くるりの映画主題歌にハズレ無し、その始まりとなった歌
ロックバンド、くるりは今までに数多くのタイアップを担当してきた。
映画やドラマ、テレビCMのイメージに沿うような書き下ろし作品の場合もあれば、完成した作品に対し過去に発表された作品がテーマソングに起用される場合もある。
書き下ろしの際にはドラマや映画、CMの内容に沿った作品が多く見られ、作品の内容を楽曲が補足するような世界観はくるりのタイアップにおける醍醐味の一つである。
今日までにくるりが映画の書き下ろしでタイアップとして発表した曲は、
「家出娘」(リアリズムの宿)
「言葉はさんかく こころは四角」(天然コケッコー)
「奇跡」(奇跡)
「There is (always light)」(まほろ駅前狂騒曲)
などがある。
今回はそんなくるり映画タイアップの先駆けとなった2003年公開の映画「ジョゼと虎と魚たち」に主題歌として書き下ろされた「ハイウェイ」を歌詞から考察してみたい。
テーマは「旅立ち」
僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって
ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった
ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること
みっつめは車の免許とってもいいかな なんて
思っていること
映画「ジョゼと虎と魚たち」は足に障害を持ち、孤独に生きる「ジョゼ」と大学生である「恒夫」の物語である。
二人はひょんなことから出会い、苦しみ、あがきながらも愛を育み、結ばれることになる。
二人に共通するのは「ここではない場所」を欲している事である。
それがどこなのかはわからないが、ジョゼは恒夫と出会うことにより「そこ」があることを知り、恒夫は今までに接したことのない人間に心を揺さぶられ、惹かれていくことになる。
「ここではない場所」を目指すきっかけは本当に些細なことで、なんとなく息苦しいな、月が綺麗だな、車の免許でも取ろうかな、そんなきっかけで人は旅立ちを決める。
シンプルだが確かな存在感を放つサウンドに彩られ、この楽曲はそう幕を開ける。
俺は車にウーハーを(飛び出せハイウェイ)
つけて遠くフューチャー鳴らす(久しぶりだぜ)
何かでっかい事してやろう
きっとでっかい事してやろう
人は生きていれば傷つく。
立ち直り方は人それぞれで、美味しいものを食べたり、好きな音楽を聴いたり、日々の忙しさにかまけて忘れていた自分だけの特別なことを思い出し、生きるための活力とする。
車にウーハーを積み、好きな音楽をかける。
色あせて小さく縮こまっていた自分の心が彩りを取り戻し、風通しのいい感情が胸を駆け抜ける。
そんな時に「何かでっかいことしてやろう」という言葉はとてもしっくりくる。
例え小さな一歩でも、その一歩を踏み出す時に「でっかいこと」を想像する。
人はその「でっかいこと」を「夢」と呼ぶ。
ジョゼは外の世界へ出て、今まで絵や本でしか知らなかった世界を見たいと願った。
恒夫は今までに出会ったことのないジョゼという人間によって自分が変わるのを感じる。
そして、恒夫はジョゼと共に生きることを決意する。
「ここではない場所」への旅立ちとは現実的な場所だけの話ではなく、「心」の成長も意味している。
少しだけ前を向いて歩き出したこのサビは、Aメロで「僕」であった一人称が「俺」に変わり、心境の変化を表現している。
「旅」とは「生きる事」
飛び出せジョニー気にしないで
身ぐるみ全部剥がされちゃいな
やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる
全部後回しにしちゃいな 勇気なんていらないぜ
僕には旅に出る理由なんて何ひとつない
手を離してみようぜ
つめたい花がこぼれ落ちそうさ
旅に出る理由なんてなくてもいい。
飛び出して、傷ついて、叩きのめされて、それでも人は生きてゆく。
勇気もいらない。
旅をする理由なんてあとから付いてくる。
生きていくうちに付いてくる。
つまり、この歌において「旅に出る」という事は「生きていく事」の比喩である。
生きていく理由なんてわからなくていい。
ただ生きてさえいれば、その理由もきっと見つかる。
孤独と絶望に侵され、生きることを諦めていたジョゼにとって恒夫は「理由」だった。
何となく生きてきた恒夫にとってもジョゼは「理由」だった。
旅に出る理由、つまり「生きていく理由」が「だいたい」とか「免許とってもいいかな、なんて」といったふわついた恒夫はジョゼという理由を見つけ、旅に出ることを決意する。
ここでは自分を「ジョニー」という固有名詞に置き換えることによって俯瞰で見る、ある意味無責任に自分を見つめる手法が取られている。
そして結局「僕」に戻るのだが、この「僕」は冒頭でふわふわと漂っていた「僕」ではない。
何かを見つけ、前を向いて確かな一歩を踏み出して歩き始めた新しい「僕」である。
抽象的であるが故に可能な自由な解釈
「ハイウェイ」は映画「ジョゼと虎と魚たち」の主題歌である。
しかし、歌の内容がそのまま映画とリンクしているかと言うと決してそうではないと思う。
モチーフとして映画があり、岸田繁はそれを消化しつつも新しい世界観を創造しているのではないかと思う。
この歌は恒夫とジョゼだけの物語ではない。
誰よりも、あなた自身に向けられた歌なのだから。