2016年に公開されたアルバム『27』に収められた楽曲「人として」は、今もなお多くのメディアで愛される人気曲です。
この歌詞にはどのような意味が込められており、なぜ長きにわたって支持され続けているのでしょうか。
普遍的なテーマである「人」に焦点を当てた曲
SUPER BEAVER(スーパービーバー)は、感謝の気持ちや個性の表現など、意味深いメッセージを込めたダイレクトな楽曲でファンを魅了しています。
彼らは2023年4月に『グラデーション』をリリースし、映画『東京リベンジャーズ』とのコラボも決定し、今なお大人気のロックバンドとして活躍しています。
その中でも、「人として」という曲は、SUPER BEAVERの代表曲として広く知られています。
この曲は、ギターの柳沢亮太が作詞作曲を手がけたもので、2016年にリリースされたアルバム『27』に収録されて以来、今なお多くの音楽メディアで演奏され続けています。
また、2021年にはアサヒビール「アサヒスーパードライ」のCMソングにも採用され、話題となりました。
特に、一発撮りで知られるYouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」でのパフォーマンスは、多くの人々に印象深く残っています。
「人として」という楽曲は、普遍的なテーマである「人」という存在に焦点を当てています。
その歌詞には、どのような想いやメッセージが込められているのでしょうか。
信じ続け、愛し続け、受け入れる決断
人は騙す 人は隠す 人はそれでも それでも笑える
人は逃げる 人は責める 人はそれでも それでも笑える
曲の冒頭では、人々の愚かさや脆さが歌われているようですね。
しかしそれらの否定的な側面も、おそらく人間らしさの一環として捉えられているのでしょう。
そして、「それでも笑える」という言葉は、たとえ他人を欺いたり非難したりすることがあっても、「人間としてまだ救いがある」という希望を感じさせます。
ここからも、歌詞が持つ深い意味とメッセージが伝わってきますね。
次の歌詞を詳しく見てみましょう。
あなたに嘘をついて 後悔をした
僕も騙されているかも しれないけど
歌詞の中では、「僕」が「あなた」に嘘をついてしまったことを後悔している様子が描かれています。
この嘘が大切な人を傷つけてしまったことが読み取れますね。
ただ、「僕も騙されているかもしれないけど」という一節から、「僕」自身もまた、「あなた」を信じることに疑念を抱いていることが伺えます。
このような不信感が、歌詞の中で描かれています。
そして、この不信感を克服しようとする様子が歌詞の続きに綴られています。
疑って 暴くよりも 嘘ついた人が気付いて
傷付いて 解るほうが いいと思うんだ
他人から叱責を受けると、誰しも不満や反感を感じ、抵抗心を抱くことがあります。
しかしそれでも、他人の過ちを指摘するのではなく、欺いた当事者が自身の過ちを痛感する方が教訓となることが多いでしょう。
自分の弱さや卑しさに向き合うには、このように自覚し、傷つき、理解することが重要かもしれません。
歌詞によれば、このような気づきがあった「僕」は、いくつかの解決策を見つけたようです。
サビの歌詞に焦点を当ててみましょう。
そうなんだよ
信じ続けるしかないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
身に覚えのある失敗を どうして指差せる?
受け止める以外はないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
馬鹿だねって言われたって
カッコ悪い人にはなりたくないじゃないか
人として 人として かっこよく生きていたいじゃないか
人を欺く誰かも、未熟な自分自身も、「信じ続ける以外に方法はない」。
そして「愛し続ける以外に方法はない」。
冒頭で挙げられた「騙す」や「逃げる」といった「人としての当然の愚かさや弱さ」が、後で「身に覚えのある失敗」として現れることは、推測できるでしょう。
誰もが過ちを犯すことなく生きていけるわけではありません。
他人の誤りを非難する権利は、元々は誰にも存在しない可能性があります。
そういった事実に気づいた「僕」は、何度も裏切られても軽んじられても、信じ続け、愛し続け、受け入れる決断を固めたようですね。
一緒に笑える人生を歩みたい
僕は迷う 僕は悩む
だけど逃げたくないし 自分を棚に上げたくはないし
疲れるなあ 虚しいなあ
それでも 誰かのせいに したく無いんだ
カッコ悪いから
物事に迷い、内心苦悩する主人公の「僕」。
逃避することも、他人を責めることも避けたいと考えています。
これらの感情は、最初の歌詞で触れられた「あなた」との関係に関連しているかもしれません。
深く考え続けることに疲れた「僕」は、それでも「誰かのせいにしたくはない、カッコ悪いから」と自らを奮い立たせ、内なる弱さに立ち向かいます。
過去に嘘をついて後悔した経験が、「僕」を成長させたことが伺えますね。
次に続く歌詞を見てみましょう。
どうなんだよ
信じ続けるしかないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
わかってるって 自分が一番可愛いなんて 誰だってそうだ
じゃあ 共に笑うにはさ
「どうなんだよ」というひと言は、「僕」自身への問いかけと同様に、私たちリスナーへの問いかけとも受け取れます。
一度は「信じ続けるしかない、愛し続けるしかない」と心に誓ったとしても、そのような決意が揺らぐこともまた、人間らしい性格の一部です。
自己中心的であるという感情も、人としての自然な感情です。
こうした感情を自覚する「僕」の願いは、「共に笑う」ことです。
お互いの過ちを責めるのではなく、良い面を見せ合い、共に笑う方法は何か、という考えです。
迷い悩む「僕」でも、その答えはすでに示されているようです。
最後のサビは、最初の部分と同様です。
そうなんだよ
信じ続けるしかないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
身に覚えのある失敗を どうして指差せる?
受け止める以外はないじゃないか
愛し続けるしかないじゃないか
馬鹿だねって言われたって
カッコ悪い人にはなりたくないじゃないか
人として 人として かっこよく生きていたいじゃないか
「信じ続け、愛し続け、そして受け入れる」。
時折、誰かを疑い、内に秘めたりもする人として。
そして時には何かから逃げ、他人を責めてしまう人として。
歌詞の「人として かっこよく生きていたい」とは、「真っすぐに自分と他人を受け入れ、悩みつつも一緒に笑える人生を歩みたい」という感情が込められているように感じられます。
まとめ
今回は、SUPER BEAVERの楽曲「人として」の歌詞について考察しました。
その歌詞は、誰もが自身の人生に共感できる率直なものでしたね。
大人として、友人として、社会人として。
社会にはさまざまな「人として」が存在しています。
どのような立場や関係であっても、個々の長所や欠点を受け入れ、共に笑い合えることができれば、素晴らしい未来に繋がっていくことでしょう。