【セロリ/山崎まさよし】歌詞の意味を考察、解釈する。

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ 夏がダメだったり セロリが好きだったりするのね ましてや男と女だからすれちがいはしょうがない 妥協してみたり多くを求めたり なっちゃうね

寒冷な地域で育った人は、しばしば「寒さに強くても、暑さに弱い」という傾向があるかもしれません。
同様に、暑い地域出身者が暑さに耐えられないと、「〇〇(暑い地域の名前)出身なのに暑さに弱いのか」とからかわれることもありますが、個々の感じ方は出身地と直接関係ないことが多いです。
暑さや寒さへの耐性と出身地の関係には傾向が見られるかもしれませんが、必ずしも全ての場合に当てはまるわけではありません。

ここでは、2人の間には夏(暑さやそれに関連する要素を指す記号として「夏」と仮定します)への耐性の差や、セロリに対する受け入れ方の差など、細かい違いがあります。
ただ、このような細かい点は主要な話題ではなく、性別に焦点を当てた前提のもと、彼らの違いの本質の1つは性別にあります。

「出身地」と「暑さ・寒さへの耐性」の関連性があるように、同様に「性別」と「異なるものへの受容や耐性」にも傾向が見られるかもしれません。
性別は個々の違いであり、長い間、個々の差や多様性を無視した時代がありました。
しかし、近年では性に関する区分をより詳細にする動きがありました。

以前のポップソングや歌謡曲を聴いた際、性別に関連する表現に違和感を覚えることがあります。
最近では、性別に関する表現がより注意深く取り扱われているように感じます。
この変化に気付いた方は私だけではないでしょう。

性に関する議論の繊細な取り扱いが進む一方で、率直に性別の違いや傾向をただ述べるだけで、嫌味のない形で表現されたポップやロックの作品に出会うと、その率直さに感心することがあります。

『セロリ』において印象的なのは、日常の些事や具体的なものから自然現象に至る幅広いテーマを、自然な流れで描写している点です。
性別の問題を挙げた後、「すれちがいはしょうがない」といったスタンスを取る一方で、それを優先することなく、さらりとした洗練された印象を与えます。
コードの響きにおける4和音の多用も、リスナーに大きな印象を与えるでしょう。

口語表現を交えながら客観と主観を絶妙なバランスで述べ、「妥協したり多くを求めたりすることはあるよね」と総括しています。

何がきっかけで どんなタイミングで 二人は出逢ったんだろう やるせない時とか心許ない夜 出来るだけいっしょにいたいのさ

「何がきっかけで、どんなタイミングで二人は出会ったのだろう?」という表現は、主人公目線のように見えましたが、実際は「神の視点」なのでしょうか?
この表現が、当事者として出会いの瞬間や背景を知っているはずなのに、それを思い出せないのかと疑問に感じる部分ですね。
「やるせない時や不安な夜、できるだけ一緒にいたい」というフレーズは再び主観的な表現になりますが、「彼や彼女はそう感じている」というのも、「神の視点」にも当てはまらないかもしれませんね。

がんばってみるよ やれるだけ がんばってみてよ 少しだけ なんだかんだ言っても つまりは単純に君のこと好きなのさ

自分も努力して歩み寄るように努めているから、君も頑張ってみてほしいんだ。
時にはすれ違いや妥協の中で、少し意見を言うこともあるけれど、それは君のことを気にかけているからであり、一緒にいたいからなんだよ……と考えてみるといいかもしれない。
この表現は、「なんだかんだ言わなければならない」現実をある程度認識しつつ、好意を示しています。
自分を押し付けたり相手に尽くしすぎたりするようなエゴから抜け出し、より成熟した愛情を表現しているように感じられます。

性格曲げてまで気持ちおさえてまで 付き合うことないけど 一人じゃ持ちきれない素敵な時間に 出来るだけいっしょにいたいのさ

主人物は、一人の時間の重要性や存在をしっかりと認識しています。
その時間を崩すつもりはなく、制限する必要もありません。
しかし、ただそれだけでは満足できない、特別な時間があることも同時に認めているようです。
一緒にいることが、それを実現するために必要だというのが彼らの意図なのかもしれません。
この流れから、サビの第一節へと続いていくことになります。
そしてその後に続くのが、強烈な言葉の連続です。

毎回毎回そんなにいっつも会えないから一人で考えてたってにっちもさっちもいかない現状で じゃ ま いいかなんてそんなに簡単に片付かないからこっちもそっちもどっちも毎晩毎晩毎晩毎晩 逢いたい

人間の思考は、主観的で断片的であり、時には矛盾したり非論理的になることがあります。
同じ考えでも何度も繰り返すこともあります。
思考は非常に高速で、筆記やタイピングなどの行動よりもはるかに速いです。
音楽や話し方(トークやスピーチ)さえも追いつけない瞬間速度を持つのが思考や思念ですが、山崎まさよしは『セロリ』の一部でその速さに近づこうとしています。

一部の人は、山崎まさよしの『セロリ』のこの部分を「ラップ」と形容していますが、一般的なラップとは異なる印象があります。
山崎まさよしは自身の表現を進化させた結果、ラップの形式や特徴に少し似ているだけであり、本質的には異なるように感じます。
それは、音楽のジャンルや手法として確立する前の、本来のラップの姿なのかもしれません。

ごちゃごちゃしていて、散らかっており、まとまりがなく、同じことの繰り返しもある。
遊び心やアイディアが満ちた演出が、実は曲のテーマである人の思考や心の本質を見事に表現しています。

「つまりは単純に君のこと 好きなのさ」の前段階の部分、基本的な感情の表現が「毎晩毎晩毎晩毎晩逢いたい」のように感じられるのではないかと思います。