【命日/ちゃんみな】歌詞の意味を考察、解釈する。

今回、おすすめしたい楽曲はちゃんみなさんの「命日」です。
この歌の歌詞の深い意味を考察し、曲が伝えるべきメッセージに焦点を当てます。

聞けば聞くほどにミステリアス

2016年にデビューした、「練馬のビヨンセ」と呼ばれる日本の女性ヒップホップアーティスト、ちゃんみなさんが、テレビ朝日系のドラマ「ハヤブサ消防団」の主題歌として書き下ろし、発表したこの曲。

リリースされた音源からの印象を伝えますと、この曲は人間社会の暗い側面をメロディーラインを通じて表現しており、聴いている人々に深い感銘を与えるでしょう。
特にサビの後半部分は、夢の中で揺れる感情を思い起こさせ、ちゃんみなさんの歌声はまるで冥府から湧き上がる叫びのようで、聞けば聞くほどにミステリアスな世界に引き込まれます。

本質を探求し、闇に立ち向かう決意

それでは、歌詞の考察に移りましょう。
歌詞は現実世界をある意味で映し出しているかのようです。
一緒に詳細を探っていきましょう。

明日さえも惜しい年頃なの

いつかは来る終わりを待ってるの

指の隙間から 溢れ落ちてる時間を

お前なんかに 捧げ差下げ捧げらんないわ

命日もバースデーもないんだから

「捧げ」と「差下げ」が交差するフレーズが歌詞に登場しますが、これが単なる言葉遊びではなく、深い意味を持つ可能性があることを考慮すべきだと、筆者は判断しました。
そこで、このフレーズについて掘り下げてみましょう。

「差下げ」という表現は日本語には存在しませんが、その文脈からは「格差」といった概念が連想されます。
このフレーズは、個人や人間性ではなく、お金や権力などの要素に関連しており、欲望や堕落した価値観を持つ人々が崇拝すべき対象を持たないといった感情が反映されている可能性が考えられます。

「命日もバースデーもないんだから」というフレーズは、自身の存在と時間に関して、他人に左右されずに現在を生き抜くことへの強い意志や、他者の期待や時間軸に縛られずに自分自身を貫くという感情を表現しています。
これは、他人の期待や社会のプレッシャーに追い詰められた人々の内面から湧き上がる叫びや魂の表現と捉えられるでしょう。

果て無く嫌ってた

世間、悪 見てたあの背中

なんて邪悪

お前の正体は

今は遠く walk through

まだ死ねないわ

サビの部分は後で考察しますので、今は2番以降の歌詞にフォーカスしましょう。

この頃感じる焦りはなんだろう

二十四、五、六は溶けやすいだろう

気をつけなくちゃ

歌詞に登場する「二十四、五、六は溶けやすい」という表現は、年齢が24歳から26歳の範囲にあることから、社会的背景や経験が増え、様々な可能性や選択肢が広がる「適齢期」にあることを指していると考えられます。

周囲が「経済的な独立」や「結婚」に焦点を当てる中、自分も何とかしなければという気持ちが芽生え、将来に向けて明るい展望を持とうとすると、その過程で「将来のために」とか「素晴らしい未来を築くために」といった前向きな言葉の下で、お金や精神的な面で影響を受けやすい「魔の手」に囚われる状況を、「溶けやすい」と表現していると考えることができます。

ママがちょいちょい言っていた

いつかお前がお前である時が来る

だけどそんなんは

あっという間いっという間うっという間

命日もバースデーもないんだから

「あっという間」「いっという間」「うっという間」というフレーズは、言葉遊びの一部として用いられていますが、その背後にあるメッセージは「もうすぐ現実に迫っている」という切迫感を表現していると、筆者は考察しています。

行く宛 なく歩いた

欲しいもんは そっちからよこしてと

当たり前だ 私高いから

今はヤング 十分払いたくないわ

未来に向かってどこへ進もうとしているのか、またどの方向に導かれるのか、その答えは自身の内に存在しています。

要約すると、堅実で確固たる信念を持って、自分が正しいと信じる道を自信を持って進んでいく、といったメッセージが込められているのかもしれません。

さて、楽曲の展開がブリッジ部分に差し掛かりましたので、この部分を詳しく見ていきましょう。

嫌気がさす

こんな世の中の為

戦う私は報われるのかしら

ブリッジ部分の歌詞は、これまでの歌詞とは異なり、社会の歪みや暗部を描写しており、金銭や欲望に囚われ、美辞麗句にだまされ、自己を見失った人々が闇に取り込まれていく様子を表現しています。
このような社会で生き抜く中で、自分を信じて立ち向かうことが正しいのか、という疑問や葛藤が感じられます。

しかし、この部分は「憂い」を含む感情を逆転させ、同じ志を持つ仲間が存在し、流されずに自分自身を信じて立ち向かう理由があることを示唆しているとも解釈できます。
自分自身が、この世の中に立ち向かう価値があることを確信していると言えるでしょう。

それでは、サビ(大サビ)部分の考察に移りましょう!

果て無く嫌ってた

世間、悪 見てたあの背中

なんて邪悪

お前の正体は

今は遠く walk through

まだ死ねないわ

これまで不快に感じていた歪んだ社会や邪悪な側面に取り込まれた人々が、善人のふりをして私たちの心に入り込もうとしています。
彼らは私たちに対して、「こっちに来て、何も考えなくていいよ。楽しいことが待っているよ~」と誘惑してきます。
しかし、彼らの空虚な視線や半笑いの表情は、邪悪そのものを示しています。

私たちは何が正しく、何が間違っているのかを考えずに、事の本質を無視し、彼らに身を委ねるべきではありません。
冗談ではありません!
私たちは生まれながらにして人間として生き、多くの人々から愛されて育まれてきました。
だからこそ、このような社会の中でも私たちは自分自身を裏切ることはできません。

なぜなら、今を生きる一瞬がすべてが私たちの「命日」へと続いているからです。
私たちには自分自身で生きる権利があり、他人によってその権利を奪われることはありません。
また、周りに流されて甘い言葉に騙される義務もありません。
単純に、私たちは自分らしくいたいだけなのです。

しかし、他人の苦痛や苦しみを理解できなくなった瞬間、私たちの人間性は危機に瀕します。
その反対に、他人の痛みや苦しみを共感し、共に乗り越えることができる瞬間は、現世における「変革」の始まりとなるのです。

夢とか希望も I don’t feel 辛い

誰かと結ばれるの? till I die

見て現世界 価値がある?ない?

1人で生きていくので精一杯

You know what

気付けばもうだいぶ歩いた

Ride or Die うっせぇ it’s my life

致すイカす生かす死なすの?

私は私で私を生かす

(嫌気がさすこんな世の中の為

戦う私は報われるのかしら)

楽曲のタイトルである「命日」には、確かに深い意味が込められています。
この言葉は、亡くなった人の特別な日を指すものであり、その解釈は人によって異なります。
一方で、転生を信じる人々にとっては「新しい生まれ変わりの日」とも考えられるかもしれません。

歌詞やドラマのコンテクストを考えると、「命日」という言葉が指すものは、単に個人の死亡日だけではなく、より大きなスケールで捉えるべきかもしれません。
物語の核心には、のどかな集落で発生する謎の事件や、その背後に広がる闇が存在しています。
この闇は、単に個人の死とは関係なく、集落全体の存続にも影響を与える可能性があります。

この歌は、その本質を探求し、闇に立ち向かう決意を表現しています。
そして、この闇を打ち砕くことで、新たな可能性が生まれ、集落を前進させる力となるかもしれません。
そのため、「命日が示すのは滅亡か、それとも革命か」という疑問が、この楽曲が伝えたいメッセージの核心を捉えていると言えるでしょう。