Coccoと呼ばれるアーティストについての認知度はどの程度あるでしょうか。
近年、彼女のメディアでの露出は減少しており、知らない若い人もいる可能性があります。
しかし、約20年前には、彼女は「メンヘラのカリスマ」としての地位を築いていました。
その時代、Cocco、鬼束ちひろ、椎名林檎を聴く女性には注意が必要だと言われていたこともあります。
2001年には活動を一時休止し、その前後で彼女の音楽スタイルは大きく変わりました。
ここでは、彼女のキャリアを前期と後期に分けて考えてみましょう。
前期の楽曲は、一貫して暗く、重たいテーマを扱っていました。
時には直接的に、時には間接的に、死、憎しみ、悲しみ、自傷行為、生々しい性的描写、そして無限の愛を表現していました。
一方、後期の作品は、一般的に明るく、音楽を娯楽として捉える姿勢が感じられます。
彼女の個人的な心情の変化が影響している部分もありますが、その話はここでは割愛します。
ここで取り上げる「Raining」という曲は、Coccoのキャリアの前期に属する作品です。
この曲の主題は、「雨」そのものではなく、雨が降る情景を描いています。
曲調は比較的明るく、爽やかさすら感じられますが、歌い方には湿度を帯びた感じがあります。
春から初夏にかけての日差しを思わせるような、しかしタイトルと曲の最初の印象とは必ずしも一致しないかもしれません。
次に、私自身の「Raining」に対する歌詞の解釈を簡単に述べます。
この曲は、大切な人を失った際の内心の動揺を表現していると私は解釈しています。
また、Cocco自身が自分の楽曲の解釈を聴く人に委ねていることも言及しておきます。
したがって、ここに記述する解釈は私個人の見解に過ぎないことを理解してください。
ママ譲りの赤毛を
2つに束ねて
みつあみ 揺れてた
なぜだったのだろうと
今も想うけれど
まだわからないよ
静かに席を立って
ハサミを握りしめて
おさげを切り落とした
この曲は、過去の思い出を振り返る場面から始まります。
落ち着いた話し方から、主人公が成長した大人であることが伺え、幼い頃の編み込んだ髪の日々に思いを馳せる様子が描かれています。
特に印象的なのは、自分の髪を自ら切ったという記憶です。
この奇抜な行為は、彼女にとって何を意味していたのでしょうか。
当時の彼女がその深い意味を理解していたかは定かではありません。
多分、深く考えず、衝動に駆られてその行動をとったと思われます。
また、母親から受け継いだ赤い髪を切ることで、母との複雑な関係や断絶を示唆する解釈もありますが、この話では異なる角度からの歌詞の解釈を探求します。
それは とても晴れた日で
未来なんて いらないと想ってた
私は無力で
言葉を選べずに
帰り道のにおいだけ
優しかった
生きていける
そんな気がしていた
教室で誰かが笑ってた
それは とても晴れた日で
サビ部分では、曲名「Raining」とは裏腹に、晴れやかな日々を振り返ることが明らかにされています。
特に、このセクションの開始と終了で、明るい日の光景を強調するように言及されています。
この節は解釈が難しいものです。
彼女は無力感に悩まされ、未来に何の期待も持てないと感じていました。
理由は不明ですが、自分の髪を切るなどの行動に出てみたことも。
それでもなお、生き抜くことができるかもしれないという希望を感じていたのです。
彼女は矛盾した、相反する感情を持っていましたが、それらは彼女の内で共存していました。
教室で他の誰かが笑っているのを、まるで外部から見るかのように彼女は表現します。
曲の開始では彼女は教室にいたはずですが、孤独に家路についているかのようです。
これは彼女が感じる疎外感の現れであり、語られない彼女の感情を誰も理解できないというフラストレーションを示しています。
それでは、彼女がこのような複雑で奇妙な感情を持つに至った理由は何でしょうか?
その答えを見つけるためには、彼女の記憶をさらに深く掘り下げる必要があります。
髪がなくて今度は
腕を切ってみた
切れるだけ切った
温かさを感じた
血にまみれた腕で
踊っていたんだ
あなたが もういなくて
そこには何もなくて
太陽 眩しかった
それは とても晴れた日で
泣くことさえできなくて あまりにも
大地は果てしなく
全ては美しく
白い服で遠くから
行列に並べずに少し歌ってた
二番の出だしからサビにかけて、彼女は髪を切る行為に続けてリストカットをします。
これはますます個性的な振る舞いで、「Raining」だけでなく、Coccoの初期作品には自傷のモチーフがしばしば見られます。
腕に傷をつけることで感じたのは温かさであり、それは彼女が以前感じていた寒さからの逃避であると推測されます。
この時点で、「あなた」という言葉が登場します。
その人はもういません。
この暗示的な歌詞は、悲しみという強烈な要素を曲に添えています。
恐らく、失われたものは突然に去ってしまったため、彼女は心の準備も整理もできずにいました。
涙を流すことさえできず、その結果として彼女の行動がエキセントリックになったのでしょう。
サビで示される矛盾した感情は、この喪失が原因かもしれません。
眩しい太陽と広大な大地の美しさは、皮肉を込めたような漠然とした表現です。
「こんなにも心が乱れているのに、その人はもういないのに、みんなは楽しげで、どうして?」という怒りが感じられます。
「行列」は、葬列を示唆している可能性があります。
愛する人を送り出す最後の式典に、喪服を纏った人々の中で、彼女はまだ喪失を受け入れられずに、白い服で距離を置いています。
歌詞に深く没入すると、この部分で聴き手は曲の世界に完全に引き込まれ、呆然とするほどです。
今日みたく雨ならきっと泣けてた
このフレーズを聞いた瞬間、私は鳥肌が立ちました。
ただの哀しいメロディに思えていたその瞬間に、回想であることと、「Raining」という曲名の意味が強烈に打ち明けられます。
曲全体を通して雨に言及するのは、この一箇所だけですが、その瞬間が、盛り上がる音楽と共に強烈な印象を残します。
晴れた風景を思い起こさせながらも、最終的には雨を想起させる曲名。
シンプルながらも深い物語を紡ぎ出すこの作りは、現代の音楽シーンでは類を見ないものがあります。
その後、最初のサビのフレーズが繰り返され、曲はアウトロへと流れていきます。
歌詞を考える必要もなく、彼女が突然の別れによって静かな混乱の中にいること、未来を受け入れられない心情と、亡くなった人への深い思いが彼女を支えていることが感じられます。
その記憶を胸に、彼女は生きていけるという強い感覚があります。
彼女が現在どのような気持ちで生活しているかは明確には語られませんが、アウトロでかすかに聞こえるスキャットからは、過去を乗り越え、生き延びることができたという静かな満足感が伝わってきます。
彼女はこれからもその日の記憶を大切にしながら生きていくでしょう。
重要な人への思いを胸に、常に。