2014年にリリースされたフレデリックの「オドループ」は、大ヒットしました。
その独特な世界観とシュールなダンスは、多くの人々を魅了し、熱狂的なファンを生み出しました。
「オドループ」の歌詞は一見、単純に「踊りたい」と繰り返すだけのように見えますが、実はその奥には深い意味が込められています。
もしその本当の意味に興味がありましたら、ぜひこの記事を読んでいただきたいです!
曲の中毒性と共にタイアップも後押しし大ヒット
フレデリックというロックバンドを聞いたことがある方なら、おそらく「オドループ」という曲を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
この曲は、2014年に邦楽ロック界を席巻した大ヒット作品でした。
当時、その特異なフレーズは聴く人を魅了し、多くの中毒者を生み出しました。
ミュージックビデオも、シュールな世界観を持ったダンスが特徴的でした。
歌詞を見ると、踊りに関連する言葉が全編にわたって使用されているのが印象的です。
さらに、タイトル自体も「踊る」という意味の言葉が含まれています。
しかし、実際にはこの曲のタイトルは、奇妙を意味する「odd」と、輪を意味する「loop」を組み合わせた造語だそうです。
「オドループ」は、軽快で踊りが好きな人のための曲として聞こえるかもしれませんが、実際にはそれだけではありません。
この曲の歌詞には、当時の社会に対する特定のメッセージが込められていました。
個性的な歌詞の背後に隠されたメッセージを解読してみましょう。
「オドループ」という曲は、アニメ『山田くんと七人の魔女』のOAD版のエンディング曲として使用されました。
物語は、不良少年だった主人公がある女の子とキスをしたことで体が入れ替わるというものです。
この作品は、OAD以外にもアニメ化やドラマ化もされた人気の漫画作品です。
「オドループ」は、OADの第1話で使用されましたが、この作品自体が話題になったため、曲の知名度を上げる一因となったかもしれません。
さらに、この曲はユニクロのCMでも使用され、そこでも大きな注目を集めました。
踊りたくても踊れない
過去の日本では、戦後から2010年を過ぎても、クラブやライブハウスでの踊りは法律で制限されていました。
この制限は「風営法」と呼ばれ、売春などの悪質な行為を抑制するために設けられたものでした。
当時の店舗側も、客に踊らせることは許可されていませんでした。
ただし、この制約は一部の場所では破られ、踊ることが黙認されていた時期もありました。
しかし、2010年頃から警察が踊らせるお店に対して取り締まりを強化し始めたため、お店側も無視するわけにはいきませんでした。
踊りたい気持ちを抱えながらも、実際には踊ることができない状況が長い間続いていました。
「オドループ」の前半では、この事実を皮肉交じりに歌っているのです。
踊ってるだけで退場
それをそっかそっかっていって
お幸せについて討論
何が正義なんかって思う
生意気そうにガム噛んで
それもいいないいなって思う
テレスコープ越しの感情
ロッカーに全部詰め込んだ
「風営法」の改正により、クラブやライブハウスでの踊りが許可されたのは、比較的最近の2016年のことです。
一方、「オドループ」のリリースは2014年であり、改定前の時期に当たります。
当時は、クラブやライブハウスで踊るだけで、即座に退出させられてしまう状況でした。
主人公はこの事実に対して「なるほど」とは受け入れることを望みませんでした。
クラブやライブハウスは、見ているだけではなく踊って楽しむ場所であるべきです。
では、なぜ踊ることが禁止されてしまったのか、この場所は一体何のために存在するのでしょうか。
実際に踊りを禁止しても、問題が解決されるのか疑わしいところです。
法律はその国の正義であるべきですが、「風営法」については、「これのどこに正義があるのか?」という疑問の声もあったでしょう。
「テレスコープ」という言葉は望遠鏡を指しています。
この法律に対する怒りや不満は、心の奥底に存在しているのではないでしょうか。
それが望遠鏡を使わなければ見えないような場所に隠されているのです。
ただし、クラブやライブハウスに行くと、この感情が楽しむことを妨げる可能性があります。
そのため、今はこの感情をロッカーにしまって楽しむことにするのです。
踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らない
踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らないよ
気に入らない夜なんてもう僕は知らない
踊ってない夜がない夜なんて
とってもとっても退屈です
主人公は夜には踊りたくてたまらない気持ちです。
家で一人で踊るよりも、クラブやライブハウスで踊れば楽しさも盛り上がりも倍増します。
しかし、現実の制約によって踊ることが禁じられ、毎晩「踊ってない夜」を過ごさなければなりません。
踊りたいのに抑制される現状に、主人公は不満を抱いています。
彼は「もう嫌だ!」と現状を嘆きます。
しかし、一方的に「踊ってない夜」を否定しているわけではありません。
それが最後の二行の歌詞です。
具体的には、彼は「踊っている夜」を指しています。
つまり、毎晩踊っている状態では逆に、退屈だと感じているのです。
「さっき踊ってない夜が気に入らないって言ったじゃん!」と矛盾しているように思えるかもしれませんが、どういう意図があるのでしょうか。
恐らく主人公は踊りたいけれど、必ずしも毎晩踊りたいわけではないのかもしれません。
毎晩踊ることは疲れるし、何よりも飽きてしまいます。
踊りたい時に踊り、踊りたくない時は踊らない。
踊らない夜も存在しても良いのです。
そしてもう一つ、このフレーズには風営法への批判も含まれているのでしょう。
風営法の改定が遅れており、時代にそぐわない法律であると感じられました。
2014年なら改定の議論も出ていたはずです。
しかし、主人公にはその議論に価値を見出すことはありませんでした。
彼はただ制約の緩和を望んでいるのです。
そのため、毎晩無駄な議論を繰り返すことが、「踊っている」と表現されているように思えます。
自由に踊る楽しさ
主人公は踊りたくてたまらないが、どうしても踊ることができず、つまらない夜を過ごしていました。
しかし、そんな彼のもとにある機会が訪れます。
それは、彼が踊れるようになるかもしれないチャンスなのでしょうか。
思ってるだけで行動
きっとNIGHT音楽も踊る
タンスでダンスする現状
これはチャンスなんかって思う
主人公は踊りたいと思っているけれど、どうしても踊る機会がなく、つまらない夜を過ごしていました。
しかしそんな彼に、あるチャンスが訪れます。
それは「タンスでダンス」するという奇妙な状況です。
最初は意味不明で混乱してしまいますが、タンスは踊るための小道具でもなく、ステージでもありません。
社交界風に腕を回しても、タンスは回ってくれませんし、重たくて動かすこともできません。
つまり、クラブやライブハウスがタンスのような状態になってしまっているのかもしれません。
踊るべき場所が本来の役割を果たせないという、不完全な状況です。
これは非常に悲しいことです。
そんな中、他の人たちもこの矛盾に気づき始めます。
踊るべき場所が踊れない状況にあることに、彼らも疑問を抱くでしょう。
主人公はこの状況を見て、「これはチャンスかもしれない」と感じます。
「踊れる夜」が近づいている兆候なのかもしれません。
カスタネットがほらたんたん
たたたたんたたんたんたたんたん
踊ってない夜を知らない人とか
この世に一人もございません
クラブやライブハウスでは通常、踊りの中でカスタネットを使うことはあまりありません。
しかし、実際にはカスタネットを取り入れることも可能です。
実際に存在する踊りでもありますし、カスタネットは楽器演奏が苦手な人や子供でも気軽に楽しめる楽器です。
歌詞の3行目と4行目から察すると、カスタネットをリズム良く鳴らせば誰もが踊り出すことができるのかもしれません。
「踊りの楽しさを知らない人はいない」という意味を表現したいのかもしれません。
クラブやライブハウスに行かない人でも、自由に踊る楽しさは理解できるのではないでしょうか。
主人公は「世の中の人々からその楽しみを奪ってはならない!」と憤慨しているのかもしれません。
やりたいことがやれる世の中に
主人公にとって、踊りは欠かせない人生の一部です。
現在は踊ることができなくても、いつか再び踊れる日を願っています。
しかし、本当に大切なものは踊ることではありません。
主人公にとって、踊る以上に尊重すべき価値とは何でしょうか。
いつも待ってる ダンスホールは待ってる
変わってく 変わってく 傷だらけでも待ってる
ほら踊ってる ダンスホールの未来に
色を塗って生きるのは あなた あなた
「ダンスは笑顔で待ってる」
時代の変遷の中でも、ダンスホールは、お客さんを待っています。
法律の制約により、踊りを楽しむことができず、時には傷つくこともあるでしょう。
場合によってはダンスホールが物置やタンスの置き場にされてしまうこともあります。
それでも、ダンスホールはお客さんが踊る場所であり続けます。
長い時間をかけて、踊ってくれる人を待っています。
なぜなら、踊れない現在でも、来てくれるお客さんが存在するからです。
お客さんがいることでダンスホールは営業を続けることができます。
そして、未来には鮮やかな色彩を与えることで、ダンスホールの将来が明るく輝くようになるのです。
踊ってたい夜を知りたい
踊ってたい夜を気に入りたい
踊ってたい夜を知りたい
踊ってない夜が気に入らないよ
気に入らない夜なんてもう僕は知らない
踊ってたい夜に泣いてるなんて
とってもとっても退屈です
踊ってたい夜が大切なんです
とってもとってもとっても大切です
「踊りたいな」という思いでダンスホールがある場所に向かうことは、とても幸せな瞬間でしょう。
なぜなら、歌詞の世界では踊ることができないからです。
しかし、そのために「こんな夜は踊りたい、クラブで踊りたい!」と思い立つ夜がとても懐かしく感じられます。
主人公にとって真に望ましいのは「踊ること」ではなく、踊ることを望んで向かえる夜の到来です。
「踊りたい」と思っても法律の制約により踊れないことは退屈です。
主人公が大切にしているのは、自らの意志で踊りに行くことができる夜です。
「やりたいからやる」という願いが叶う世界は、実は非常に貴重なものなのかもしれません。
表面だけ見ても真意はわからない
「オドループ」は非常に人気のある曲であるため、批判も多いようです。
リリースから5年以上が経過しても、「踊りたいだけで内容がない曲」という揶揄を受けることが多いそうです。
しかし、この批判に対して作詞作曲を手掛けたフレデリックのメンバー、三原康司さんがTwitterで反論しました。
三原さんは断固として「踊っていない夜も肯定している」と主張しています。
未だに曲の表面だけさらって「ただ踊りたいだけの曲」「踊ってない夜のが好きだわ」とか言ってくる人おるけど「踊ってない夜がない夜なんてとってもとっても退屈です」っていう踊ってない夜も肯定してる歌詞にいつ気付くんやろ?ってここ5年くらい感じていますよ。
「オドループ」は単なる「踊りたいだけの曲」ではなく、内に強いメッセージ性が込められた曲です。
また、特に好きではないとしても、「踊ってない夜」の存在を肯定する歌詞があります。
好みや肯定否定は別の話ですからね。
曲がシンプルな言葉で構成されているため、その意味が分かりにくいかもしれませんが…。
実際には、非常に深いメッセージがその中に込められています。
「オドループ」は表面だけを見ていると真の意図が伝わらないということを改めて思わせてくれます。
曲をより深く理解するためには、その中に込められたメッセージにも目を向ける必要があります。
まとめ
フレデリックの大ヒット曲「オドループ」の歌詞について解説しました。
この曲はシンプルで耳に残りやすい一方で、非常に深いメッセージを秘めています。
現在、風営法は緩和され、クラブやライブハウスでの踊りが許されるようになりました。
しかし、それによって「踊りたいのに踊れない」という嘆きが完全に解消されたわけではありません。
まだまだ法律の壁によって踊れない場所が存在する可能性もあります。
「オドループ」が描く皮肉は、今後も社会に影響を与え続けるでしょう。