沖縄の素晴らしい楽曲として、多くの人がTHE BOOMの『島唄』を挙げるでしょう。
この感動的で懐かしい曲には、沖縄の過去の苦難が背景にあります。
歌詞は沖縄の傷ついた歴史と向き合い、そこから生まれる想いを表現しています。
戦争で犠牲になった沖縄の人々の物語
1986年にデビューし、2014年に解散したバンド・THE BOOMの代表曲である『島唄』は、多くの人々の心を捉えてきました。
1992年2月には、沖縄限定でリリースされたウチナーグチ・ヴァージョンが大河ドラマで使われ、注目を集めました。
その後、6月には『オリジナル・ヴァージョン』が全国リリースされ、150万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなりました。
この曲が生まれた背景には、1991年の冬にひめゆり平和祈念資料館で出会った女性の存在がありました。
彼女は第二次世界大戦末期の沖縄地上戦でひめゆり学徒隊に所属し、奇跡的に生き残った一人でした。
彼女の実話に触れた宮沢和史は感動し、彼女に聴いてもらうために『島唄』を制作しましたが、自身が沖縄出身でないことから、沖縄音楽を演奏することにためらいがありました。
しかし、沖縄の音楽家である喜納昌吉からの後押しもあり、リリースに踏み切りました。
この曲は、戦争で犠牲になった沖縄の人々の物語を歌ったものです。
次に、その内容や歌詞の意味について詳しく解説します。
沖縄の人々の心に寄り添い、愛される名曲
でいごの花が咲き
風を呼び嵐が来たでいごが咲き乱れ
風を呼び嵐が来た
くり返す悲しみは
島渡る波のよう
“でいごの花”とは、春から夏にかけて美しい真っ赤な花・デイゴのことで、沖縄の県花に指定されています。
歌詞に登場する「風を呼び嵐が来た」という表現は、どのような状況を指しているのでしょうか?
実際、デイゴが見事に咲く年は台風が多いという言い伝えがありますが、この歌詞で歌われているのは、1945年の戦争が嵐のように無辜の人々を巻き込んでいった状況です。
デイゴが咲き始めた時期に米軍による沖縄上陸作戦が開始され、武器を持たない民間人が次々と殺されました。
そしてデイゴが満開の初夏を迎えても、殺戮は続きました。
本土から見捨てられた沖縄では、悲しみが波のように押し寄せ、沖縄全体に広がっていったのです。
ウージの森で
あなたと出会い
ウージの下で
千代にさよなら
「ウージの森」はサトウキビ畑を指し、そこで出会った子どもたちが愛を育んでいく様子が描かれます。
「ウージの下」とは、サトウキビ畑の下にある自然洞窟であるガマを指します。
ガマは防空壕としての役割も果たしましたが、集団自決の場ともなりました。
そのため、「千代」という言葉が用いられ、命を断つことで永遠の別れを表現しています。
この部分は、サトウキビ畑で出会った幼なじみの男女がガマで互いを殺し合ったエピソードに基づいています。
デイゴやサトウキビ畑というのどかな風景と、無残な戦争の対比が、一層心を打たれます。
また、『島唄』は基本的に琉球音階を用いていますが、この部分では日本の音階が使われています。
宮沢和史は、当時の日本軍が沖縄県民を苦しめたことから、亡くなった人々の無念さを思い、琉球音階ではなく日本の音階を選んだと語っています。
このような配慮が、沖縄の人々の心に寄り添い、愛される名曲となったのでしょう。
戦争が沖縄県民の心に、深い傷を残した
でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは
うたかたの波の花
9月、”でいごの花”が散った時、沖縄にもたらされた戦闘は降伏調印式をもってようやく終わりを告げました。
「さざ波がゆれるだけ」という言葉からは、激しい戦争の惨劇とは異なり、静かな風景が浮かび上がります。
そして、生き残った人々の呆然とした感情も表現されているように感じます。
後半に登場する「うたかた」とは、水面に浮かぶ泡を指します。
昔の穏やかな日常にあった「ささやかな幸せ」は、海の波間で生まれては消える泡のように儚く失われてしまったのです。
ウージの森で
歌った友よ
ウージの下で
八千代の別れ
“ウージの森”で共に歌い遊んだ大切な友人たち。
愛する人だけでなく、友人たちともガマで永遠に別れることとなりました。
戦争が沖縄県民の心に、深い傷を残したことが理解できます。
また、「君が代」の「千代に八千代に」の歌詞との関連性も感じられますね。
沖縄の人々は、玉音放送で流れた「君が代」をどのような気持ちで聴いていたのでしょうか。
絶対に忘れてはならない思い
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の涙島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を
歌詞のサビでは、自身の感情が表現され、それぞれが「私の涙」「私の愛」を届けたいと望んでいます。
この想いの向かう先は、沖縄で信じられている理想の楽園であるニライカナイです。
毎年、ニライカナイから神々が沖縄を訪れ、地元の人々に恩恵をもたらすと信じられています。
また、人々の魂も亡くなるとニライカナイに帰ると考えられています。
したがって、この歌詞には、亡くなった人々を悼み、彼らのもとへ愛を届けたいという心からの祈りが込められています。
同時に、本土の人々にも沖縄が抱える大きな悲しみが伝わるように願っているでしょう。
『島唄』が全国的に受け入れられたことで、この願いは実現したと言えるでしょう。
しかし、歌詞に込められたメッセージを後世に伝えることで、この願いを本当に実現させることができるのかもしれません。
海よ 宇宙よ
神よ いのちよ
このまま永遠に夕凪を
海や宇宙に、豊かさをもたらす神や、他に類のない宝である命に訴えます。
「夕凪」は夕方に海の波が穏やかになることを意味する言葉です。
そのため、「このまま永遠に夕凪を」というフレーズは、この平和が永遠に続き、同じ苦しみを再び経験しないようにという願いが込められています。
これは、日本人として絶対に忘れてはならない思いが表現されています。
平和を祈り続ける気持ち
『島唄』は美しく切ないイメージで知られていますが、その裏には沖縄県民が過酷な状況に追い込まれた歴史と深い悲しみがあります。
多くのリスナーがこの歌を聴いて涙を流すほどです。
戦争の記憶を胸に刻み、平和を祈り続ける気持ちを忘れたくないと感じるのではないでしょうか。
歌詞の真の意味を理解し、『島唄』が伝える深いメッセージを受け取ってください。