【Radiohead】アルバム「Kid A」の批評と解説。

レディオヘッドの最高傑作とは

レディオヘッドの最高傑作は「OKコンピューター」か「キッドA」かという議論が時々、起こる。

時にはそこに「ザ・べンズ」が入ってくる事もあるが、まあ大体「OKコンピューター」か「キッドA」のどちらかが最高傑作、というのが大方の意見である。
勿論、作品の好みはそれぞれなので「パブロ・ハニー」が最高傑作だと思う、という方を否定するつもりは毛頭ない。
その人にとっては「パブロ・ハニー」が最高傑作だというだけの話である。
ただ、集計を取れば(おそらく)「OKコンピューター」か「キッドA」のどちらかになると思う。

個人的な主観だが、総合力なら「OKコンピューター」に軍配が上がると思う。
そこには「No.1ロックバンド」の姿がきちんとある。
「パラノイド・アンドロイド」のようなハードな曲があり、「ノー・サプライゼズ」のような穏やかなバラードがある。
斬新なアイディアや複雑かつ緻密な構成・サウンドはふんだんに盛り込まれてはいるものの、「ロックバンド」の姿があり、レディオヘッドというバンドの代名詞としては「OKコンピューター」が最も適していると思う。

「キッドA」はどうだろうか。
「商業的自殺」と言われたそのサウンドはあまりに歪だ。
録音データのコラージュや電子音、ノイズを加工処理した断片をつなぎ合わせて作り上げた作品、という印象がある。
内容はあまりにパーソナルで、トム・ヨークは自分自身か、これをヘッドホンで聴いているあなた一人に向かって語りかけている。

私は「キッドA」が最高傑作だと思う。
「OKコンピューター」は世界に向けて発表された。
「キッドA」は発表されたというよりは「こぼれ落ちた」と言った感じだったように思う。
レディオヘッドというバンドが「OKコンピューター」から次のステップに進むために脱皮した抜け殻のようなもの、という感じだ。
電子音とデータコラージュを中心に作り上げられたそのサウンドはあまりに先進的で、レディオヘッドは「ロック」というジャンルから完全に逸脱していた。
かといってエレクトロニカでもないし、ジャズでも現代音楽でもテクノでもない。
では一体、「キッドA」とは何なのだろうか。
今回は収録曲の考察をしながら「キッドA」の姿を洗い出してみようと思う。

電子音ならではの温度感

一曲目「Everything in Its Right Place」から異変を感じた方も多いのではないだろうか。
くぐもった電子ピアノと淡々と刻まれるバスドラム(のような音)に導かれ、コラージュされたボーカルが左右で鳴り響く。
今までのレディオヘッドとは全く違ったサウンド。
ようやく聴こえてくるトム・ヨークの歌声は喜びに満ちていて讃美歌のようだが同時に不穏な電子音も鳴り響いている。
コラージュされたトムの声が左右で暴走したかと思うとある瞬間に全体が解放される。
前作「OKコンピューター」に収録された「Fitter, Happier」のようなサウンドだが「Fitter, Happier」ほど無機質でも冷たくもない。
どちらかというと温かみがあり、感情を感じるサウンドだ。

徐々にフェイドアウトして一曲目が終わると、おもちゃのピアノのような無垢なサウンドが聴こえてくる。
続けて心音を思わせるバスドラムのようなリズムと、ディレイがかかった電子ピアノの音に導かれて2曲目の「KID A」が始まる。
偏執的なリズムの上を加工されたトム・ヨークの声が飛び交い、ノイズ混じりのサウンドはどこか昔懐かしい郷愁を感じさせる。
郷愁!およそレディオヘッドには似つかわしくない形容詞だ。
だが、アバンギャルドなノイズは時として昔懐かしい風景を思い出させることがある。
レディオヘッドと比較されることもあるアメリカのオルタナカントリーバンド・ウィルコが1999年に発表した「Via Chicago」では穏やかなカントリーとフラッシュバックのようなノイズの洪水が同居するサウンドとなっており、「シカゴに帰るんだ」という歌詞を様々な感情で表現している。
この「KID A」にもどこか少年期を思い起こさせるようなイノセンスを感じる。
非常に内省的で不安定ではあるが、ある種の「温もり」がこの「KID A」には存在する。

「KID A」が終わると、ここにきてようやくバンドらしい威勢のいいベースが刻まれる。
「The National Anthem」。
ドラムスはマッシヴ・アタックを思わせるフリーキーなビートで温度をぐっと上げる。
コラージュされたホーンセクションやオンド・マルトノの音が飛び交い、狂気を帯びたサックスが取り止めのないメロディを奏でる。
ドラムスとベースは延々と同じパターンを繰り返し、さながらレディオヘッド流のトリップホップだろうか。
レディオヘッドを語る際に出てくるプログレッシヴ・ロックとしてはピンク・フロイドの名前が出る場合が多いが、この曲に関して言えば影響を感じるのはディシプリン期のキング・クリムゾンである。

厭世観により現れる現実とそこからの逃避、そして死

まるでドラッグの効果が薄れていくような「The National Anthem」がフェードアウトしていくと、冷んやりとしたアコースティックギターのリズムが刻まれる。
「How to Disappear Completely」ー完全に消え去る方法。
ヒリヒリとしたストリングスが悲鳴ともノイズともつかない音色を奏でる。
熱が冷め、気だるいリズムが出てくることによって「厭世観」が姿を現す。
皮肉にも「厭世観」の出現が「現実」を感じさせる。
三曲目までは夢見心地だった。
ここからは幻想的ではありつつも「現実」が姿を表すのである。
トム・ヨークの声もそれまでとは違い、加工を抑えくっきりとした歌唱となる。

幻想的な「How to Disappear Completely」に続くのは穏やかなインストゥルメンタル曲「Treefingers」。
2曲目の「KID A」を思わせる穏やかな楽曲だ。
まるで海中から見上げる太陽のように、現実はゆらゆらと遠くにある。
オルガンとフィードバックが突然途切れるようにして音が終わると力強いドラムスのリズムと硬質なギターが鳴り響く。
アルバムの中でも比較的ポップな「Optimistic」だ。
終始不穏な電子音が左耳を捉えて離さない。
細切れのようなノイズだったり、叫び声のようなノイズ、フィードバック。
対して右耳はギターを基調に比較的ベーシックな音色の楽器が鳴らされ、中央では浮遊感のあるトム・ヨークの歌声が多幸感を演出する。
この辺りの曲の流れは現実と虚構を行き来する様子が描かれているようだ。
アウトロでは一転してジャズのような展開が付け足されており、その展開はそのまま次曲の「In Limbo」へと繋がる。
Limboとは「死後一時的に留まる場所」の事であり、生死の境界を行き来するような幻想的な楽曲となっている。
サウンドはフリージャズを感じさせる複雑なリズムとなっていて、はっきりした姿を見せない。
時々繰り返されるギターのフレーズが何かの記憶がフィードバックされるような効果を持っている。
音の波は徐々に混沌へと包まれ、波が引いたかと思うと突如強烈なビートが襲い掛かってくる。
「キッドA」において最も物議を呼んだであろう「Idioteque」である。
Autechreのような無機質かつ暴力的なビートとフィードバックギリギリの鍵盤、ストリングスと絡み合う。
躁と鬱、相反する二つの要素が同居する世界をトム・ヨークの声が悲しく、しかし力強く彩る。
ビートはずっと暴力的なままだ。
よく「ギターが泣いている」という表現があるが、この曲に関して言えば「ビートが泣き叫んでいる」と感じる。
基本的なパターンはあるが、決まった拍子を持たず、展開によってコロコロと形を変える。
この曲で鳴らされているどの楽器よりもエモーショナルなそのビートが止まってもフィードバックは鳴り止まない。
そのまま変拍子のリズムが始まる。
「Morning Bell」だ。
浮遊感のある鍵盤とベースに導かれたサウンドの間隙を、トム・ヨークの歌声が隙間を通すように歌う。
全体的には浮遊感を感じるこの曲のサウンドにおいて、ドラムスだけが性急に響く。
ジャズのようでもあるが、最初から最後まで全く同じビートを刻むドラムスというのは何かの暗示なんだろうか。
複雑な展開を持つレディオヘッドの楽曲においては珍しい構成である。

「Limbo」を漂っていた男は、「Idioteque」のような暴力的なフラッシュバックを見た後、「Morning Bell」に起こされる。

そこで鳴らされるのがラストの「Motion Picture Soundtrack」である。
眠りを誘うような響きのハルモニウムと、荘厳なハープが曲を彩る。

このアルバムにおいて最も穏やかな多幸感に包まれたこの楽曲、「映画のサウンドトラック」というのは何を意味しているのだろうか。

このアルバムは、一人の人間の人生を、「キッドA」の人生を追ったアルバムなのではないだろうか。

「OKコンピューター」という世紀の傑作を作り上げたレディオヘッドが次に出したのはあまりにも歪で美しい「一人の少年のサウンドトラック」だった。

ここには開かれた世界に発信するものは何もない。
一人の人間の内面を表現した世界があるだけだ。
そして、私はそれまで誰も作らなかったこの歪な物語を、レディオヘッドの最高傑作だとずっと信じているのである。