【氷の世界/井上陽水】歌詞の意味を考察、解釈する。

井上陽水は、独自の世界観を持ち、感情的な歌詞で知られるシンガーソングライターです。
彼は「夢の中へ」や「氷の世界」といった曲でヒットを飛ばしており、その作品は多くの人々に愛されています。
今回は特に「氷の世界」という曲に焦点を当てて、その歌詞の解釈を試みたいと思います。

「氷の世界」は、作詞・作曲ともに井上陽水による楽曲です。
しかし、井上陽水自身も、「なぜそんな歌詞やフレーズを書いたのか分からない」と述べていたことがあります。

その歌詞を解き明かしてみると、半世紀以上が経過した今でも通じる要素があることが分かります。
むしろ、このような時代だからこそ、その歌詞がより理解されるのかもしれません。
それは、ひとりの男性の孤独が隠されていると言えるでしょう。

独特な表現と世界観

現役のシンガーソングライターで、福岡県出身の井上陽水。

彼は1969年に「アンドレ・カンドレ」という名前でレコードデビューしましたが、1972年に井上陽水と改名して再デビューしました。
その後、1stアルバム「断絶」とシングル「傘がない」は高い評価を得ました。

特に1990年に発表された「少年時代」という曲は、夏の思い出を描いたもので、ミリオンセラーとなりました。
この曲は、井上陽水のカラオケランキングや歌詞検索サイトのランキングでも1位を獲得しています。
また、「風あざみ」というキャッチーなフレーズや、井上陽水と共に作曲を手掛けた平井夏美による印象的なイントロも特徴的です。

井上陽水は自身の作詞・作曲だけでなく、他のアーティストへの歌詞提供や楽曲提供も多く行っています。

さらに、2019年時点ではデビュー50周年記念ライブツアー「光陰矢の如し 少年老いやすく学成り難し」が大成功を収めました。


井上陽水の作品の魅力は、フォーク、ロック、ブルース、歌謡曲などのジャンルに捉われない、彼独自の世界観にあります。

彼の音楽は形にとらわれず、他の人間では生み出せない独特なものであり、同世代の若者たちから支持を受け、ヒットしました。

彼の歌詞には比喩表現や造語が頻繁に使われており、初めは難解に見えるかもしれません。

しかし、一度その歌詞を解き明かしてみると、彼の楽曲や歌詞の世界には、誰もが共感する普遍的な感情や身近な出来事が溢れています。

彼の視点や表現は独特ですが、井上陽水自身も私たちと同じ世界で生き、同じように考えているのだと感じられます。

これが井上陽水の楽曲が愛される理由の一つなのです。

歌詞の意味を解き明かす

窓の外ではリンゴ売り
声をからしてリンゴ売り
きっと 誰かがふざけて
リンゴ売りのまねを
しているだけなんだろう

「リンゴ売り」という歌詞。
リスナーの心を掴むために重要な歌い出し部分です。

正直言って、最初はその意味が理解できないかもしれません。

しかし、その謎めいた歌詞によって、興味を持ち、続きを知りたくなるのです。

この段階で、リスナーは巧妙に「氷の世界」に迷い込まされてしまいます。

そして後になって、この曲の全体像が明らかになると、そのフレーズが持つ意味に気づくことでしょう。

僕のTVは寒さで
画期的な色になり
とても醜いあの娘を
グッと魅力的な
娘にしてすぐ消えた

カラーテレビを指している可能性が考えられます。

当時、東京オリンピック以降に各家庭のテレビがカラー化される動きが進みましたが、実際に一般的に普及したのは1970年前後の頃です。

「寒さで画期的な色になる」という表現は、井上陽水らしいセンスを感じますね。


誰か指切りしようよ
僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから
今日は一日
はりつめた気持でいたい
小指が僕にからんで
動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし
僕もそんなに
悪い気はしないはずだよ

2番の歌詞から、主人公の姿が少しずつ明らかになってきます。

指切りは、相手がいなければ成立しない関係性です。

「今日は一日はりつめた気持ちでいたい」という言葉から、主人公は普段はあまり一生懸命な態度を取らない、自堕落な生活を送っていることが窺えます。

指切りや約束、予定などが存在しない生活は、一見自由なように見えますが、実際には虚無感や孤独さが漂っています。

「軽い嘘でもいいから」
「みんな笑ってくれるし」

自分自身を卑下するような表現を使いながらも、他者とのつながりを求める強い願いが感じられます。

流れてゆくのは
時間だけなのか
涙だけなのか

主人公は一人で、狭い部屋の中でテレビしかない日々を過ごしているのかもしれません。

歌詞を読むほどに、彼の孤独な姿が浮かんできます。

井上陽水をそうさせた理由は何なのか、その理由について考えさせられます。

冒頭で「今年の寒さは記録的なもの」と述べられていますが、それによって昨年の冬との違いを思い描かせられます。


人を傷つけたいな
誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は
やっぱり ただ自分が
恐いだけなんだな

「人を傷つけたい」という言葉は、井上陽水だけでなく、誰しもが心の奥底で感じることのある感情です。

このような思いを抱きながらも、言葉にはできないし、口に出せない。

それが人々の生き方であり、井上陽水はそれをさらっと歌にしてしまうのです。

彼の歌は、一見すると何のつながりもないような難解な世界に見えますが、実は私たちの共通の感情を映し出しているのかもしれません。

そのやさしさを秘かに
胸にいだいてる人は
いつか ノーベル賞でも
もらうつもりで
ガンバッてるんじゃ
ないのか

台詞の終わりに疑問符を付け、純粋な驚きと共に「エライヒト」に問いかけるような表現が特徴的です。

敬意を込めつつも、静かに皮肉を込めているようにも感じられます。

「やさしさ」を「ガンバッている」と表現することで、悪いことを考えない人や純粋に優しい人が存在しないという、主人公の寂しい心情が浮かび上がります。


これまでの解説からも明らかなように、この曲の主人公は孤独であり、人間に対して疑心暗鬼になっています。
「なぜそれほどまでに?」というほどです。

窓の外にいるリンゴ売り(果たしてリンゴ売りが存在するのかは不明ですが)さえも、「リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう」と細かなことまで疑い、外の世界を確かめようとせず、できない男性です。

井上陽水が感じている寒さの一つは、外の世界という恐ろしく冷たいもの(と彼が思い込んでいる)です。

人はみな誰かを傷つけたいと思い、そう思わない人はただその心を隠しているだけなのだという世界観が描かれています。

そして、井上陽水が感じているもう一つの寒さは「孤独」です。

彼には指切りをする相手も、傷つける相手さえも存在しません。

ただ時が流れ、涙が流れるだけの日々が続いています。

そこには温もりはありません。

寒さに凍りついてしまう、そんな世界が描かれています。


ふるえているのは
寒さのせいだろ
恐いんじゃないネ

曲の最後で、主人公は自分自身に対して言い聞かせています。

しかし、「寒さのせい」と言い聞かせなければならないほど、彼は寒さの正体に気づいています。

井上陽水は誰よりも「人」という存在を恐れ、同時に求めています。

「ぬくもり」「愛情」「居場所」といった言葉にも置き換えられるかもしれません。

彼の複雑な感情が、寂しさと狂気を含みながら、歌詞を通して語られるストーリーです。

井上陽水と私たちとの間には隔たりがあり、それは幻のようなものです。

それが「氷の世界」の真実なのです。