直接的な言葉によるメッセージ・ソングで世代の代弁者となったザ・ブルーハーツに対し、それを意図的に抑えた抽象度の高い作詞が目立ったザ・ハイロウズ。
それだけに、その解釈が議論の的となりがちなザ・ハイロウズの楽曲群の中でも、特にはっきりとした答えの出ていないのが、今回のテーマとなる「マミー」です。
2002年発表の7thアルバム『angel beetle』に収録され、マーシーこと真島昌利による詞曲の楽曲となっています。
マーシーらしいノスタルジックなスロウバラードに乗せたこの曲の歌詞は、まずそのまま書かれた詩を読んでみても、その抽象度の高さ故に、ダイレクトには意味やメッセージとして読み取ることができません。
ファンの間でも、ハイロウズ特有の意味を持たせてない言葉遊びと解釈する人もいれば、メタファー(暗喩)として歌詞を読み取る人も多くいます。
ではその歌詞を見ながら、考え得る範囲で読み解きをしていきましょう。
マミーの腕に とまった蝉が 鳴きだしたよ 太陽のしずく
タイトルにもなっている「マミー」という言葉から歌は始まります。
この”マミー”は、ファンの間ではミイラもしくは母親として広く理解されていますし、確かにそのいずれかくらいしか当てはまるものは見当もつきませんので、そのいずれかという前提で読み進めていこうと思います。
CTスキャン されたりなんだ 俺とマミー 柳には風が
ミイラだとしても母親だとしても、この「CTスキャン されたりなんだ」についてはしっくりとくる見立てがたてられません…。(描写としては、どちらかと言えばネガティブな状況を伝えるものとは思えますが。)
世紀が揺れてる みの虫のよう 雪豹の歯が なさけなく尖る
「やなぎには風が」に「揺れてる みの虫のよう」という言葉が続くので、ここは言葉通りに”世の中や環境が揺れる(変化する)”と解釈ができます。
唐突に出てくる「雪豹」については、個体数の減少する”危うい存在”のメタファーとも解釈できますし、毛皮や爪に加え、陰茎も取引されている動物ということから、”世紀”と”性器”をかけた彼ららしい言葉遊び的なユーモアとも捉える事もできそうです。
マミー その布をちょっぴりわけてくれよ 血を拭きたいんだ
ここで多くのファンが”ミイラ”と解釈する理由が分かります。
「血を拭きたいんだ」からは、自身の傷心を連想できますし、「その布をちょっぴりわけてくれよ」からは、慰めを求める心情を察する事もできます。
同時に、”その布”からはミイラを連想できますが、言葉通りに”マミー”つまり母親からの愛情を求めていると解釈もできるかもしれません。
マミーの腕に とまった蝉が 鳴きだしたよ 太陽のしずく
バオンとうなる 風をたぐって その隙間で みるみると眠る
非凡さを感じるこの箇所のワードセンスは、メロディに乗せる言葉として白眉です。
意味としてはやはり、「バオンとうなる風」というのは世の中や環境の強烈な変化を暗喩した表現のように思えます。
世紀が揺れてる 畳の匂い 咽喉も乾くし 腹も減るのだよ
この一節は、”生”つまり、ミイラの対比として、自身はこの世に生きているという実感を示唆しているのでしょう。
世紀が揺れてる 俺は生きてる それはたしかで あとはどうだろう?
ここまで”風”で表現してきた大きな変化の中、自身は確かに”生きている”とした上で、その事以外には確かな実感が持ててはいない様子が浮かび上がります。
と、読み解くにも非常に難解な歌詞になりますが、ここで挙げた解釈をまとめると、目まぐるしく変わる激動の環境下で、かろうじて生の実感だけを残すアパシー(無関心・無感動・無気力)的な存在と、その者が抱えた虚無を歌っているようにも思えます。
そう捉えると、ここで使われている“マミー”については、”生”の対比としてのミイラでもあり、抱えた虚無の救済を求める対象としての母親というダブルミーニングなのかもしれません。
だとすると、テーマとしてはかなり物寂しい歌ですが、歌詞としてはそれをほとんど感じさせない言葉遊びの羅列のように聴かせているのは、マーシーやザ・ハイロウズの類い稀なバランス感覚のなせる業ですし、ある意味では彼らの真骨頂といったところでしょう。
もちろん、ここで挙げた解釈は一つの推測でしかありませんので、各々で解釈をしてそれを語り合うのも音楽の楽しみ方ですし、それも見越して「意味なんてないよー。」とひっくり返してくれそうなのも、ヒロトやマーシーの魅力ですよね。笑