荒井由実時代を代表する一曲
ユーミンこと松任谷由実はデビュー時、荒井由実という名前だった。
デビューしてから出会ったアレンジャー、松任谷正隆と結婚し今の松任谷由実という名前になるのだが、名前とともにその音楽性も変化したように思う。
荒井由実の頃は初期のユーミンが最も影響を受けたであろうイギリスのロックバンド、プロコル・ハルムを思わせるサウンドが「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」で聴けるし、今回取り上げる「ルージュの伝言」はモータウン・ドゥワップのようなアメリカンポップスからの影響を隠さずに全面に出した作品となっている。
その後、松任谷由実となったユーミンはシティポップ黄金期を経て「真夏の夜の夢」のようなラテン、また「春よ、来い」のような和を感じさせるものなど幅広いジャンルを網羅する、「何かのジャンル」に所属するアーティストではなく「ユーミン」という世界を作り上げるに至った。
今回はユーミンの原点の一つであり世代を超えて親しまれている代表曲「ルージュの伝言」を考察してみたい。
影の立役者・山下達郎
あのひとの ママに会うために
今ひとり 列車に乗ったの
たそがれせまる 街並や車の流れ
横目で追い越して
あのひとは もう気づくころよ
バスルームに ルージュの伝言
浮気な恋を はやくあきらめないかぎり
家には帰らない
不安な気持ちを 残したまま
街はDing-Dong 遠ざかってゆくわ
明日の朝 ママから電話で
しかってもらうわ My Darling!
あのひとは あわててるころよ
バスルームに ルージュの伝言
てあたりしだい 友達にたずねるかしら
私の行く先を
不安な気持ちを 残したまま
街はDing-Dong 遠ざかってゆくわ
明日の朝 ママから電話で
しかってもらうわ My Darling!
しかってもらうわ My Darling!
「ルージュの伝言」は同じくユーミンの代表曲である「やさしさに包まれたなら」と共に映画「魔女の宅急便」のテーマ曲として起用された。
そもそもが書き下ろしではないので歌詞の内容は「魔女の宅急便」と通じているとは言い難い。
しかし、生まれ育った街を離れ、期待と不安の入り混じった主人公・キキの心情のように「ルージュの伝言」は楽しく弾む。
相棒・ジジと共に空を飛ぶキキ。
「不安な気持ちを残したまま 街はDing-Dong 遠ざかってゆくわ」という一節は映画のシーンにマッチしたものであり、この映画のハイライトの一つでもあるだろう。
歌詞の内容としては、浮気な彼氏にメッセージを残し、「あのひと」のママに会いに行くという内容である。
メッセージの内容は何だったのだろうか。
「さよなら」とか、「浮気者」とか、まあいずれにせよ「浮気な恋をはやくあきらめないかぎり 家には帰らない」とある通り、いずれは「あのひと」の元へ戻る気があるのだろう。
「あのひと」はママから叱られれば素行を正すであろうという事も予想している。
ポップな曲調ではあるが、やっていることは怖いと言えば怖い。
なにせバスルームの、おそらく鏡だろうが口紅で何かのメッセージを残すというシチュエーション自体が恐怖である。
手を変え品を変えれば爽やかなアメリカンポップスがホラー映画になってしまう手法である。
しかし、この楽曲がどこまでも爽やかに響くのはユーミンのメロディ、松任谷正隆によるアレンジ、そして山下達郎が手掛けたコーラスワークである。
レコーディングに参加させてほしいとライヴのバックバンドメンバーから要望された松任谷正隆はイマイチな出来に四苦八苦していた。
当時のユーミンのレコーディングには細野晴臣、鈴木茂、林立夫、そして松任谷正隆で結成された「ティン・パン・アレー」が携わっており、日本のロック・ポップス史の伝説とも呼べるこの布陣に対し、バックバンドのメンバーは今ひとつ松任谷の満足のいくものではなかった。
そこで松任谷はシュガー・ベイブとして活動していた山下達郎に声をかけ、コーラスをつけてくれと頼む。
山下はシュガー・ベイブのメンバーである大貫妙子らに声をかけ、この曲の特徴でもあるドゥワップ直系のコーラスを完成させるのである。
言わずもがな山下達郎は日本を代表するミュージシャンの一人であり、またこのユーミンをはじめ、夫人である竹内まりや、楽曲提供を頼まれた近藤真彦やKinKi Kidsといったアイドルも裏方として手掛けている。
山下達郎が手掛けるコーラスワークのクオリティは言及するに及ばず素晴らしいものであるが、特徴としては「達郎」を隠さないことである。
「一人ゴスペル」を得意とする達郎の声は隠しても隠しきれるものではなく、KinKi Kidsの「硝子の少年」でも、特に夫人である竹内まりやの作品では最早デュエットしているのではないかというレベルで「達郎」が出てきている。
一聴してあの特徴的な山下達郎の声が他者の作品で出てくるのはファンとしても嬉しいものである。
山下達郎はコーラスを「添え物」とは考えていないようで、竹内まりやが薬師丸ひろ子に提供した「元気を出して」では後に竹内自身がセルフカバーをするのだが、そのアレンジを手掛けた山下は自身の声も全開に、そしてオリジナルシンガーである薬師丸ひろ子をもコーラスとして起用するのである。
この楽曲のコーダでは竹内まりや、山下達郎の声に混じって隠しても隠しきれない薬師丸ひろ子の天使のようにまっすぐな歌声を聴くことができる。
添え物ではないコーラスを武器にするアーティストがもう一組存在する。
山下達郎も大きな影響を受けたであろうアメリカのロックバンド、ビーチ・ボーイズである。
フォー・フレッシュメンを始めとするコーラスグループとロックンロールを融合させたザ・ビーチ・ボーイズは1961年のデビューから今でも存続する伝説的バンドだが、山下達郎が熱狂的なビーチ・ボーイズマニアであることは有名である。
ブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟とマイク・ラヴ、アル・ジャーディン、ブルース・ジョンストンが織りなすコーラスワークは唯一無二のサウンドを作り出し、数々の名曲を夜に送り出してきた。
「ルージュの伝言」にドゥワップ特有のスキャットを取り入れた山下達郎のコーラスワークはビーチ・ボーイズの影響を多分に感じることができる。
結果、松任谷正隆が
「『ルージュの伝言』に関しては、山下の力がすごく大きい。結果的に由実さんのポップ・シンガー路線を開拓してくれました」
と語るほどのクオリティに仕上がった「ルージュの伝言」は現在まで歌い継がれる名曲となったのである。
中島みゆきで言うところの「悪女」?
松任谷由実と中島みゆきといえば自他ともに求める永遠のライバルである。
朝を歌うユーミン、夜を歌う中島みゆき。
陰と陽を象徴する二人は同年代を駆け抜け、孤高の存在としてキャリアを築き上げた。
中島みゆきの楽曲に「悪女」という曲がある。
浮気な男に悲しむ女、という意味ではこの「ルージュの伝言」と舞台は同じである。
ただ、やはりユーミンが歌うと爽やかなアメリカンポップスになるものが、中島みゆきが歌うと裸足の月夜である。
やはり、ユーミンは朝を歌い、中島みゆきは夜を歌うのである。
(ちなみに、中島みゆきにも「ルージュ」という楽曲がある。歌手のちあきなおみに提供した楽曲だが、この曲もまたじっとりと湿った「みゆき節」を堪能できる曲である)
情報がたくさん詰まっている荒井由実
と、ここまで様々な角度から「ルージュの伝言」を考察してみた。
勿論「ルージュの伝言」だけに言えることではないが、音楽には「情報」が詰まっている。
もし、あなたが
「この曲と『やさしさに包まれたなら』くらいしかユーミンの曲を知らない」
というのであれば是非ここまでに挙げた様々な情報、プロコル・ハルム、ティン・パン・アレー、シュガー・ベイブ、山下達郎、ビーチ・ボーイズ、中島みゆき、そういったところにも目を向けてみていただきたい。
ユーミンの楽曲には、音楽をもっと好きになれるだけの「情報」が詰まりに詰まっているのである。