【落陽/吉田拓郎】歌詞の意味を考察、解釈する。

吉田拓郎は日本のシンガーソングライターであり、70年代のフォークソングブームの際に重要な役割を果たした先駆者です。
彼の名曲『落陽』は、多くのアーティストに大きな影響を与え、その魅力は今もなお色褪せることはありません。
この楽曲の歌詞を独自の視点で解釈し、その深い意味に迫ってみたいと思います。

ある男の生き様

吉田拓郎の名曲『落陽』は、彼が1973年にリリースしたライブアルバム『よしだたくろうLIVE’73』に収録されています。
このアルバムは東京の中野サンプラザで行われたライブの模様を収めたもので、『落陽』はこのライブで初めて披露された曲でした。
その後、1989年になってスタジオでの録音が行われ、アルバム『176.5』に収録されると同時にシングルとしてもリリースされました。

オリジナルのライブバージョンとは異なり、新録音バージョンは打ち込みを主としたアレンジとなっており、これはテレビドラマ「あの夏に抱かれたい」の主題歌としても使用されました。
拓郎のファンたちにとっても人気の高い楽曲であり、新旧の両バージョンが愛され続けています。


『落陽』という名曲の歌詞を解析して、その深い意味を味わっていきましょう。

この素晴らしい楽曲の作詞は岡本おさみ氏、作曲は吉田拓郎氏によるものです。
岡本おさみ氏は吉田拓郎氏の初期作品に多く携わり、『旅の宿』や『襟裳岬』、『祭りのあと』なども彼の詩の才能によるものです。
彼は松本隆氏と並ぶ、素晴らしい作詞家だとされています。

『落陽』は岡本おさみ氏が北海道を放浪した時の実体験に基づいて書かれた詞だと言われています。

歌詞は、旅の途中で出会った一人の老人の物語を描いています。
その老人はサイコロ賭博に明け暮れる人生を送ってきた人物です。
岡本おさみ氏は自分が苫小牧港から仙台港に向かうフェリーに乗ろうとしているときに、その老人と偶然出会いました。
そして、フェリーに乗る自分をわざわざ見送りに来てくれたその老人との別れの情景を見事に詩に綴りました。

『落陽』はこのような背景を持ち、その歌詞は老人との交流や別れの情景を感動的に描写しており、多くの聴衆の心に響く素晴らしい作品となっています。


しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線から もれている
苫小牧発・仙台行きフェリー
あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ
おまけにテープをひろってね女の子みたいにさ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく

まずは1番の歌詞を見ていきましょう。

「しぼったばかりの夕陽の赤が水平線からもれている」

この表現は効果的で、まるでオレンジを絞ったかのような夕陽が水平線に溶けていく様子が目に浮かびます。

「苫小牧発 仙台行きフェリー あの爺さんときたら わざわざ見送ってくれたよ おまけにテープを拾ってね 女の子みたいにさ」

フェリーの上から見ていると、旅で出会ったおじいさんが、わざわざ見送りに来てくれたことに気がつきます。
散らばった別れのテープを律儀に拾っているようです。
この「おじいさん」が「女の子」みたいに振る舞っているという対比も巧妙ですね。

「みやげにもらったサイコロふたつ 手の中でふれば また振り出しに 戻る旅に 陽が沈んでいく」

おじいさんからお土産でもらったサイコロを手の中で転がしてみると、旅を双六に例えるように、振り出しに戻ってしまう。
旅や人生が双六のようであるという意味合いを込めています。
そして、この「振り出しに戻る」という表現を旅に戻るという意味に結びつけ、日が沈んでいくと繋げています。
非常に感動的ですね。

このサビの部分では観客も一緒になって大合唱が始まることでしょう。
吉田拓郎自身も、この『落陽』のように盛り上がる歌を作ろうとしても、どうしても『落陽』には敵わないと嘆いたことがあります。
何か観客の心を引きつける特別な魅力が、この曲には宿っているのですね。

女や酒よりサイコロ好きで
すってんてんのあのじいさん
あんたこそが正直ものさ
この国ときたら
賭けるものなどないさ
だからこうして漂うだけ
みやげにもらったサイコロふたつ
手の中でふれば
また振り出しに戻る旅に陽が沈んでゆく

続いて2番の歌詞を見ていきましょう。

「女や酒より サイコロ好きで すってんてんのあのじいさん」

この一節からは、彼は女性や酒よりもサイコロが好きなようで、どこか天真爛漫な老人像が浮かび上がります。

「あんたこそが 正直ものさ この国ときたら かけるものなどないさ だからこうして漂うだけ」

この部分では、多くの人が共感するのではないでしょうか。
彼は自分こそが真摯な存在だと感じているようで、この国には本当にかけるべきものなんてないと歌っています。
彼がサイコロに夢中になって、自分の人生を浮遊している状態にあることも、彼の背景を軽蔑するのではなく、むしろ少し羨ましいと思わせます。

サイコロころがしあり金なくし
フーテン暮らしのあのじいさん
どこかで会おう生きていてくれ
ろくでなしの男たち
身を持ちくずしちまった
男の話を聞かせてよサイコロころがして

3番の歌詞でも、サイコロに夢中になってフーテン暮らしになった男に対する憧れの気持ちが現れています。

「どこかで 会おう 生きていてくれ」

ここでは、その男性と再びどこかで出会い、元気で生きていてくれることを願っている様子が伝わります。
この視点から見ると、彼の生き方はダメだけど、それでもかっこいいじいさんだと感じられているようです。
彼の生き様に対して熱い共感を覚え、吉田拓郎と観客が一体となってステージを大いに盛り上げているのです。

また、豪華なミュージシャンたちによる素晴らしい演奏も、ステージの盛り上がりに一役買っていることでしょう。
彼らの演奏によって、『落陽』の感動と魅力がさらに高まっているのです。

美学を貫くカッコよさ

半世紀以上のキャリアを誇る、まさに生きるレジェンドである吉田拓郎。

彼は従来のフォークソングの枠にとらわれることなく、新たな風を吹き込み、自由で陽気なスタイルで多くの人々に魅力を与え続けています。
彼の身近さがファンの心を捉え、何か自分にもできるかもしれないと思わせてくれるのでしょう。

『落陽』の中に登場する「あのじいさん」のように、吉田拓郎は世間の枠にとらわれず、自分の美学を貫くカッコ良さを持っていると、多くのファンが感じていることでしょう。