異色のラブソング『悲劇のヒロイン』とは?
My Hair is Bad(マイヘアーイズバッド)が2024年2月14日にリリースした『悲劇のヒロイン』は、バレンタインデーにふさわしい一見ロマンチックなタイトルを持ちながら、その内容は通常のラブソングとは一線を画す異色の作品です。
タイトルや歌詞だけでなく、MVのビジュアルも非常に象徴的で、甘い恋愛の裏に潜む複雑な感情が描かれています。
バレンタインデーという日には、多くの人が恋人との絆を深め、愛を伝える場面を思い浮かべるでしょう。
しかし『悲劇のヒロイン』は、愛がうまくいかないときの痛みや孤独に焦点を当て、まるで映画のヒロインのように悲劇を受け入れる女性を描いています。
タイトルからも分かるように、この曲は単なるラブソングではなく、主人公の内面に渦巻く感情が物語として表現されています。
特に、歌詞の中で繰り返し登場する「私のものだけ取りに行くよ」というフレーズは、別れた後でも相手に未練を抱えている女性の気持ちを象徴的に表しています。
さらに、MVでは異様な雰囲気の中で女性が男性にクッキーを作るシーンが描かれており、その行動にはただの優しさだけではなく、執着や心の闇が滲み出ています。
このように、視覚と聴覚の両面から悲劇的なラブストーリーを体感させるのがこの曲の特徴です。
『悲劇のヒロイン』は、恋愛における悲しみや未練を描きつつも、どこか現実離れしたドラマティックな世界観を持っています。
そのため、聴く人にとっては、自分自身の恋愛の苦い経験と重なる部分もあれば、フィクションの中で描かれる悲劇として楽しむ要素もあるのです。
歌詞に込められた「未練」と「自己矛盾」
『悲劇のヒロイン』の歌詞では、別れた恋人に対する主人公の強い未練が繊細に描かれています。
冒頭の「私のものだけ取りに行くよ」という言葉から、主人公がまだ過去の関係を完全に断ち切れないまま、再び恋人の元に戻っていく姿が浮かび上がります。
このフレーズは単に物理的な所有物を取り戻しに行くという意味だけではなく、心の中に残る感情を整理しようとする彼女自身の葛藤を象徴しているのです。
さらに、歌詞には未練と共に、主人公の自己矛盾が顕著に表れています。
例えば、「笑顔でいようって決めてたのに なぜか涙が出てきて」という部分。
自分を強く保ちたいという意思と、それに反して感情が溢れてしまう現実。
この矛盾は、別れを受け入れようとする気持ちと、まだ彼への愛情を捨てきれない心の板挟みを如実に表しています。
自分の中で感情を整理しようとしながらも、それが叶わない不安定さが、この楽曲の最大の魅力とも言えるでしょう。
また、「まだ好きだって言ったら馬鹿にするよね」と自嘲気味に歌う場面では、彼に気持ちを伝えたいという願望と、それが無駄な行為だと理解している冷静さが交錯します。
ここでも、自らの感情を否定しつつも、どうしてもその思いを捨てきれない主人公の自己矛盾が浮かび上がります。
このように、未練と自己矛盾を抱えた主人公は、過去の恋にしがみつきながらも、それを乗り越えるための強さを模索しているのです。
結果として、リスナーは主人公の感情に共感し、その痛みや揺れ動く心に引き込まれていくのではないでしょうか。
MVで表現される「悲劇」の象徴:青いクッキーと毒々しい愛
『悲劇のヒロイン』のMVは、単なる視覚的な補完ではなく、歌詞に隠されたテーマをさらに深く掘り下げる象徴的な映像表現が満載です。
その中でも特に注目すべきは、青いクッキーのシーンです。
このクッキーは、主人公が恋人に作る特別な贈り物として登場しますが、普通の愛情表現を超えて、毒々しさを漂わせています。
青という色自体が通常の食べ物には見られない異質な色合いを持つため、不気味さや不安感を視聴者に与えます。
さらに、青いクッキーは恋愛の「支配欲」や「重すぎる愛情」を象徴しており、その異常な愛の形を暗示しています。
このシーンでは、主人公の行動が単なる愛情表現ではなく、相手を支配しようとする執着や未練を反映していることが感じられます。
加えて、MV内でクッキーに書かれた「I SUPPORT YOU FOREVER(私は一生あなたを支える)」というフレーズは、一見献身的な言葉のように見えますが、その裏には重くのしかかる圧力や依存が感じられます。
この言葉は、愛情を通じて相手を縛ろうとする毒性を持った感情を映し出しており、恋人への過度な期待や執着が浮き彫りにされているのです。
この青いクッキーを食べた後に主人公が見せる表情は、まさに「悲劇のヒロイン」としての自分自身を演じているかのようです。
彼女は一方的な愛情を押し付けつつも、その行為が自らをも傷つけていることに気づいているように見えます。
このように、『悲劇のヒロイン』のMVは、表面上のラブストーリーを超えて、恋愛における「毒」と「執着」のテーマを巧みに映し出しています。
もう一つの視点から見る『自由とヒステリー』との対比
『悲劇のヒロイン』のリリースから1週間後に発表された『自由とヒステリー』は、同じ恋愛の終焉を別の視点から描いた対になる作品です。
『悲劇のヒロイン』が「私」という女性目線で別れの未練や苦しみを描く一方で、『自由とヒステリー』では「僕」という男性目線から、別れによって得られた自由を謳っています。
この対比は、二人が同じ別れをどれほど異なる感情で受け止めているかを鮮明に映し出しています。
『悲劇のヒロイン』では、女性は別れた後も過去の思い出にしがみつき、「まだ好きだ」と自分の感情を抑えきれない様子が描かれています。
一方、『自由とヒステリー』では、男性は別れを解放と感じており、「君がいなくなって僕は自由だ」と宣言します。
このように、二人の心情の違いは、別れがもたらす感情の多面性を浮き彫りにしています。
さらに、『自由とヒステリー』の中で描かれる男性は、過去の関係がいかに自分を束縛し、圧迫していたかを思い返します。
歌詞の中で、彼女が自分に投げつけた物が割れるシーンが象徴的に描かれ、彼の中に残る傷跡を暗示しています。
それでも彼は、再び彼女が訪れた時にドアを開けるという行動を取りますが、これもまた「自由」を勝ち取るための選択だと彼は歌います。
この行動には、彼の中に残る未練や優柔不断さが垣間見え、完全に関係を断ち切れない複雑な心理が表現されています。
この2曲を通じて描かれるのは、恋愛における「執着」と「自由」という対極的な感情の葛藤です。
『悲劇のヒロイン』の女性が愛の重さに苦しむ中で、『自由とヒステリー』の男性はその重さから解放されたいと願っています。
しかし、どちらの視点も絶対的な「勝利」や「解決」を提示するものではなく、むしろ別れの中に残る複雑な感情の余韻を強調しています。
「悲劇のヒロイン」に込められた普遍的な感情と共感
『悲劇のヒロイン』が多くのリスナーに共感を呼んでいる理由は、描かれている感情が非常に普遍的であり、誰もが一度は経験したことのある恋愛の痛みを思い起こさせるからです。
別れた恋人に対する未練や、過去の思い出を引きずりながらも先に進もうとする葛藤は、特定の個人の物語ではなく、恋愛の終わりに直面した多くの人が感じる感情です。
特に、主人公が「まだ好きだ」と自分の気持ちを認めつつも、その想いが相手に届かないことを自覚している描写は、誰もが抱える切なさや無力感を象徴しています。
相手に対してまだ想いが残っているのに、それを伝えることが無意味だと分かっている――この複雑な感情は、多くの人が過去の恋愛で経験したことがあるのではないでしょうか。
さらに、主人公が表面上は強がりつつも、内心では感情を抑えきれずに涙を流してしまう姿は、自分を守りたいというプライドと、感情に負けてしまう人間らしさのバランスを絶妙に表現しています。
このような細かな感情の描写が、聴く人にとって身近に感じられる要素となり、共感を呼んでいるのです。
また、MVにおける視覚的な要素も、これらの普遍的な感情を強調しています。
主人公が過去に縋りつく姿や、心の葛藤が視覚的に表現されていることで、リスナーは自分の経験と重ね合わせやすくなっています。
クッキーやインターホンといった具体的なシンボルは、別れの瞬間や、それを象徴する行為として多くの人が理解できるものです。
こうした普遍的な感情とシンボルによって、『悲劇のヒロイン』はただの個人的なストーリーではなく、誰もが共感できる恋愛の一側面を描いている楽曲として多くの人の心に響いているのです。