【革命/MOROHA】歌詞の意味を考察、解釈する。

注目を浴びているMOROHA(モロハ)は、感情を揺さぶる歌詞と驚異的なアコースティックギターの技術で人気を集めています。
今回紹介する「革命」は、日常の退屈な生活に別れを告げる曲です。
日々をただ漠然と過ごしている人々にこそ、ぜひ聴いていただきたい一曲です。

魂の叫び

異色の組み合わせであるアコースティックギターとMCのユニークなデュオ、MOROHAは注目を集めています。
彼らは既存の音楽ジャンルに縛られず、独自のスタイルを追求しています。
今回ご紹介する楽曲は、MOROHAの「革命」です。
彼らは長野の田舎から夢を追い、東京に上京しましたが、なかなか成功の道を見つけることができませんでした。
周りの音楽仲間が一人、また一人と去り、成功していくバンドは若手ばかりです。
彼らは自分たちの選んだ道が本当に正しいのか疑問に思いました。
将来、どのような大人になってしまうのか、自問自答と葛藤する日々を送っていました。
そして、MOROHAはこの「革命」によって、自分たちの答えを出しました。
これは魂の叫びにも似た、彼らの全力の歌詞です。
ぜひ、その表現をご覧いただければと思います。

アフロの独白

MOROHAの楽曲には、クレジットされないアフロの独白が時折収録されていることがあります。
その独白は歌詞にも劣らない熱を持ち、多くの人々の心を熱くさせています。
「革命」にも、そんなアフロの独白が収められています。
まずは歌詞の前に、その部分をご紹介しましょう。

乾杯! 誕生日おめでとう!
いや~しかしあっという間だよな、俺たち今年26だぜ
いや~しかしこの前の飲み会もめちゃめちゃ盛り上がったよな
あいつ目覚めたら逗子にいたらしいぜ
笑えるよな いや~俺たちホント幸せ者だよ

でかい夢があって!それを語り合える友達がいて!
女はいないけど酒は美味いし、悪くない
悪くない… とは、思うんだ

親しい友人の誕生日を祝う飲み会の場。
いつも通りの店で、いつも通りの仲間たち。
昔と同じように集まり、時には思い切り楽しんで馬鹿なこともやる。
そんな気さくな友人たちとの集まりは、確かに楽しいものだった。
音楽で成功してやろうという夢は、出会った頃と変わらずに抱いている。
しかし、実際に成功した人間はこの中にはいない。
それは当然のことだ。
成功した人たちは、こんなつまらない店にはもう現れないからだ。
時には彼らが去ってしまった冷たい奴への不平も、美味しい飲み物と共に出ることもある。
こんな楽しい時間がずっと続いてほしい。
その願いも、確かに真実である。

けどさ、いや 全然大した話じゃないんだけど
俺、お前に言わなくちゃいけないことあるんだよね
…そういやさ、飲み会の帰り道 突如やってくるあの虚しさ
アレ、なんだろうね
アレやばくね!? …胸、痛くねぇ?
…ゴメン、どうでもいいか! 話っつーのは…

それでも、時折、こんな考えが心に浮かびます。
「自分は、なぜここにいるのだろう?」
「このままで本当に良いのだろうか?」
その度に、かつて楽しかった時間の思い出が凍りついたように感じられます。
ただの迷いだと自分に言い聞かせることもできますが、その重たい感情は鉛の塊のように強烈な存在感を持っています。
その度に、自分だけがこんな思いを抱えているのではないかと考えてしまいます。
なぜなら、周囲の人々の顔はいつも笑顔で、その沈んだ気持ちがまったく見えないからです。
そのように考えるたびに、心に抱える鉛の塊のような感情はますます重くなっていきます。
そしていつしか、その「重い思い」に耐えることができなくなってしまったのです。

自分自身に革命を起こす

ごめんな友よ 俺はもう行くよ
居酒屋だけの意気込みじゃゴミだ
お前も本当は気付いてるんだ
素面じゃ語れぬ夢は惨めだ
現実は辛い暗い 時に苦しい
それでも妄想よりは眩しい
本気を出したらヤバイ俺より
いつだって本気なお前がヤバイ

いつもの場所を離れ、仲間たちとの別れ。
この選択に対して、仲間たちは不思議そうな表情を浮かべました。
「一緒に頑張ろう」と約束したじゃないか、俺たちと一緒にいるのが楽しくないのか?
しかし、それは決してそうではありません。
彼らとの共同の時間は本当に楽しかったし、それは自分自身の真実な気持ちです。
しかし、それ以上に妥協できない本当の気持ちに、ついに気付くことができたのです。
その言葉を告げると、仲間たちは反論することもありませんでした。
心の奥底では、彼らも大きな鉛の塊のような感情を抱えていたのです。
出会ったばかりの頃に抱いていた、音楽で成功するという熱い野望。
しかし、その野望は次第に冷め、ただ口先だけの形骸化した夢となってしまいました。
その夢に再び火を灯すために、厳しい現実と向き合う決心をしました。
かつて一緒に夢を語り合った仲間たち、彼らの野望が燃え盛る炎だったことも知っています。
だからこそ、昔の自分は彼らと仲間になりたいと思ったのです。

汗を千切る 涙ちょん切る
そびえ立つビルに桜散る散る
飲み干すビール 時間が過ぎる
この街で迎えた六度目の春
今年こそ?来年こそ?
何年生きれるつもりで生きてきたんだ
今日が終わる いや今が終わる
そう思えた奴から明日が変わる

野望を叶えるために、何度も闘い、そして何度も敗北してきました。
自分が最もかっこいいという自信は次第に消え、敗北が当たり前のものとなりました。
敗北が予想される闘いに挑む愚か者はいません。
自分の心を守るために、いつしか戦うことを諦めてしまいました。
気付けば季節は何度も移り変わり、東京に出てから6年目の春が訪れました。
あの時の自分が、今の自分を見たらどう思うだろうか。
今の自分を見る、昔の自分の嘲笑うような視線。
それを考えると、背筋が凍るような感覚が広がります。
人生の中で、自分に残された時間は刻一刻と減っていきます。
人の世は無常で、誰がいつ終わりを迎えるのか、誰も予知することはできません。
自分自身も例外ではありません。
来年も、半年後も、1か月後も、明日も、自分には保証がありません。
このままではいけないと感じるなら、この瞬間から生き方を変えるしかありません。
これまでぬるま湯に浸かり続けた弱い自分と闘い、再び闘いの舞台に立つしかありません。

真っ暗闇の未来に描き殴る
蛍光ペンを求めて
半径0mの世界を変える
革命起こす幕開けの夜

自分の未来は、どれだけ生きても予測できないものです。
しかし、自分の行動によって、進みたい未来を描くことはできます。
ただ未来に身を任せるだけではなく、自分自身が未来を描くことを忘れましょう。
光や希望がある漠然とした未来でなくてもかまいません。
自分に合った、暗闇の中で光る蛍光ペンのインクのような未来でも良いのです。
そんな未来が目の前に輝いてくるかもしれません。
未来を変えるためには、まず自分自身の世界を変えなければなりません。
世界を革命させるためには、自分自身に革命を起こさなければなりません。
環境や他人を変えることはできませんが、自分自身を変えることは可能です。

一番の敵は自分自身

ヒップホップもロックもジャンルじゃない
それは魂の名前だ ギターが一本マイクが一本
俺等は俺等の道を行くだけ
俺は生きているって感じていたい
俺はここにいるってわかって欲しい
居場所はいつまでも原点
その点をでかくして行くだけ

アフロは、音楽をジャンルで定義することには意味がないと述べています。
彼にとって、魂に響く音楽であれば、それは彼にとって戦うべき相手となります。
MOROHAはその言葉に忠実であり、彼らの対バン相手は多岐にわたるジャンルのアーティストばかりです。
彼らは時にはアイドルとも真剣勝負を繰り広げる覚悟で戦いに挑んでいます。
初めてメジャーデビューしてから10年が経過しましたが、彼らの姿勢は初期の頃から一切揺るぎません。
MOROHAのこれまでの音楽を聴いていただければ、そのことがお分かりいただけるでしょう。
彼らが戦っている相手は、これまでにもこれからも魂のこもった音楽を作り出すアーティストたちです。
そして同時に、その戦いは常に彼ら自身との戦いでもあります。
気を抜くと弱気になってしまう自分自身との闘いが絶えず続いているのです。

悔しさの跡地で笑え
悲しい事さえロマンでうたえ
全ての事がうまく行くよりも劇的じゃねぇか そっちの方が
一回二回負けた位で折れちまうプライドならもう捨てた
勇気や希望笑わない勇気
それだけが俺らを運ぶぜ

成功にだけ囚われた人生よりも、成功も失敗も経験した人生の方が豊かです。
苦悩や悔しさに満ちた過酷な経験を知る人々にこそ、奏でられる歌があります。
しかし、だれしも自分の格好悪い一面を他人に見せたくはないでしょう。
しかし、そんな臆することなく、アフロは歌います。
自分が本当に成し遂げたいことを考える際に、他人に見られて格好悪いと思う気持ちは本当に必要なのでしょうか?
自分の真の目的を見失わず、周囲の出来事にとらわれることなく進むためには、そんな気持ちは必要でしょうか?
MOROHAは、数々の困難を乗り越えてきたからこそ伝えられる、重みのあるメッセージを歌います。

馬鹿みたいに一生懸命に

今まで恥ずかしかった事
夢や希望 真顔で語った事
今まで恥ずかしかった事
あいつ痛い寒いと言われた事
今まで恥ずかしかった事
身の程を知れって言われた事
何より恥ずかしかった事
それを恥ずかしいと思った事

多くの挫折や屈辱を経験してきました。
人間は何十年も生きていれば、そのような経験を数多く抱えるものです。
その中で、一生懸命な姿勢を笑われることもあるでしょう。
一生懸命な姿を笑われて恥ずかしいと感じたことも、誰にでもあるはずです。
しかし、考えてみてください。
なぜ一生懸命に取り組むことが恥ずかしいのでしょうか。
周囲がおかしな見た目や非現実的と笑うことがほとんどですが、一生懸命に取り組んでいる中身を見ずに笑うのです。
MOROHAは、一生懸命な人々を笑いません。
それを笑うことが、人として最も恥ずかしい行為であることを彼らは理解しているからです。

馬鹿にされない位に馬鹿になりたいよ
毎日毎晩 夢中でやってる
青タンこさえて綴る生活に誰にも何も言わせやしないと
暇さえあれば種を蒔いて 暇が無くたって水をやった
マイペースじゃ間に合う筈がねぇ
だから癒しやゆとりの逆へ 逆へ
逆境は最高の御馳走だ
並ぶ白い目に頬っぺが落ちそうだ
焦りや葛藤 今日もありがとう
溜息後のヤバイをよこせよ
自信 確信ある筈もねぇ だけど いやだからこそ
半信半疑を半殺すのさ それだけの日々を情熱と呼ぶ

一生懸命に取り組んでいることを笑われた経験。
そのような状況で恥ずかしいと感じるうちは、まだ未熟なのだとアフロは語ります。
本当に一生懸命な人は、笑われていることにさえ気づかないほどです。
自分に夢中になっているため、他人のことを気にする余裕がありません。
そのような人々を歌の中では「馬鹿」と呼びますが、それは最高の称賛なのです。
何かに熱中して全力で取り組む人々の姿は、時には狂気的な雰囲気さえ感じさせます。
その狂気的な雰囲気こそが、多くの人々が「情熱」と呼ぶものなのではないでしょうか。
そんな情熱を持った人々には、多くの人々が引かれるものです。
あなたは、自分の好きなことや一生懸命なことに対して、このような「情熱」を持って日々取り組んでいますか?