THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェルガンエレファント)の楽曲「世界の終わり」には、独特な世界観が込められています。
ボーカルのチバユウスケが抱える感情や想いを深く考察してみましょう!
ラストライブでの最後の曲
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1996年のデビューシングル「世界の終わり」は、彼らのライブでの人気曲として親しまれています。
そして、最後のライブの最後の曲として演奏されました。
世界の終わりの「世界」とは
悪いのは全部 君だと思ってた
くるっているのは あんたなんだって
つぶやかれても ぼんやりと空を
眺めまわしては 聞こえてないふり
ここに記されているのは、一人の男性が「君」に狂ってしまったとされる過去のエピソードです。
物語は、冒頭の言葉「悪いのは全部 君だと思ってた」によって突然過去へと導かれ、私たちはその世界に没入していきます。
世界の終わりは そこで待ってると
思い出したよに 君は笑い出す
赤みのかかった 月が昇るとき
それで最後だと 僕は聞かされる
彼(彼女)は笑みを浮かべながら予告します。
「世界はまもなく終わる。」
そして、このサビでは世界の終末の光景が描かれています。
メロディーからは予想もつかないほど不吉で虚無的な世界観が感じられます。
ちょっとゆるやかに だいぶやわらかに
かなり確実に 違ってゆくだろう
崩れてゆくのが わかってたんだろ
どこか変だなと 思ってたんだろ
「ゆるやか」「やわらか」という言葉のリズムは心地よいですね。
しかし、歌詞には何かが崩壊しているというメッセージが込められています。
その崩壊の対象は何なのか、私たちは想像させられます。
それは、二人の関係性なのか、君の予言なのか、それとも世界そのものなのか。
何が崩れつつあるのか、それは君に向けられたものなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか。
解釈の余地を残す、謎めいた表現となっています。
世界の終わりが そこで見てるよと
紅茶飲み干して 君は静かに待つ
パンを焼きながら 待ち焦がれてる
やってくる時を 待ち焦がれてる
君は世界が終わることを望んでいるようです。
そして、いつ世界が終わるのか知りたいと願っています。
君の姿は、キリストの復活を待ち望む信者たちに重ねられます。
彼らは世界の終末とキリストの再臨を心待ちにしていました。
君はいつになったらこの苦しみに満ちた世界が終わるのか、主の復活が訪れるのかを考えています。
キリスト教徒にとって「世界の終わり」とは、キリストの復活と救済の瞬間を指します。
では、君にとって「世界の終わり」とは一体何を意味するのでしょうか…。
この考えにふけることで、ますますこの曲の世界に引き込まれていくでしょう。
互いに狂っていると言い合う君と僕。
以前は「悪いのは全部君だと思っていた」けれど、今は違います。
しかし、僕たちから見ると、明らかに君の方が狂っているように思えます。
なぜこんな考え方に変わったのでしょうか。
もしかすると本当に世界が終わったのか?
そんな考え方もあるでしょう。
この曲は世界が終わった後に、過去を振り返る歌なのかもしれません。
一見すると、世界が終わるような大事件が歌詞に描かれているように感じられます。
しかしその実、登場人物は自分自身と君だけであり、実際に何が起こったのかよりも、君の姿や言葉に焦点が当てられています。
したがって、これは君と僕という小さな世界での出来事なのだと言えます。
世界の終わりの後には、新しい世界が待っているのでしょうか。
もしそうならば、「世界の終わり」とは世界が大きく変わる瞬間を意味するのかもしれません。
デビューしたばかりのミッシェルは、売れる日を夢見て小さな世界から抜け出せることを願って、この曲の歌詞が書かれたのかもしれません。
そして、その日が「待ち焦がれて」やってきて、今やミッシェルは伝説的なバンドとして称される存在となりました。
君のように歌詞に描かれる人物は、彼らの未来を予言していたのかもしれません。
新たな世界へ
これまでミッシェルのデビューシングル「世界の終わり」の歌詞を見てきました。
「世界の終わり」の解釈によって、曲の印象はガラッと変わります。
彼らがラストライブでこの曲を演奏したとき、まるで世界が終わったような瞬間でした。
しかし、実際には世界は再び始まったのです。
メンバーはそれぞれ新たなバンドに参加し、ミッシェルにはなかった表現を追求しました。
終わりは始まりなのです。
ギターのアベフトシが2009年に亡くなったという悲しい出来事がありました。
ですが彼の残した音楽と、愛したメンバーが、再び世界を変えるような事件を起こしてくれるでしょう。
その日を楽しみにしています。