いことこそが元来の強さなんじゃないかと思うんですよ。強いと言っても、人に誇示するものではなく、いわゆる剣とか盾とは違う在り方での強さが丸にはある。見た目的な柔らかさはあるけど、凛としたものを内には持っていて、そこからクリエイトしたものをちゃんと放っていけるのが丸なんじゃないかなって。
丸いボールが凶器になることはあまりないけど、何かとぶつかり、接することによってポーンと跳んでいったりする。そういう可能性、豊かさがあることが丸の持つ元来の強さ。
この曲の歌詞には、TOMOOさんの深い思い入れが込められていることが伺えます。
Dメロを聴く際には、TOMOOさん自身の言葉と比較してみるのも面白いでしょう。
特に私が注目した点は、「いきてる」という言葉の漢字表記の違いです。
最初は「活きてる」と書かれているのに対し、二度目は「生きてる」と表記されています。
完璧な形ではない部分でも、あなたの強みが「活かされている」とし、また、強さは完璧でない部分にも宿って「生きている」と、二つの異なる側面を漢字の使い分けで示していると考えられます。
聞くだけでは気づかないかもしれませんが、歌詞カードを見ることで、このように細やかなメッセージが込められていることがわかります!
俯いたままで踊って そこからはねだすスーパーボール
背負わずに纏って重力も 「好き」は手放さないで
俯いたままで踊って胸から飛び出す虹色
”槍出せ角出せ”はいらない 丸いままつらぬいて
最終章である大サビへと進むと、似通っているようで微妙に異なる歌詞が、より深い感情を呼び起こします。
特に目立つのは、スーパーボールの「反発力」に触れた歌詞が新たに加わっていることです。
これまでの議論の中で、スーパーボールのカラフルな特性が強調されてきましたが、その反発力も重要な特徴の一つです。
これまで対照的に扱われてきた鉄壁には、このような反発力は一切ありません。
鉄壁とは異なり、様々な可能性へと飛び跳ねることができるスーパーボールは、確固たるものを持つことの素晴らしさと同じくらい価値があると言えます。
個性についても、目立つ個性がないとしても、それは未来に何にでも変わる可能性があるとも見ることができます。
スーパーボールの特性を踏まえ、自己肯定のメッセージを次々に提示することで、TOMOOさんの創造力が感じられます。
「重力をただ纏うだけで」というフレーズも、スーパーボールを例えに用いている可能性があります。
ここで言う「重力」は、私たちにとっての圧力やストレスを指します。
スーパーボールも、無重力ではその反発力を発揮できないように、私たちも圧力やストレスを負うのではなく纏うことで、それを跳躍力へと変換できるのです。
批判や期待を纏って飛び跳ねる力というメッセージが込められています。
身に纏うものが増えれば増えるほど、より高く跳ね上がれるようになる、「そのまま突き進んで」いける力が育っていきます。
重圧さえも味方に変えてしまうスーパーボールのように、ラストにはさらなる強力なメッセージが隠されていたのです!
新鮮な角度からのメッセージ
この機会に、TOMOOさんの「Super Ball」という楽曲の歌詞について深く掘り下げてみました。
比喩や対比などの技巧を駆使した歌詞は、新鮮な角度からのメッセージを含んでおり、何度聞いても心に深く響く作品です。
この分析では言及しませんでしたが、コード進行にも独自の特徴があるなど、音楽的にも注目すべき点が多い楽曲です。
是非、繰り返し聴いて、この曲の魅力を存分に味わってみてください!