1. 「赤黄色の金木犀」に込められた秋の情緒と記憶のつながり
秋といえば紅葉や月見を思い浮かべる人も多いでしょうが、「赤黄色の金木犀」はその中でも“香り”という五感に訴える要素を通して季節を描いています。金木犀の甘く切ない香りは、誰にとっても一度は経験したことのあるものであり、その香りに包まれた瞬間、ふと昔の記憶が蘇る──そんな感覚をこの曲は見事に表現しています。
特に「金木犀の香りがして たまらなくなって」という一節からは、香りが単なる自然現象ではなく、主人公の心を強く揺さぶる引き金であることが分かります。嗅覚は記憶と深く結びついており、過去の情景や感情を一気に引き戻す力を持っています。その力を借りて、志村正彦は聴き手に“秋”という時間軸を超えた感情の旅をさせているのです。
2. 志村正彦の繊細な感情表現と詩的センスの真価
志村正彦の歌詞には、日常の中に潜む繊細な感情が巧みに織り込まれています。決して劇的な出来事や派手な言葉を使うわけではありませんが、その控えめな言葉選びの中に、深い心の機微が表現されています。
「もしも過ぎ去りしあなたに 全て伝えられるのならば」という歌い出しは、過去への未練や後悔、あるいは言葉にできなかった思いを柔らかく、しかし確実に浮き彫りにしています。このような“言えなかった気持ち”を抱えた経験は、誰しも一度はあるはずです。志村の詩は、その普遍的な感情を詩的かつリアルに言語化する力を持っており、それが多くの人々の心を打つ所以でしょう。
3. サビに宿る“胸のざわつき”が表現する青春の一瞬
「何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道」というフレーズは、まさに青春の真ん中にある“理由のない感情の揺らぎ”を象徴しています。大人になると忘れてしまいがちなこの感覚──それは、誰かの顔がふと浮かんだり、些細な出来事で心が大きく揺れたりする、言語化しづらい情緒です。
この曲では、その“ざわつき”を否定するのではなく、肯定し、共感する形で描いています。感情の理由を探すことなく、その存在自体に価値があると受け止める。その姿勢こそが、志村正彦の優しさであり、聴く者の心にそっと寄り添う理由でもあります。
4. 音楽理論から読み解く「赤黄色の金木犀」の不安定なコード進行
「赤黄色の金木犀」の楽曲的な特徴として語られるのが、サビ前に登場するコードAm7(♭5)です。このコードは“ハーフディミニッシュ”とも呼ばれ、不安定さや緊張感を生む独特な響きを持っています。この響きがあるからこそ、次に訪れるコード進行が際立ち、より印象的な展開になります。
このようなコードを使うことで、歌詞の内容──つまり、心のざわつきや不安、懐かしさといった感情の波が、音そのものにも表れているのです。歌詞とメロディの両方で“揺れる心”を表現している点が、この楽曲の完成度の高さを物語っています。
音楽理論に明るくない人であっても、無意識のうちにこの不安定な響きを「何か落ち着かない」「切ない」と感じ取っているはずです。その感覚こそが、この曲を聴く体験の中で最も心を動かすポイントではないでしょうか。
5. フジファブリックの音楽世界と「金木犀」が象徴する記憶の風景
フジファブリックの楽曲には、どこか“記憶の中の風景”を描いたような作品が多く見られます。「若者のすべて」や「茜色の夕日」といった曲も、時の流れや失われた瞬間へのノスタルジーが色濃く感じられますが、「赤黄色の金木犀」もその系譜に連なる楽曲と言えるでしょう。
金木犀は、決してメインの主役ではありません。しかし、その香りが感情の引き金となり、心の中に眠っていた記憶を呼び起こす媒体として強く機能しています。そしてその記憶とは、必ずしも楽しいものではなく、少し苦く、ほろ苦い感情を伴っているのが特徴です。
そうした“甘くて苦い感情”を自然の風景とともに描くのは、フジファブリックならではの世界観です。「赤黄色の金木犀」は、過ぎ去った日々に手を伸ばすことはできないけれど、その記憶と共に今を生きている──そんな儚くも優しいメッセージを、聴く人に静かに届けてくれます。
🔑 まとめ
「赤黄色の金木犀」は、金木犀の香りという誰しもが持つ共通の感覚を通して、“記憶の扉”をそっと開く楽曲です。志村正彦の繊細な感性と詩的な表現、そして不安定なコードが生み出す音のざわめきが融合し、聴く者の心に過ぎ去った日々の情景を呼び戻します。この楽曲は、青春の感情の揺れや、言葉にできない想いをそっと包み込むような、まさに“記憶の音楽”です。