家を出た弟を想う兄の心情を歌った「案山子」
さだまさしの歌には実体験をモデルにしたものがいくつかある。
フォークグループ・グレープとして発表した「精霊流し」は、さだの母方の従兄弟が亡くなった時に行われた長崎地方の鎮魂行事である精霊流しをモチーフに作られた歌である。
「償い」は歌の中に登場する交通事故で夫を亡くした妻がさだの知人であり、毎月送金を続ける加害者とのエピソードを元に作られた歌である。
さだ自身が主演と音楽監督を務めた映画「翔べイカロスの翼」の主題歌「道化師のソネット」は映画同様、実在のサーカス団員・栗原徹を描いた作品である。
もちろん、小説家でもあるさだの歌にはまるっきりの創作であっても人の心の琴線に触れる優れた物語は多い。
結婚を描いた「親父の一番長い日」や「雨やどり」、山口百恵に提供した「秋桜」などはさだの妹、佐田玲子をモチーフにはしているが玲子は一度も結婚したことはなく歌は創作である。
今回紹介する「案山子(かかし)」はさだの弟である佐田繁理をモチーフに作られた歌である。
日本人初のプロサッカー選手か、とも評される繁理は大学生時代、台湾の大学にサッカー留学をしていた。
故郷を離れている弟を想う兄の心情、そして歌を彩る美しい風景の描写が日本全国の母を、兄を、そして弟の心を打ち、案山子はさだまさしの代表曲の一つとして今日まで愛される歌となった。
今回は「案山子」の風景のモデルとなった場所や歌詞に隠されたメッセージを紐解いてみたい。
舞台は島根県津和野町
元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
城跡から見下せば蒼く細い河
橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突
この町を綿菓子に染め抜いた雪が
消えればお前がここを出てから
初めての春
手紙が無理なら 電話でもいい
“金頼む”の一言でもいい
お前の笑顔を待ちわびる
おふくろに聴かせてやってくれ
元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
歌い出しはサビとしても使われており、弟へのメッセージのような形を取っている。
弟を想う兄の心情が歌われているが、絶妙に考えられた仕掛けとしてその順番がある。
元気でいるか、街には慣れたか、友達出来たか、寂しかないか、お金はあるか、この辺りまでは当たり障りのないものだが、今度いつ帰る、この箇所こそが「本当に言いたいことであり、言いづらいこと」である。
私達の実生活でもよくある話である。
何か頼みづらいことがある時、伝えづらいことがある時、あまり意味のない雑談をしてから本題に入る。
夢を追いかけて故郷を離れた弟にとって、夢叶わずして故郷へ帰ることは甘えであり、場合によっては敗北・挫折を意味する。
それを理解している兄はだからこそ最後にこの言葉を持ってきたのではないだろうか。
続くヴァースでは故郷の美しい風景が描写されている。
冬には雪が深くなる島根県山あいの町、津和野町。
津和野城址からは白い雪に覆われた故郷が一望できる。
兄弟が学び、遊んだ風景。
雪が溶けて来る春は、弟のいない初めての春になる。
そして、弟のいない春を初めて迎えるのは兄だけではない。
母もまた、弟の身を案じている。
この頃のコミュニケーション手段は手紙、電話である。
携帯電話はない。
たとえ「お金貸して」という親不孝なメッセージでもいいからその声を母親に聞かせてやってほしい、という兄の心情が描かれている。
この辺りの心情はさだ自身が故郷を離れて仕送りの生活を送っていた頃のエピソードをモチーフにしている。
さだ自身もまた、中学生の頃に故郷を離れ、挫折を経験しながらも東京で大学に入学しているが、お金には常に困っていたようだ。
語り部の本当の正体とは
山の麓 煙吐いて列車が走る
凩が雑木林を転げ落ちて来る
銀色の毛布つけた田圃にぽつり
置き去られて雪をかぶった
案山子がひとり
お前も都会の雪景色の中で
丁度 あの案山子の様に
寂しい思いしてはいないか
体をこわしてはいないか
元気でいるか 街には慣れたか
友達出来たか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る
さだがこの歌の構想を思いついたのは弟・繁理と共に電車に乗って移動する最中、雪が降る中ぽつんと佇む案山子を見つけたからである。
その姿が侘びしく、また自身が都会での一人暮らしで感じていたことや繁理の留学など複数のエピソードを組み合わせてこの「案山子」という物語ができた。
緑豊かな自然ではなく、雪の降る寒さが身を刺す中置き去られた案山子。
繁理も留学中、この案山子のように寂しい思いをしていたのだろうか。
ちょうど自身が都会の一人暮らしで寂しさを感じていたのと同じように。
しかし、描写としてはぽつんと置き去られた案山子は寒々しく寂しいものではあるが、その寂しさと同等に表現される「故郷の町の美しさ」もまた、さだの描写の素晴らしさを物語っている。
牧歌的であり、「小京都」とも称された津和野の伝統的な建物は集団就職及び高度経済成長における「東京」という大都会にはない日本の風景の素晴らしさ、「故郷」の暖かさを感じさせる「案山子」の詩は稀代の表現者であり詩人であるさだまさしの最高傑作の一つである。
そして、この歌について発表当時は語られなかった一つの要素がさだ自身の口から明らかになる。
この「案山子」の語り部は兄ではなく、津和野城址の広場に生えている松の木である、と。
もちろん、「おふくろに聞かせてやってくれ」の一節から「兄が故郷から弟を想う物語」というのが正しい体裁であろう。
その解釈で歌を聞いていた大勢の人の見解は決して間違ってはいない。
しかし、さだはもう一人の語り部として、松の木の目線で故郷を離れた一人の少年を案ずる物語を描いた。
なるほど、城跡に長く根を張る松の木ならば、見下ろした城下町も、青く細い川にかかる橋と、そのたもとにあるレンガ煙突の造り酒屋も、綿のような雪が降る冬も、雪が溶ける春も何度となく見てきたはずである。
そして、山の麓を走る列車も、真っ白な田んぼに一人佇む案山子も松の木は見てきた。
広場で遊んでいた少年が大きくなり、故郷を離れる。
松の木はその姿を置き去られた案山子に喩えて身を案じる、というのがもう一つ「案山子」の物語である。
時代は変わっても残る日本人の「望郷」
この「案山子」が発表されたのは1977年。
時は流れ、日本の音楽シーンも大きく様変わりし、「案山子」のような牧歌的な歌は表舞台から姿を消した。
しかし、「案山子」は今でも語り継がれ、ふとしたきっかけで聴いた若い世代が涙することも多いのだと言う。
その涙こそ、日本人の心に「望郷」という感情が残り、またこの先も残り続けることの証左ではないだろうか。
「物語」を歌にすることに関しては中島みゆきや井上陽水といった同世代の伝説的シンガーソングライターと並び称されるさだまさし。
冒頭で挙げた名曲はもちろんだが、まだ聴いたことがないという方はぜひこの「案山子」を、そして数々のさだまさしの名曲を聴いてみてはいかがだろうか。