【茜色の夕日/フジファブリック】歌詞の意味を考察、解釈する。

この曲は、フジファブリックの代表的な作品のひとつであり、多くの人に愛されています。
また、様々なアーティストによってカバーされ、その人気は広がっています。
歌詞は不器用さを持ちながらも、繊細さがあり、夕暮れ時の切なさを巧みに表現しています。
この曲が未だに多くの人に愛される理由を探求してみたいと思います。


フジファブリックの名曲『茜色の夕日』は、彼らのアマチュア時代から大切にされてきた曲であり、急逝した志村正彦が遺した作品のひとつです。

最近では、菅田将暉によるカバーが注目を集めました。
また、志村さんが亡くなった後に奥田民生がテレビ番組で歌唱したことでも多くの人の記憶に残っています。

この曲がなぜ表現者たちから高い評価を受け、聴く者を魅了するのか。
歌詞を通じてその理由を考察してみたいと思います。

シンプルな表現

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

歌詞は、非常にシンプルな言葉で構成されています。
その淡々とした表現から、少し不器用な印象を受ける人もいるかもしれません。

しかしそこにこそ、この楽曲が描く世界観が広がっているのです。
複雑で難解な言葉を使って見栄えのする歌詞を作ることは簡単ですが、志村さんはそういった表現には走りませんでした。

この曲の歌詞は、さらっとした表現によって、聴く人それぞれに異なる風景を思い浮かべさせるのです。
誰もがその時々に、幸せな思い出や悲しい出来事を思い出すのです。
どんな時に、誰と一緒に、どこにいたのか。
それは聴く人によって変わるのです。

つまり、誰もが理解できるシンプルな言葉で不器用に表現されたからこそ、一人ひとりの心に独自の情景が浮かび上がるのです。

「今」を大切に生きる

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、 子供の頃の寂しさがない

思い出してみてください。
幼い頃の夏休みのこと。
たくさんの楽しい思い出があり、長いようでいてあっという間に休みが終わり、その後、少しずつ夏が終わっていく時の感情を思い出せるでしょうか。

当時感じた寂しさは、大人になった今ではなかなか味わうことができない感情です。

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

考えてみてください。
一生懸命相手に思いを伝えたつもりでしたが、後から振り返ってみると、自分の行動がどこかカッコ悪く感じられる瞬間があったかもしれません。
そんな時に抱く虚しさや恥ずかしさ、それに共感できる方もいるかもしれません。

しかし、それもまた幼き頃の夏への思いと同じです。
過去に感じた感情は、その時だからこそ味わえた貴重なものです。

過去の感情を完全に再現することは、実際には難しいものです。
過去と現在では、全てが変わってしまっています。

時間は流れ続けていますが、過去に感じた思い出は、私たちにとって大切なものです。
それは、「今」という時間の大切さを伝えるためのメッセージなのかもしれません。

聴く人それぞれの風景

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

楽曲の中では、「君」と「僕」という人物が登場します。
なぜ「君」が涙を流しているのか、具体的に志村さんがどんな情景を思い浮かべてこの歌詞を書いたのかはわかりません。

この理由が良いことなのか、悪いことなのかは分かりません。
しかし、「忘れることはできない」というフレーズは、きっと「僕」、つまり私たち聴く人の心に深く刻まれた風景を呼び起こすのでしょう。

「君」と「僕」は、現在も一緒に過ごしているのでしょうか。
その答えは、おそらく人それぞれ異なるでしょう。

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

彼の本音は、具体的に何を思っているのかはわかりません。
また、誰に対して無責任だと言っているのかも明確ではありません。
この楽曲では、特に意味深な表現が用いられていますが、その詳細ははっきりしていません。

しかし、おそらくそれは彼が夕日を見つめながら感じた思いをそのまま言葉にした結果なのでしょう。

この曲は、不器用ながらも嫌味のないストレートな表現で彼の思いを伝えてくれます。
それがフジファブリックの魅力なのです。