感動的な歌詞に触れて、今回はヨルシカさんの「晴る」について考察していきます。
この曲はアニメ「葬送のフリーレン」の1期第2クールのオープニング曲としても知られています。
リズムに乗りながらも、深いメッセージが込められた素晴らしい曲です。
この記事では、「晴る」の歌詞の意味や演奏方法に焦点を当て、特に印象的な部分を取り上げて考察します。
曲を聴いてから、この解説を読んでみてくださいね。
実は表裏一体であるという意味を含んだ対比
最初に、1番と2番で行われている対比について触れてみましょう。
貴方は風のように目を閉じては夕暮れ 何を思っているんだろうか
目蓋を開いていた貴方の目はビイドロ
少しだけ晴るの匂いがした
貴方は晴れ模様に目を閉じては青色 何が悲しいのだろうか
目蓋を開いている貴方の目にビイドロ
今少し雨の匂いがした
1番と2番が明確に対比構造を持っていることが分かります。
この対比について、いくつかの考察をしてみたいと思います。
まず、注目すべきは時制ですね。
1番では「目蓋を開いていた」、2番では「目蓋を開いている」という表現が使われています。
1番が過去形であるのに対し、2番が現在形です。
この違いから、1番と2番で描写されている時間が異なることが分かります。
おそらく1番は過去の出来事を述べており、2番は現在の状況を表しているのでしょう。
つまり、1番では過去の「僕ら」を振り返り、2番では今の「僕ら」を描写しているのかもしれません。
実は、1番と2番の歌詞は同じ出来事を異なる視点から語られているようにも思えますが、実際には異なる語り手がいる可能性も考えられます。
その根拠の一つが「ビイドロ」の描写です。
1番では「貴方の目はビイドロ」と述べられており、貴方の目=ビイドロという関係が示されています。
しかし、2番では「貴方の目にビイドロ」となっており、貴方の目とビイドロは分離されています。
この表現から、2番の語り手は自身の目がビイドロであり、そのビイドロ越しに貴方の目を見ていると解釈できます。
したがって、1番の語り手はビイドロの目を持たない一方、2番の語り手はビイドロの目を持っている可能性があります。
つまり、この曲では
ビイドロの目を持つ人①
ビイドロの目を持たない人②
の二つの視点があり、1番の語り手は②であり、ここでの「貴方」は①を指し、一方、2番の語り手は①であり、ここでの「貴方」は②を指すのかもしれません。
「ビイドロ」とは和ガラスのことであり、主に津軽などで作られているガラスの一種です。
この情報を踏まえると、この曲における「ビイドロ」はどんな意味を持つのか、考えてみることができます。
私が考えるに、心の奥に秘められた感情を見透かすことができるものとして捉えられるのではないでしょうか。
ビイドロは透明なガラスであり、その透明性から、歌詞の中で晴れや雨の匂いを感じ取ることが描写されています。
ここでの「晴れ」や「雨」は、その人の内面の晴れやかな気持ちや悲しい気持ちを象徴していると考えられます。
ビイドロを通して見ることで、その人の心の奥に隠された感情を見抜くことができるという意味が込められているのではないでしょうか。
この曲では、晴れを待ち望む内容の歌詞が続きます。
ビイドロの目を持つ人①や持たない人②、それぞれがビイドロを通して見ると、苦痛の中に晴れを見出したり、晴れ渡った中に不の感情を見出したりします。
明るく楽しい・絶好調な時も、苦しくつらい・最悪な時も、実は表裏一体であるという意味を含んだ対比が描かれているのではないか、と私は考察します。
身近な描写から、人生について深く考えさせられる
次に、この曲に豊富に描かれている空の情景について考えてみましょう。
ただ単に空について述べられているだけでなく、実は私たちの生き方に関するメッセージが含まれているのです。
この曲では、雨を人生における苦難や困難、晴れを人生における明るい瞬間や成功となぞらえているように思えます。
特に「葬送のフリーレン」の主題歌に選ばれたように、この曲は人間の本質や人生について深く触れている可能性があります。
この前提のもと、いくつかの空に関する描写を見てみましょう。
降り止めば雨でさえ貴方を飾る晴る
様々な物語や歌には、「どんなつらいこともいつかは終わる」という教訓がよく見られますが、ヨルシカのこの曲はそれ以上のメッセージを含んでいます。
「雨でさえ貴方を飾る晴る」という一節は、「雨が降った後の貴方の姿は晴れた日の輝きで飾られる」という意味合いがあるのではないでしょうか。
雨上がりの街は、太陽光で輝く水たまりが美しいですよね。
この光景は、直前に雨が降らなければ生まれなかったものです。
同様に、人生でつらい出来事があっても、いつか晴れるようになれば、それが人生の美しい飾りとなるという意味を込めています。
この一節からは、つらい経験も人生を彩る一部として受け入れることの大切さを感じ取ることができます。
降り頻る雨でさえ雲の上では晴る
前述のフレーズの2番部分は、雨に対する見方が少し異なります。
雨雲がやってきて雨が降り頻る時でも、その雲の上には晴れた空が広がっていると述べられています。
飛行機に乗ると、雲を超える瞬間に青空が見え、感動する人もいるでしょう。
人生も同じで、つらい時や雨のような時でも、その雲を超えると信じられないほど美しい晴天の空が待っています。
雲を超えることができれば、最高の景色が広がります。
このような身近な描写から、人生について深く考えさせられる歌詞を作るヨルシカさんの才能は本当に素晴らしいですね。
「晴る」ことを待てばきっとやってくる季節、それが「春」
次に、この曲のタイトルである『晴る』という言葉に注目してみましょう。
曲の最初では、「晴れる」という意味の言葉として使用され、晴れた天気を指しています。
しかし、曲の後半になると、「晴る」という言葉が「春」という単語と一緒に使われるようになります。
「晴る」という言葉は、普段あまり使われない新しい表現です。
この表現が意図的に使われた理由として、おそらく季節の「春」との関連性が考えられます。
この点について、詳しく考察してみましょう。
まず、楽曲のサビから、「晴る」と「春」がどのように使われているかを見ていきましょう。
晴れに晴れ、花よ咲け 咲いて晴るのせい
ここでは、花が咲いたのは「晴る」の影響として、「春」は言及されません。
続いて、ラストのアカペラからもう一度見てみましょう。
晴れに晴れ、花よ咲け 咲いて春のせい
ここでは最後の部分が季節の「春」になっています。
また、他の箇所でも、1番のサビでも同様の表現が使われています。
僕ら晴る風
ラストサビ
僕ら春風
晴るという言葉が春に置き換わっています。
また、両方の表現が混在している場面もあり、例えば、大サビでは
晴れに晴れ、空よ裂け
裂いて春のせい
降り止めば雨でさえ貴方を飾る晴る
Cメロでは
通り雨 草を靡かせ
羊雲 あれも春のせい
風のよう胸に春乗せ 晴るを待つ
という風に、それぞれの表現が使い分けられています。
では、これらの単語にはどのような意味が込められているのでしょうか?
これから述べるのは完全に私の個人的な考えですので、一つの視点として楽しんでいただければと思います。
「晴る」は人生の好転や成功を象徴しているのではないかと思います。
この曲では、晴れを望む歌詞が続きます。
特に最後でも、「待つ」という単語には必ず「晴る」の字があてられています。
したがって、「晴る」はいつか訪れる幸せな時や成功したときを表していると考えられます。
「晴るを待つ」「貴方を飾る晴る」「音に聞く晴るの風」というフレーズにこの字が使われているのは、この解釈に納得できると思います。
春は人生そのもの、人生という旅そのものを表していると思います。
春という季節は、晴れたり曇ったり雨が降ったりと天気が目まぐるしく変わる季節です。
人生も同様に、上手くいったり時には大失敗をおかしたりと目まぐるしく状況が変化していきます。
この共通点から、春を人生そのものとたとえているのではないでしょうか。
「羊雲 あれも春のせい」というのは、曇ってしまうようなときも、それが人生なのだから受け入れるしかないというメッセージのように感じませんか?
人生が春のように変化が激しいというのはネガティブなように感じられるかもしれませんが、そんなことはないです。
好調がずっと続くことがないのと同様に、絶望もいつまでも続くわけではありません。
雨の中でも「晴る」ことを待てばきっとやってくる季節、それが「春」である。
ここに二つの単語のつながりがあるのではないでしょうか。
まとめ
今回はアニメ「葬送のフリーレン」のオープニング曲『晴る』について考察してきました。
ヨルシカの曲は文学的な表現が多く、深いメッセージが込められており、聞くたびに新たな発見があります。
この考察は私の個人的な見解であり、他にも様々な考え方があるでしょう。
皆さんも自分なりの解釈をしてみてください。
さまざまな考察を共有し合い、深い曲の魅力を一緒に味わいましょう。