【琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり】歌詞の意味を考察、解釈する。

くるりが、デビュー20周年で公開した「琥珀色の街、上海蟹の朝」。
この曲ではこれまでとは異なる要素が聴こえてきます。
ブラックミュージックやヒップホップからの影響が感じられ、新たな”くるり”の側面が表れています。
歌詞に秘められたメッセージを解き明かしましょう。

現代に対するノスタルジア

beautiful city さよならさ マンダリンの楼上
isn’t it a pity beautiful city

曲の冒頭で、岸田繁は美しい街をさよならする瞬間を歌っています。
誰しもが、いつかどんな人とどんな場所とも別れる時が来ると知っています。
通常、愛しい街や慣れ親しんだ場所との別れは、寂しさと悲しみが伴うものです。
心が引き裂かれるような切ない瞬間を経験したことがある人も多いでしょう。

しかし、岸田は異なる視点から捉えています。
彼は、それが悲しむべきことではないと言っているのです。
では、一体なぜでしょうか?

目を閉じれば そこかしこに広がる
無音の世界 不穏な未来
耳鳴り 時計の秒針止めて

まず、私たちが瞼を閉じると、前に広がっていた景色は完全な暗闇になります。
この状態では、外部からの情報を遮断し、自身の内面の声に耳を傾けることができます。
皆さんも、こういった経験をしたことがあるかもしれません。
通常、このような経験は瞑想などで知られており、自分の内なる声を聞く手段として広く認識されています。

心の中には静寂の世界が広がっており、その穏やかな沈黙は未来の予兆と結びついています。
私たちが進む未来について考えると、その未来が単純に明るくて素晴らしいものとは限らないことがあります。
また、これからの未来に向けて、以前のような平穏な状態ではない兆候が見られます。
かつて輝いていた未来に対して、崩壊が広がっているのかもしれません。

したがって、歌詞で「時計の針をとめて」と歌われている部分は、未来への不安や不穏な兆候に対する反映かもしれません。


吸うも吐くも自由 それだけで有り難い
実を言うと この街の奴らは義理堅い
ただガタイの良さには 騙されるんじゃない
お前と一緒で皆弱っている

私たちの街に住む人々は、一般的には約束を守り、互いに信頼し合う義理堅い性格を持っているとされています。
義理堅いとは、そういった特性を指す言葉です。
この地域に住む人々は、内面的な質を持ちながら、体格の良い人が多いことも特徴の一つです。
この点から見ると、彼らは精神的にも肉体的にも強靭な印象を受けることでしょう。

しかし、見た目だけで人を判断するのは誤りであり、実際には見かけによらない要素があることがよくあります。
強そうに見える人でも、実際には強靭なわけではないことがあります。
歌詞において、都市に住む人々も弱さを抱えていると歌われており、これはかつての都市のイメージとは異なるものです。
現代社会では、以前に比べて様々な社会問題が浮き彫りになっており、その変化を歌っているのだと言えるでしょう。

その理由は 人それぞれ
耐え抜くためには仰け反れ
この街はとうに終わりが見えるけど
俺は君の味方だ

この歌詞で言及されている”街”は、特定の場所や都市に直接的に言及しているわけではないようです。
歌詞には「上海蟹」というキーワードが登場しますが、おそらくそれは象徴的な意味を持っているでしょう。
この歌詞は、大きな社会的変化の中で、かつての都市のイメージが崩れ去ってしまったことを歌っています。

「終わりがみえる街」というフレーズは、確かに荒廃や朽ち行く風景を連想させるかもしれません。
しかし、この歌詞の中では、そうした荒廃した街の中でも、誰かが誰かを支え続ける意志や応援の存在が強調されています。
言葉が励ましや支えとして受け取られ、荒廃した環境の中でも共に立ち向かおうとする決意を表現しているのかもしれません。


何はともあれ この街を去った
未来ではなく 過去を漁った
明後日ばっかり見てた君
それはそれで 誰よりも輝いてた

街を離れた私。
しかし、私は未来ではなく過去に心を馳せていたのかもしれません。
過去を振り返ることは、誰しもが時折望むことでしょう。
昔は素晴らしかった、あの頃は楽しかったと感じ、過ぎ去った日々に思いを馳せることは共通の経験です。
もちろん、これが悪いこととは言えません。

しかし、過去に執着しすぎて未来を見失うのは望ましくありません。
それに対照的に、未来を常に見据えていた”君”が存在します。
この”君”は一体誰なのでしょうか?
歌詞によれば、その”君”は未知の未来に注目し、その輝きを失わなかったと言われています。

もしかしたら、この”君”は未来に対する多くの期待と予測を抱いて、輝いていたのかもしれません。
確かに、現在の状況が不透明であるかもしれないこの街で、明るい未来を確信することは難しいかもしれません。
しかし、その未来を築き上げていくのは、他ならぬ私たち自身であることは確かです。

ずっと泣いてた 君はプレデター
決死の思いで 起こしたクーデター
もういいよ そういうの
君はもうひとりじゃないから

くるりの岸田は、”君”に対して、「もうクーデターはいいんだ」と歌っています。
おそらく、”君”は未来を変えるために一人で努力し、戦ってきた可能性があります。
そのような彼の姿に対して、誰が笑えるでしょうか?
行動を起こした人に対して、何もしない人が嘲笑する資格はありません。

変わり者や反骨精神を持つ人々が行動に移している一方で、何もしない人々が座っている中で、”君”は積極的に未来を切り開こうとしていました。
これは間違いなく、非常に大きな一歩であることでしょう。
そして、歌詞によれば、”君”にはもうひとりじゃないと歌われています。


上海蟹食べたい あなたと食べたいよ
上手に割れたら 心離れない 1分でも離れないよ
上手に食べなよ こぼしても いいからさ
琥珀色の街

この部分では、歌詞が現在、かつての東京のようにエネルギッシュな上海の印象を描いており、上海蟹を食べたいと歌われています。
この箇所は曲の中でポップな要素を持っています。

楽曲のサビのフレーズであるこの部分において、中国の勃興や隆盛が感じられます。
かつての栄光を取り戻し、未来への希望を抱く都市のイメージが描かれています。


おそらく、80年代まで代表的だった都市の洗練されたイメージが、現代では失われつつある時代について考えているのでしょう。
そして、そのようなイメージの象徴として上海が登場します。
過去には都市に憧れ、田舎から中心部に夢を追いに上京する人々が多かったでしょう。
華やかな生活とダンスミュージックが、都市の魅力として存在していました。
しかし、岸田はこの歌において、そういった都市生活の崩壊を感じている可能性があります。

上海は、その象徴的な都市として登場し、現代社会においてはそのメタファーとして機能しているかもしれません。
この歌は、きらびやかな都市のイメージが失われつつある現代に対するノスタルジアが込められている可能性があります。