【歌詞考察】ジェニーハイ「不便な可愛げ feat. アイナ・ジ・エンド」“本当の私”は不器用で愛しい

① コラボの魅力|ジェニーハイ × アイナ・ジ・エンドの化学反応

ジェニーハイの最新楽曲「不便な可愛げ」は、BiSHのアイナ・ジ・エンドをフィーチャリングした一曲であり、音楽ファンの間で注目を集めています。特徴的なのは、ジェニーハイの持つポップでユーモラスな世界観に、アイナ・ジ・エンドの感情表現豊かな歌声が絶妙に交差している点です。

イントロの印象的なピアノは、新垣隆の存在感をしっかりと示しており、繊細かつドラマチックなサウンドが楽曲全体の感情曲線を巧みに導いています。そして、くっきりとした輪郭のある川谷絵音のボーカルと、哀愁を帯びたアイナの歌声が交互に現れる構成は、まるで一つの短編映画のように物語性を持たせています。

コラボによってそれぞれの個性が消えるのではなく、むしろお互いの存在を引き立て合い、唯一無二のサウンドスケープを実現しています。


② 楽曲タイトル「不便な可愛げ」の深読み

この曲のタイトルである「不便な可愛げ」という表現は、一見すると矛盾を孕んでいるようにも思えます。“可愛げ”とは、周囲に愛される素直さや控えめさを意味する一方、“不便”という語はそれが社会的に受け入れられない、もしくは役に立たないといった印象を与えます。

このタイトルには、「本当の私らしさ」が時として他者にとって都合が悪く映ってしまうという、現代人の“生きづらさ”が投影されているように感じます。とくに女性が社会で求められる「可愛げ」や「空気を読む態度」に対し、それをあえて拒むような姿勢すら感じられるのです。

その意味で、このタイトルは一種のアンチテーゼであり、個性や本音を押し殺さずに生きることの難しさを象徴していると言えるでしょう。


③ 歌詞パート別解説:妄想と現実のはざまで揺れる心

歌詞は、冒頭から「目が覚めて気がついたら全部妄想だった」というラインで始まります。ここから、現実に対する失望や諦めと、空想世界での自分への逃避が描かれます。

AメロからBメロにかけては、自分を「みじめで哀れ」と自嘲しつつも、「それでもナンバーワンでいたい」という複雑な感情が渦巻いています。このあたりの表現には、自己肯定と自己否定が交錯する現代的なメンタリティがにじみ出ており、聴く人によって解釈が大きく分かれるポイントです。

サビでは「不便な可愛げ」というフレーズが何度も繰り返され、アイナ・ジ・エンドの力強く切ないボーカルが、感情の抑制と爆発を絶妙に演出します。特に「やっぱり私はダメなんだ」というようなラインが象徴的で、自己認識と社会的評価の間で葛藤する心情が浮き彫りになります。


④ “オンリーワン”への渇望とアイロニカルな自己肯定

中盤以降の歌詞では、「見境なく惚れられる世界線」や「選ばれた気がしてた」など、理想化された自分への幻想が綴られます。しかしそれは、決して本気で信じているわけではなく、どこか自分を茶化しているような“皮肉”のニュアンスも含まれています。

このような構造は、現代における自己肯定感の獲得の難しさを示しているとも言えます。他者からの評価に依存せずに自分を肯定することの困難さ、また、無理に自分を好きになろうとする「自己啓発的な自己肯定」との距離感が見て取れます。

まるで「ナンバーワン」になろうとして空回りする姿が、かえって“人間らしさ”を際立たせる構成です。


⑤ MVと音の演出が歌詞にもたらす“切なさ”と“軽さ”

ミュージックビデオでは、都市の夜景や控えめな色調が使われ、楽曲の持つ“切なさ”を際立たせています。一方で、コミカルな衣装や振り付けが挿入されることで、重くなりすぎない絶妙なバランスを保っています。

特筆すべきは、ピアノによるクラシカルな伴奏と電子音のミックスです。この音像が、歌詞の中にある“軽さと重さ”“本気と冗談”のような相反する感情を象徴しています。

また、川谷絵音とアイナ・ジ・エンドの表情の違いも演出の要であり、視覚的な演技が歌詞の心情をより立体的に浮かび上がらせています。音と映像の相互作用が、単なる歌詞解釈以上の余韻を残してくれるのです。


まとめ
「不便な可愛げ」は、現代人の“生きづらさ”と“自分らしさ”を巡る葛藤を描いた深遠な楽曲です。歌詞、演出、コラボレーションすべてがそのテーマを丁寧に支えており、表面的なポップさの裏に繊細なメッセージが隠れています。