時々飛び出すくるり流ユーモア
くるりはユーモアを持ち合わせたバンドである。
ふざけているのではなく、まるでコントユニット・ラーメンズがこれ以上無いほど馬鹿馬鹿しい事をこれ以上無いほど真面目に表現し、一つの芸術に仕上げるかのようなユーモアがくるりからは時々出てくる。
シングル「青い空」のPVでは激情ギターロックという曲調とはまるで関係のない、メンバーがプールで泳ぎ、体を触り合うというなんとも気色の悪い映像を差し込んできたし、発表してきた楽曲のタイトルも「目玉のおやじ」「石、転がっといたらええやん」「メェメェ」などはどういう狙いなのか解釈に困るほどである。
ツアータイトルは「くるりライブツアー~三日で激ヤセ 驚異のキノコパワー~」や「くるりワンマンライブツアー2012〜国民の性欲が第一〜」その他のツアータイトルも挙げきれないほど多くのふざけた、いやユーモアに溢れたタイトルが目白押しである。
同じくユーモアを持ち合わせたバンドにユニコーンがいるが、ユニコーンはどちらかというとメンバーの等身大そのままという印象がある。
くるりは何かを狙って演じているのである。
この「益荒男(ますらお)さん」は、雑食なくるりには珍しく今まであまり出してこなかった剽軽なスカの曲調に乗せて一聴しただけでは何のことやらわからない歌詞が羅列されるよくわからない歌である。
岸田繁は何を狙ってこの曲を書いたのか。
歌詞を考察してみれば何かわかるかも知れない。
益荒男さん=現代を生きる男性?
益荒男さんなら
踏んだり蹴ったりしても
大丈ばないよね……ごめんごめん
武士かくあるべし!みたいな
標準的男性のサイズ感は
ほらジャスト
時代はジェンダーである。
男は家事と育児を、女は仕事をしましょう、の時代である。
ジェンダーをテーマにした歌といえばさだまさしの「関白宣言」がある。
「関白宣言」が発表されたのは今から42年前、1979年の事である。
その頃はジェンダーだのLGBTだのという言葉はなかった。
なかったと思う。
多分なかったんじゃないかな。
ま、ちょっと似たような言葉はあったかもしれない。
「フェミニズム」という言葉が市民権を得たのはウーマン・リブ運動がアメリカで巻き起こった1960年代後半~1970年代にかけてである。
その波が日本にも来ていたかもしれない。
当時でさえ「関白宣言」は男尊女卑だとさだまさしは叩かれたのである。
「関白宣言」は決して男尊女卑ではなくこれ以上無いほどの愛に満ちた美しい歌なのだが、召使いのように妻を扱う夫、と大いに誤解をされた。
その事を反省したのかしてないのかは定かではないが、さだまさしはアンサーソングとなる「関白失脚」を発表。
「関白宣言」とは一転して情けないお父さん像を描いてみせた。
昭和の父親像は崩壊し、頑固親父はテレビの中だけに存在するようになった。
「益荒男」は「丈夫」とも書く。
読みは同じである。
語源は中国語で、「1丈(約180センチメートル)」の身の丈を持つ立派な男、という意味である。
更に立派な男を表す言葉として「大丈夫」がある。
現代日本では「問題ない」というようなニュアンスを持つ言葉ではあるが、元は「丈夫」をより強くした男、という意味であった。
勿論、踏んでも蹴ってもびくともしない、それが「益荒男」である。
現代の「益荒男さん」は踏んでも蹴っても大丈ばないようである。
男らしいという価値観は過去のものとなり、男だって痛いし泣くし弱音も吐く時代となった。
「標準的男性のサイズ感」は背伸びをしない現代の男性像を描いたものではないだろうか。
引用元であるオッペケペー節と同様に政治風刺の歌?
米価騰貴の こんにちに
細民困窮 省らず
目深に被ってる プライドの陰から
慈悲なき慾心 桜散る
この「益荒男さん」の歌詞は全編において明治時代の流行歌「オッペケペー節」が引用されている。
「オッペケペー節」は世の中を、特に政治を風刺した作品で、作詞及び歌唱をした川上音二郎は何度も政府に逮捕され投獄された。
「益荒男さん」では直接的な風刺はないものの、Aメロでは男性像の変化、このサビでは米価つまり経済の指標として現代では株価に置き換え、株価は上がるも格差は広がる、そして「桜を見る会」を揶揄して間接的な政府風刺を行っているのではないだろうか。
痛勤電車もなんのその
おいどけよこの野郎!
スーツケースのバービーが
くっさいくっさいパフューム振り撒き
ピンヒールが
益荒男のピンポイント突きまくり
満員電車は現代における庶民的な問題の一つである。
兎角電車内というのはパーソナルスペースも保ちづらく、価値観の違う人間同士がゼロ距離でぎゅうぎゅう詰めになるため、自分の身を守るために身勝手になる人間も多い。
駆け込み乗車、割り込み乗車、痴漢、音漏れ、挙げればきりがないマナー違反の数々は出勤前から我々のエネルギーを大きく消耗する。
おじさん達は黙って耐え忍ぶ益荒男さんとなるが、乗り合わせたギャルが今からどこかに旅行にでも行くのか大きなスーツケースを転がして電車に乗り込む。
きつい香水の匂いに苛々する益荒男さんではあるが、若々しい肉体を持ったピンヒールギャルにしっかり一抹の興奮を覚える益荒男さんであった。
デゼニランドの 鼠の口元が
への字に曲がる「平成」
なんとか 終わりの頃からは
V字を夢見て谷間からポロリン
デゼニランドの鼠とはミッキーマウスの事であろうか。
デゼニは「出銭」とも読める。
出銭がへの字、つまり下降傾向にあるというのは平成の初期に沸き起こったバブル景気を指しているのではないだろうか。
「終わりの頃から」V字の景気回復を夢見る、というのは2013年より行われた安倍晋三元首相主導による経済政策「アベノミクス」を指しているのではないかと思われる。
先程触れられている通り、株価は上昇し続けているものの景気がよくなっているという印象はない、という現実が「谷間からポロリン」という一節から連想される。
オッペケペーの時代
おめかけぜうさんごんざゐに
権利と幸福だーい嫌いな東院さん
オッペケペッポー ペッポーポー
オッペケペッポー ペッポーポー
上部の飾りと思想の欠乏
「東院さん」は「党員さん」を指しているのだろうか。
口では綺麗事を、「権利と幸福」を口にするが、その実本気で取り組む思想などなく、できれば飾りで楽しくやれればいい、という政治批判が込められている。
益荒男さんは やる気をなくすと
周りの馬鹿にばっか 頼ったりするね
わりかし繊細 検査の詳細
標準的日本人より数ポイント低い
やる気を無くす、というのは心を病む事の比喩ではないだろうか。
ちょっとしたことで深く傷つき、他人を損ない、時には自分さえも殺してしまう事件が多く報じられる現代では「益荒男さん」は繊細に扱わなければいけない、と歌っているのではないだろうか。
デゼニランドの 鼠の口元が
わろてる わろてる
丁度終わりの ベルが鳴り終わるよ
りんりんりん りんりんりん 出口へ急げ
オッペケペーの時代
おめかけぜうさんごんざゐに
権利と幸福デフォルトの当院さん
オッペケペッポー ペッポーポー
オッペケペッポー ペッポーポー
心に自由の種を蒔け
デゼニランドの鼠は金になればそれでいいのである。
アメリカで生まれた陽気なネズミは世界に広まり、圧倒的景気に湧く中国へ進出した。
昨今では若干の陰りは見えるものの、世界のトップを走っていたアメリカに追いつく勢いである。
いや、最早潜在的には追いついているのかも知れない。
あらゆる分野で影響力を発揮しているアメリカだが、世界は既に中国なしでは回らないほど重要な国へと発達した。
アメリカ時代の終わりのベルは鳴り響いている。
救われるにはアメリカでも中国でもない、心に自由の種を蒔く事が必要ではないだろうか。
政治風刺か、応援歌か
冒頭でさだまさしの「関白失脚」を「情けないお父さんの歌」と紹介したが、「関白失脚」は後半から希望を歌ったメッセージソングへと変化する。
がんばれ
がんばれ
がんばれ、みんな
関白失脚
「心に自由の種を蒔け」という一節は、この「益荒男さん」という歌も「関白失脚」と同様、現代を生きる益荒男さんに向けての応援歌ではないだろうか、という推察とともに、この考察の締めくくりとしたい。