沖縄県石垣島出身のバンド、BEGIN。
彼らが生まれ育った島への深い愛情を歌った楽曲『島人ぬ宝』。
この歌を聴いて感じるのは、島民の魂の誇りと深い愛情です。
その愛は、本土の人々の心にも島への感謝と愛情の灯をともしました。
この愛と感謝の気持ちを、『島人ぬ宝』を通じて伝えたいと思います。
島の変化をも愛そう
僕が生まれた
この島の空を
僕はどれくらい
知ってるんだろう
輝く星も 流れる雲も
名前を聞かれても
わからない
でも誰より
誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていた
この空を
僕が生まれた
この島の海を
僕はどれくらい
知ってるんだろう
汚れてくサンゴも
減って行く魚も
どうしたらいいのか
わからない
自分自身の出身地について、どれだけ知識があるのか考えたことがありますか?
初対面の人に、故郷の美しさや伝統についてどれくらい語れるか、想像してみてください。
私は東京で生まれ育ち、正直に言うと、この街の誇れる特徴についてはあまり知識がありません。
有名な観光スポットの名前くらいは聞いたことがありますが、実際に訪れたことはありません。
これまでの忙しい毎日に追われる中で、特に東京に対する特別な感情を持っているわけではありませんし、メディアがテレビやラジオ、雑誌などでこれらの情報を提供してくれています。
しかし、ある出来事が私の考え方を大きく変えるきっかけとなりました。
それは宮古島での経験でした。
初めてBEGINが歌う「島人ぬ宝」をライブで聴いた瞬間です。
ライブのMCの中で、BEGINのボーカルである比嘉栄昇が言った言葉が印象的でした。
「私の生まれ育った石垣島も、いい意味で変わってきています」という言葉は、島の進化を意味していることが分かりました。
数年ぶりに宮古島を訪れた私は、驚きました。
宿泊施設が増えていること、そして何よりも注目すべきは、「激安の殿堂ドン・キホーテ」が宮古島に進出しているということでした。
気が付かないうちに、県外からの企業が島に進出していることに気付きました。
これは、島の住民の利便性向上を意図している一方で、島に移住し、または国内外からリゾート地を求めて訪れる人々の増加を物語っていると感じました。
この状況は、島の自然環境への影響も考慮する必要があると思います。
しかし、比嘉氏は「島の人々だけでは限界がある」とも述べました。
この言葉は、宮古島を照らす月明かりの下で、星々が輝く会場にいた私を含む内地の人々にも強く響きました。
この言葉には、島の住民にしか理解できない多くの意味が込められていることでしょう。
しかし、その想いは決して否定的なものではありませんでした。
「島を愛するからこそ、変化を受け入れていこう」という前向きな気持ちが感じられました。
もちろん、これは私の個人的な解釈かもしれませんが、私はそのように感じました。
このMCの後、大歓声の中でBEGINが「島人ぬ宝」を披露しました。
目には見えない大切なもの
テレビでは映せない
ラジオでも流せない
大切な物が きっと
ここにあるはずさ
それが島人ぬ宝
トゥバラーマも
デンサー節も
言葉の意味さえ
わからない
でも誰より
誰よりも知っている
祝いの夜も 祭りの朝も
何処からか聞こえてくる
この唄を
いつの日かこの島を
離れてくその日まで
大切な物を もっと
深く知っていたい
それが島人ぬ宝
「トゥバラーマ」という言葉は、石垣島が位置する八重山地方の方言で、「訪う」や「訪れる」という意味を持ちます。
これは、若い男女がお互いに相手のもとへ足を運び、想いを伝える掛け合いの歌、つまり相聞歌の一つです。
一方、「デンサー節」は「伝唱」という意味で、教訓や知識を伝える歌を指します。
私にとって、『島人ぬ宝』が演奏される瞬間に湧き上がった大歓声こそが、その歌の真の意味を象徴していると感じました。
この歌は、島人たちが生まれながらに持つ命を讃えるものであり、その中には歴史とともに育まれてきた文化や伝統が自然に息づいています。
これらは、日常の中から始まり、島の自然、家族や親戚、そして人々との交流を通じて受け継がれてきたものです。
この当たり前の存在が目に見えないため、言葉にしにくいこともあります。
しかし、島人の命には必ず「感謝」に満ちた「島への愛」が宿っているのだと思います。
たとえ「汚れてくサンゴも減っていく魚も」「砂にまみれて波に揺られ」「少しずつ変わっていくこの海」が、県外からの開発によって影響を受けてしまったとしても、それは島人の愛に変わりはありません。
比嘉氏の一言の真意や重みは、島人にしか理解できないかもしれませんが、その言葉には確かな「島への愛」が込められていました。
それは、島人と内地の人々が混ざり合うライブの会場で、「島の人々だけではダメだ」と強く語った言葉です。
それは、優しい沖縄の口調で語られましたが、私にも理解できました。
沖縄の歴史や文化は、教科書だけでは理解しきれない部分が多く、目に見えない「愛」が「大歓声」となって、私の目と心に届きました。
それが私の心を揺さぶり、涙を呼び起こしました。
美しい島と逞しい人々の命に触れ、人生で初めて「心が震えて涙が止まらない」と感じる瞬間を経験しました。
この出来事は、私の一生の中で永遠に記憶に残るでしょう。
本土の人間にも大切な価値観や想いを呼び覚ましてくれる
沖縄は、本州や北海道に比べれば地理的に小さいかもしれませんが、私にとっては日本で最もパワフルな場所だと感じます。
碧い海、青い空、蒼い植物。
そして、その美しさを最大限に引き出し輝かせる、力強い太陽の光。
その中で、元気に笑い、穏やかに楽しむ島人たちの姿は、島の暮らしの中にある様々な困難を笑い飛ばす力を持っているように思えます。
このような印象があるのは、彼らが生まれながらにこの島の一部として愛され、守られ、大切にされてきたからだと思います。
そのため、自然や人々、食べ物、文化、伝統芸能など、島に存在するすべてに心から愛情を注ぐことができるのです。
この愛情に満ちた島人たちは、『島人ぬ宝』という歌を通じて、島の宝を県外の人々にも惜しみなく分け与えています。
それは、自然と人々の愛おしさと誇りに満ちたものであり、その宝が絶大な癒しと幸福感を提供してくれるからです。
島から内地に帰る際には、心が完全に癒され、満たされた状態になることでしょう。
しかしながら、よく考えれば、島にある自然や食べ物、至るところで聞こえる三線の音や歌声、そして笑い声など、すべてが「島人から分けてもらった」『島人ぬ宝』なのです。
私たちもその絶大な癒しと幸福感を「分けてもらった」存在です。
だからこそ、感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。
この歌詞の「大切な物をもっと深く知りたい」という部分は、島人に対して「島から与えられた愛を忘れないで」という意味を持つでしょう。
しかし、私たち内地の人々にとっては、「大切な物は愛から生まれる命であり、愛を知り、そして愛を惜しみなく分かち合うこと」だとも捉えられます。
愛には、平和という宝も生み出す力があることは間違いありません。
BEGINの『島人ぬ宝』は、島人の魂と愛を忘れないための歌であり、私たち内地の人々にとっても、忘れがちな大切な価値観や想いを呼び覚ましてくれる大切な歌なのです。