【五月雨/崎山蒼志】歌詞の意味を考察、解釈する。

2分10秒の演奏シーンだけで音楽シーンを大きく揺るがした「驚異的な才能」が現れました。

ネット配信番組への出演をきっかけに、ゲスの極み乙女・川谷絵音やくるり・岸田繁などの著名なアーティストからその音楽センスが絶賛された崎山蒼志さんです。

今回はブレイクのきっかけになった「五月雨」の歌詞を詳しく解説します。

音楽業界に突如として現れた才能

「崎山蒼志」という名前が一躍ネット上で話題となったのは2018年5月の出来事です。
そのきっかけとなったのはabemaTVの「第3回高校生フォークソングGP」というコーナーでした。
崎山は学ランと眼鏡姿で少々緊張しながら登場しました。
彼の風貌にMCのバナナマン・日村らは思わず笑ってしまいました。

そして「五月雨」の演奏が始まりました。
ここからが驚愕でした。

鋭いアコースティックギターのストロークが攻撃的に響きました。
曲の進行にはマイナースケールやテンションコードが効果的に使われていました。
彼のユニークで個性的な声、比喩を多用した詩的な歌詞には芸術的な要素が含まれていました。

「人が変わる」というのはまさにこのことでしょう。
MC陣は彼の姿に驚きを隠せませんでした。
曲が終わるとスタジオは拍手で包まれました。
特にスカート・澤部渡は興奮して「本当にすごい!」と絶賛し、崎山の才能を熱く語りました。

驚くべきことに、「五月雨」を作った時、崎山は中学1年生だったとのことです。
彼の才能はまさに異次元と言えるでしょう。
彼は音楽業界に驚きと感動を与えました。

敢えて曖昧な表現を使用

それでは、今回は「五月雨」という曲の歌詞を詳しく解説していきます。

しかし、解説する前に崎山蒼志の独自の世界観を理解しておく必要があります。
彼の歌詞には頻繁に比喩表現が使われています。

以前のインタビューでは、「オブラートに包むことを大切にしている」と述べていました。
また、「イメージで歌詞を書いている」とも明言しています。

つまり、彼はストレートには言わないスタイルを持っています。
曖昧な表現を意識しているため、比喩表現が多くなるのでしょう。
中学1年生の発想とは思えない素晴らしい比喩にも注目しながら、解説を進めていきます。

秀逸な比喩表現

裸足のまま来てしまったようだ
東から走る魔法の夜
虫のように小さくて 炎のように熱い

「裸足のまま来てしまったようだ」という歌い出しは、まさに素晴らしいですね。
この一節によって、リスナーに「何が始まるのか」という期待感を抱かせます。
崎山の驚異的な才能が存分に発揮されています。

彼は「五月雨」について、「中学1年生の自分が抱えていた不安や葛藤を描いた」と語っています。
この意味を考えると、「裸足」とは「無防備」という意味合いなのかもしれません。
小学校の無邪気な社会とは異なり、中学生は思春期や反抗期を迎えます。

彼らにとって、日常は「事件」の連続です。
いじめや恋愛、進路など、ある種の戦場のような毎日が待ち受けています。
「裸足」でその場に立ち向かわなければならないことで、中学生は大きな不安に襲われます。
たった一つの単語で、前後のストーリーを示すことができる、非常に美しい比喩と言えるでしょう。

次に、「東から走る魔法の夜」について解読していきましょう。
「東」とは太陽が昇る方角であり、夜が訪れる方角でもあります。
ここでは比喩的な表現ではなく、文字通りの意味と考えられます。
このフレーズに注目したいのは「魔法」という比喩です。

中学生にとって、昼間は学校でクラスメイトと過ごす時間です。
夜になると、彼らにとって唯一の一人の時間が訪れます。
中学生は感受性が豊かであり、一人になるとさまざまな思いが浮かび上がってきます。
良いことだけでなく、不安や心配事も思い返すでしょう。

現在の視点から見れば「考え過ぎ」かもしれませんが、中学生にとっては大きな出来事です。
そのような意味で、中学生にとって夜は「魔法の時間」と表現されるのです。

思春期特有の「不安定さ」

素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な夜に
全ての声の針を 静かに泪でぬらすように
素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な意味で
美しい声の針を 静かに泪でぬらして

次に、Bメロの歌詞を解説していきましょう。

まず注目すべきは「素晴らしき日々」というフレーズです。
中学1年生がこの言葉を選ぶこと自体が驚くべきことです。

先に述べた通り、崎山はこの曲で「中学生特有の心の葛藤」を描きたかったのです。
そのような日常を表現するためには、「楽しい日々」や「明るい日々」といった表現は適さないでしょう。
それらはあまりに幸福なものです。

一方、「素晴らしき日々」という単語には、悲しみや苦悩の雰囲気が内包されています。
試練を伴う要素も含まれています。
葛藤や憂鬱な感情もあるでしょう。
清濁併せ呑んだからこそ、「素晴らしい」と感じるのです。

続いて、Bメロの残りの歌詞も解説していきましょう。
「不安定な夜」というフレーズは、中学生ならではの未熟な精神状態を表現しています。
不安定な心を安定させるためには、常に緊張感を持ち続ける必要があります。
しかし、周囲の友人たちは時折無神経な言葉や行動をとることがあります。
それを「針」という比喩で表現しているのですね。

中学生の心は張り詰めた風船のようなものであり、その心を壊すものとして「針」がぴったりです。
「ナイフ」や「銃弾」といった表現は、あまりにも大人びているかもしれません。
中学生の心の不安定さは「針」で十分に表現されるのです。

苦悩しながら過ごす日常

意味のない僕らの 救えないほどの傷から
泪のあとから 悪い言葉で震える
黒くて静かな なにげない会話に刺されて今は
痛いよ あなたが針に見えてしまって

では、サビ部分の歌詞解説に移りましょう。
ここで初めて「僕ら」という主語が登場しますね。
皆さんはおそらく崎山自身が自分自身を歌っているのではないかと思ったかもしれませんが、実はそうではありません。

彼は「自分たち、苦悩する中学生たち全員」を歌詞にしているのです。
崎山はインタビューで「客観的な視点を大切にしている」とも語っています。
広い視野を持ちながら曲を作ることは、彼の才能の一つと言えるでしょう。

「救えないほどの傷」とは、不安定な時期にある彼ら自身のことを指しています。
彼らは傷を負うたびに涙を流すのです。
ここでいう「泪」が実際に流れたものなのか、比喩的な表現なのかは分かりませんが、憂いを帯びた表現であることには変わりありません。

彼らは泪を流す度に、「針」のような言葉に刺されてしまいます。
若い彼らの不安定さがここに表されています。

「黒くて静かな」という表現はおそらく「魔法の夜」を指しているのでしょう。
この点で矛盾が生じるかもしれませんね。
夜には友人や教師と会話をしないためです。

したがって、ここでは日中の会話を反芻している可能性があります。
昼に行った些細な会話を夜に思い出し、心が傷つくのです。
多感な中学生には、こうした時間が存在することでしょう。

また、「黒くて静かな」は夜そのものではなく、直喩として使用されている可能性もあります。
例えば、「親友だと思っていたA君が、実は自分を嫌っていた」と、他の友人から聞かされる場面を考えてみましょう。

これは確かに「黒くて静かな会話」ですね。
このような出来事は中学生の時期では頻繁に起こるでしょう。
比喩的な表現であるため、解釈の幅は広がりますが、こうした例が思い浮かぶのではないでしょうか。

未成熟であるが故の脆さ

素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な蒼に
全ての声の針を 静かに宇宙でぬらすように
素晴らしき日々の途中 こびりつく不安定な意味で
美しい声の針を 静かに泪でぬらして

意味のない僕らの 救えないほどの傷から
泪のあとから 悪い言葉で震える
天使とぶざまな 救えない会話に刺されて今は
今ながれるこの頬は すべてを すべてを
すべてを

では、2番のBメロとサビについて解説します。

まず、冒頭の「蒼」ですね。
1番では「夜」という単語が使用されていました。
青や碧、藍、葵など、さまざまな色合いの表現がある「アオ」です。
その中でも、「蒼」は暗い色調を持つ濃いブルーを指します。
この文脈では、「蒼」と「夜」はほぼ同じ意味で使用されていると言えるでしょう。

次に注目すべきは「宇宙」です。
「宇宙」と聞くと、まず思い浮かぶのは外宇宙を指す「space」の意味です。
しかし、「その人が受け入れられる範囲」「その人の常識の範囲」など、異なる意味でも使用されます。
この場合は、後者の意味で使われていますね。

中学生にとって、「宇宙」は狭いものです。
経験も知識もまだ浅く、予想外のことがたくさんあります。

そんな未熟で不安定な子供たちにとって、些細な一言でも「針」となります。
ここでも、中学生の脆さが表現されているのです。

先に待っている希望

冬 雪 ぬれて 溶ける 君と夜と春
走る君の汗が夏へ急ぎ出す

冬 雪 ぬれて 溶ける 君と夜と春
走る君の汗が夏へ急ぎ出す

急ぎ出す

急ぎだす

それでは、ラストのCメロ部分について解説します。

この部分は、「五月雨」の中でもフレーズを連続させるシンボリックなパートですね。
全体を通して聴いても、Cメロで彼の才能が存分に発揮されていると言えるでしょう。

楽曲的にも感情的な進行が使われていますが、今回は省略して、歌詞に焦点を当てて解説します。

まず、注目すべきは、必要最低限の言葉しか使用されていないことです。
それだけで、リスナーの心に情景が鮮明に浮かび上がってきます。

言葉の数は非常に少ないですが、それでも「君」が冬から春、夏へと駆け抜ける様子が感じられます。
この表現は、川端康成の「雪国」の冒頭の印象にも近いものを感じます。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 この有名な文学作品も、必要最低限の言葉で情景を的確に描写しています。

ここで、新人シンガーソングライターとノーベル文学賞作家を並べることは少し大げさかもしれませんが、 情景を簡潔に表現するという点では、「五月雨」のCメロも同様なのです。

崎山蒼志は、「五月雨」について「希望的な要素も含まれている」と述べています。
Cメロ部分は、まさにその希望を描いた歌詞と言えるでしょう。

一般的に、「冬」は憂いや悲しみなどの暗い感情を表す隠喩として使われます。
ここでも同様に捉えられるでしょう。

そして、「夏」はこれまで描き続けられてきた「不安や葛藤」からの解放を象徴しています。
雪解けを「濡れて溶ける」と表現しているのも興味深いです。
これまで「濡れる」という表現は「泪」として使われてきましたが、ここではプラスの意味合いで用いられています。
巧妙な伏線の回収ですね。

さらに、伏線回収と言えば、Aメロの歌詞もここで重要な意味を持ってきます。
「虫のように小さくて 炎のように熱い」。
冬の終わりと夏の訪れを感じさせるフレーズですね。
おそらく、冒頭から歌詞の終わりを匂わせていたのかもしれません。

そして何よりも、「五月雨」というタイトルの意味がここで明らかになります。
五月雨は夏を告げる雨のことです。
この曲は、いずれ訪れる夏を予感させているのです。

「中学生は心身ともに不安定な時期です。 そのため、不安や葛藤(冬の時代)がつきまとうのは自然なことです。しかし、これらの困難な日々を乗り越えることで、強くたくましい人間に成長するのです(夏の到来)」

崎山蒼志は、「五月雨」にこのようなメッセージを込めたのではないでしょうか。