2018年に活動を終了したバンド、チャットモンチー。
今回は、彼女たちの人気曲の一つ『シャングリラ』について紹介します。
『シャングリラ』とは一体何なのでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
理想や願望
『シャングリラ』は、チャットモンチーの3枚目のシングルであり、彼女たちにとって最大のヒット曲として知られています。
この楽曲は、フジテレビ系アニメ『働きマン』のエンディングテーマとしても使用されました。
『シャングリラ』には、不器用な恋人の支えになりたいという思いが込められています。
また、身近な機械である携帯電話をテーマにしているため、多くの人々が共感しやすいでしょう。
「シャングリラ」というタイトルには、一般的には「理想郷」という意味が含まれているとされています。
このタイトルは、小説『失われた地平線』に登場する理想郷の名称が「シャングリラ」であることから、シャングリラ=理想郷という認識が広まりました。
しかし、実はこの曲において「シャングリラ」は、「理想郷」という意味ではないのです。
歌詞を通して、『シャングリラ』は恋人に対しての呼びかけとして用いられていることがわかります。
この曲では、主人公が大切な人に対してどうしてほしいか、どうありたいかを表現しています。
『シャングリラ』という言葉が恋人の名前として使われていることには、意味が込められていると考えられます。
主人公の恋人の名前として理想郷を意味する言葉を選んだことは、彼女たちの理想を象徴している可能性があります。
この曲を通して、彼女たちが心に抱く理想の世界や願望を垣間見ることができるでしょう。
微笑ましい関係
シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ
時には僕の胸で泣いてくれよ
シャングリラ夢の中でさえ上手く笑えない君のこと
ダメな人って叱りながら愛していたい
『シャングリラ』は歌詞の冒頭、恋人への呼びかけから始まります。
この呼びかけには、主人公が恋人に対して願うことが込められています。
主人公は恋人に幸せでいてほしいと願い、悲しいときには自分の胸で泣いてほしいと思っています。
恋人に対する気持ちが表現されており、その微笑ましい情熱が伝わってきます。
主人公の大切な人は不器用な面もあるようで、夢の中でも上手く笑えないということは、現実でも似たような様子なのかもしれません。
しかし、最後の1文には、「しょうがないなぁ」というような相手への愛情が溢れていることが感じられます。
不完全な二人で進む場所
物体は自己運動することはありませんが、人間は自分の意思によって歩いて進むことができます。
自分がどこに向かって進むかは、自らが決定していくものです。
携帯電話を川に落としたよ
笹船のように流れてったよ あぁあ あぁあ
この曲が発表された2006年には、スマートフォンはまだ存在しておらず、携帯電話が主流でした。
携帯電話は人々にとって欠かせないツールとなり、財布を持ち歩かなくても携帯電話を持ち歩くことが一般的になっていきました。
携帯電話は手のひらサイズの小さな機械1つで、さまざまなことができる便利な道具として普及しています。
そんな携帯電話を落としてしまった主人公。
どのようにして落としてしまったのか、多くの原因が考えられます。
それは川に流れてしまったようで、修復不可能な状態になったようです。
主人公はあまり驚いた様子ではなく、「仕方がない」という気持ちが見受けられます。
一方で、他に何か気がかりなことがあるのかもしれません。
君を想うと今日も眠れない
僕ら何処へ向かおうか?あぁあ あぁあ
笹舟は流れていけばいずれ海にたどり着くでしょう。
川の流れに沿って行けばいずれはどこかへたどり着きます。
しかし人はそうはいきません。
人は川に流されて進むのではなく、地面を自ら歩いて行く必要があります。
向かう道を決めるのは自分自身でしかありません。
主人公は相手を想うあまり、眠ることができない様子です。
冒頭の歌詞では、主人公が笑顔になれない相手を「ダメな人」と表現しています。
一方で、主人公自身にもダメなところがあるのかもしれません。
そのような複雑な心情が、物語に深みを持たせています。
主人公と相手の「ダメな2人」が向かう場所、理想郷については具体的に明示されていないため、聴く人それぞれの想像に委ねられています。
それが物語に一層の魅力を与えているでしょう。
希望の光なんてなくったっていいじゃないか
科学の進化によって、多くの便利な道具が発明され、人々の生活は楽になっています。
しかし、時には便利な道具が人々の生活を束縛することもあります。
例えば、旅行をする際には荷物が少ない方が快適に歩けるでしょう。
また、手をつなぐときには何も持っていない方が自然な感じがします。
100回電話するよりも1回手をつなぐ方が、より素早く繋がりを感じることができる場合もあります。
シャングリラ まっすぐな道で転んだとしても
君の手を引っ張って離さない 大丈夫さ
平坦な道であっても、必ずしも危険がないとは限りません。
予期せぬ石ころが転がっていて、そこにつまづく可能性も考えられます。
もし転んでしまった場合でも、手を引いてくれる人がいれば一緒に立ち上がり、手をつないだままで歩いていけるでしょう。
誰かと手をつなげることで、心の安心感が増し、たとえ転んだとしても大丈夫だという信念が強くなります。
一緒に歩んでいることで、確かに絆を感じることができるからこそ、前に進むことができるのです。
道具がなくても手をつなぐことはできることを忘れずに。
あぁあ 気がつけばあんなちっぽけな物でつながってたんだ
あぁあ 手ぶらになって歩いてみりゃ 楽かもしんないな
「ちっぽけな物」とは、流れていった携帯電話を指します。
携帯電話は手軽に相手に連絡が取れる便利なツールです。
電話やメール、LINEなど、連絡手段はたくさんあります。
しかし、その便利さがかえって重荷に感じることもあるでしょう。
例えば、LINEの既読スルーなどがその一例です。
携帯電話やスマートフォンは簡単に手から滑り落ちるものですが、実際にはなくても生活は成り立ちます。
そんな携帯電話を持たずに、両手に何も持たず荷物も抱えずに歩いて行くことで、向かう場所は「君」のところかもしれません。
携帯電話がないと連絡が取れない遠い場所でも、自分から直接会う方法を選びます。
そして、手ぶらならば抱きしめることもたやすくできるでしょう。
胸を張って歩けよ 前を見て歩けよ
希望の光なんてなくたっていいじゃないか
携帯電話を落とした経緯は不明ですが、手に持っていたことは想像できます。
もしかすると画面を注視していたのかもしれず、その結果視線は自然と下を向き、体も猫背気味になってしまったかもしれません。
歩く際にはきちんと前を向くことが大切で、それによって視界が広がります。
希望の光とは、未来を照らしてくれる光のことかもしれません。
確かにナビがあれば進む道は容易に見つけることができ、迷うことはないでしょう。
しかし、導きがなくても歩いて行くことには何ら問題はありません。
途中で迷うことも、誰かと一緒なら楽しい経験になるでしょう。
信頼しているから甘えられる
子供は親に対して甘えることがあります。
その背景には、親が甘えても大丈夫だと感じさせてくれる信頼関係があるのかもしれません。
人は自分のかっこいい面ばかりを見せたがる傾向がありますが、それでも自分のダメなところを素直に見せられる相手を見つけることができたら、そうした関係は幸福なものになるでしょう。
シャングリラ 幸せだって叫んでくれよ
意地っ張りな君の泣き顔 見せてくれよ
シャングリラ 君を想うと今日も眠れない僕のこと
ダメな人って叱りながら愛してくれ
この曲の最後の部分の歌詞では、冒頭の部分と同様に、恋人が自分に弱みを見せることを望んでいます。
泣いたり転んだりしても、それを受け止めてあげたいと願っています。
このように弱さを見せることは、相手に対する信頼の表れであり、自分に身を委ねてほしいという気持ちが表れているのかもしれません。
逆に言えば、信じている相手であれば自分の弱みをさらけ出すことができるということも考えられます。
主人公は自分を叱ってほしいとも願っています。
この願いも、冒頭に出てきたフレーズと似通っていると感じられるかもしれません。
この曲に出てくる2人は、ダメなところがあるけれどもお互いを支え合い、かっこ悪いところを見せ合って愛し合っていきたいという思いが強く感じられます。
シャングリラ=理想的な関係
「シャングリラ」とは、一体何を意味するのでしょうか。
それはお互いに弱い部分を認め合い、支え合っていける理想的な関係ではないでしょうか。
主人公はそんな理想郷を目指して、仮の恋人の名前を「シャングリラ」としたのかもしれません。
このように、彼女たちの歌詞には深い思いが込められていると感じられます。