【奇跡/くるり】歌詞の意味を考察、解釈する。

これ以上ないほどシンプルに作られたくるり節

くるりというバンドは様々なジャンルを取り入れるバンドである。

デビュー当時こそギターボーカル、ベース、ドラムスという3ピースの形においてシンプルに想像がつくギターロックの枠から大きくはみ出すサウンドではなかったが、フォーク、カントリー、ブルースといったルーツミュージックを吸収し、またブレイクビーツやヒップホップ、テクノといった電子音楽にも着手しながら、音響面ではアンビエントや前衛音楽、環境音楽といったところの影響も感じさせる。

7thアルバム「ワルツを踊れ」では全編にクラシックを大きく取り入れ、ロックとクラシックの融合にも挑戦。

その後加入したファンファン(Tp)などの存在もあり、くるりのサウンドは常に変化を続けてきた。

しかし、やはり根幹にあるのはメインソングライターである岸田繁の声とシンプルなギターサウンドというのがこの「奇跡」を聴くとよく分かる。

同名の是枝裕和監督の映画「奇跡」の主題歌として発表されたこの楽曲(映画のサウンドトラックもくるりが担当)はこれ以上ないほどシンプルで、岸田の声と優しい歌詞、メロディを取り巻くようにギター、ベース、グロッケン、ドラムス、ペダルスチールが彩る。
圧巻は2分半以上にも及ぶ後奏で、メンバーである岸田と佐藤征史(B)に加え、サポートを務めるBOBO(Dr)、山内総一郎(E.Gt)、高田漣(Pedal Steel)といった豪華メンバーがインストゥルメンタルの世界で一つの世界を表現している。

くるりの楽曲で言えば「春風」に近い世界観かも知れないが、「春風」よりも悲しみを帯びていて、シンとした空気感を持ちながらも穏やかに差し込む陽光のような楽曲と言えるだろう。

楽曲の長さはくるりのシングル曲の中で最も長く6分以上に及ぶが、歌詞は無駄がなく、少ない言葉数で独特の世界を形成している。

今回はこの「奇跡」の世界を歌詞から紐解いて考察してみようと思う。

一つのストーリーや核となるメッセージがあるわけではなく、感情や空気感といったものを宙に浮かべるような歌詞になっていると感じる。

一節を切り取るのではなく、全体を通して考察してみようと思う。

映画に寄り添い、しかし染まらない世界観

いつまでも そのままで 泣いたり 笑ったりできるように

曇りがちな その空を 一面晴れ間に できるように

神様ほんの少しだけ 絵に描いたような幸せを

分けてもらうその日まで どうか涙を溜めておいて

言葉は転がり続け 想いの丈を通り越し

上手く伝わるどころか 掛け違いのボタン 困ったな

あぁいつもの君は 振り向いて笑う

溜め息混じりの 僕を許してね

退屈な毎日も 当然のように過ぎてゆく

気づかないような隙間に咲いた花 来年も会いましょう

さぁここへおいでよ 何もないけれど

どこへでも行けるよ 少し身悶えるくらい

これまでにくるりは多くのタイアップを担当してきた。

映画の主題歌だけに絞っても、「ジョゼと虎と魚たち」の主題歌「ハイウェイ」、「天然コケッコー」の主題歌「言葉はさんかく こころは四角」、「まほろ駅前狂騒曲」の主題歌「There is (always light)」など多数の作品に参加している。

映画の内容を踏まえつつも、それだけに染まりきらないというのがくるりのタイアップにおける特色だと思う。

この「奇跡」も、映画の空気感を感じさせつつも、より大きな視点で作られた歌となっており、タイアップでなくとも良質の楽曲として充分に独立した世界を構築している。

歌詞の内容としては、男から女に向けてのメッセージとも取れるし、親から子、あるいは兄と弟といった関係のものとなっているように見える。
根本には「愛情」があるのが共通したところだろう。

「奇跡」とは何だろう、というところをまず考えてみたい。

海を割ったモーセや水をワインに変えたイエスが起こしたのも確かに「奇跡」だと思う。

しかし、この歌で歌われている奇跡はそういった超常現象めいたものではなく、日々を生きる中で手に入れた「かけがえのないもの」を指しているのではないだろうか。

傷つき、躓き、損なわれて倒れ、それでも立ち上がった人が得たかけがえのないもの。

本当に大切なものは失ってみないとわからないもので、どん底や絶望を味わった人間が初めて気づくかけがえのないもの、それこそがこの歌で歌われている「奇跡」なのではないかと思う。

口下手でうまく伝えられず苦笑するが、その人にとってはその「かけがえのないもの」はモーセやイエスが起こした奇跡より何倍も身近にあってありがたいものなのだと思う。

退屈な毎日というのは平和の比喩でもある。
心穏やかにただ生きる日々、それは一度倒れた人にとっては何よりも大切で、二度と手放したくない奇跡なのである。

傷つき、落ち込んだ心では「気づかないような隙間に咲いた花」に気づくことはできない。

心が穏やかであってこそ、「気づかないような隙間に咲いた花」に気づき、「曇りがちな空」を見上げ、「退屈な毎日」という「奇跡」を心から感じることができるのではないだろうか。

もちろん、かけがえのないものは人によって変わる。
本当はそれが必要だったのに、倒れるまでそれに気づかないということもあるだろう。

あなたにとっての「奇跡」、それを穏やかな心で一度じっくり考えてみてはどうだろうか。