悪役の視点から、物語の典型的な表現に疑問を投げかける素晴らしい曲があります。
それは、クリープハイプのメジャー2ndアルバム「吹き零れる程のI、哀、愛」に収録されている「かえるの唄」です。
カオナシ曲
クリープハイプのバンドメンバーで、尾崎と並ぶ人気を持つメンバーがもう一人います。
それが、ベーシストの長谷川カオナシです。
クリープハイプの楽曲のほとんどは尾崎の作詞作曲によるものですが、アルバムやシングルごとに、長谷川カオナシによる「カオナシ曲」と呼ばれる楽曲が1曲ほど収録されています。
さらに、カオナシ曲ではヴォーカルも担当し、バンド内で準主役的な役割を果たしています。
その魅力の一部は、見た目のカッコよさにもあり、それが彼の人気の秘密の一端となっています。
瞬時に聴衆に馴染む童謡のような要素
この度、フォーカスを当てるのは、長谷川カオナシが手がけた特別な楽曲の一例です。
この曲は、2013年7月24日にリリースされた2ndアルバム「吹き零れる程のI、哀、愛」に収録されており、その名前を聞くと多くの人が知っているあの曲を思い浮かべることでしょう。
「かえるの唄」というタイトルを聞くと、「かーえーるーのうーたーがー」というフレーズが頭に浮かぶことでしょう。
初めて聞いた時、この曲が童謡とは無関係に思えるかもしれません。
しかし、長谷川カオナシによれば、この曲は意識的に童謡の雰囲気を取り入れて作られました。
その理由は、子供たちが楽しめる、理解しやすい曲が一番インパクトがあり、キャッチーだということです。
童謡は確かに、その覚えやすいメロディで知られており、難解な楽曲にも魅力がありますが、それは音楽に深く没頭する人が感じる魅力です。
一方で、瞬時に聴衆に馴染む童謡のような要素は、ポピュラーミュージックにおいても極めて重要な要素の一つです。
当たり前に疑問を投げかけている
楽曲の素晴らしさに加えて、歌詞の内容も尾崎にも匹敵する才能が発揮されています。
「かえるの唄」の歌詞は、物語の悪役の感情を表現したもので、まずこのアプローチ自体が非常に興味深いです。
そして、タイトルに込められた意味にも焦点を当てることができます。
「かえる」という言葉が、一体何を象徴しているのか、その解釈を探ってみましょう!
なぁなぁあんたさ、そうあんたですよ
ちょっとでいいから聞いてくれよ
任された この悪役ってやつも
なかなか因果な商売でして
曲の冒頭で、まるで語りかけるかのように、「悪役って大変なんだよ!」と歌われています。
確かに、悪役としての立場は、得をすることがほとんどないという一般的なイメージがあります。
この歌詞が語る愚痴を共感しながら聴くのも、一つの楽しみです。
何がそれほど大変なのか、その理由に耳を傾けていくことで、物語が展開していきます。
一つ、先ず憎まれなくちゃ駄目
一つ、次に欲張らなくちゃ駄目
「謀られた」「濡れ衣だ」って
一つ、こんな女々しさ出しちゃ駄目
歌詞では、悪役が大変な理由がいくつか挙げられています。
まず、「憎まれなくちゃ駄目」という要求がありますが、これは悪役が悪事を働く性質上、周囲から嫌われなくちゃいけないというジレンマを示しています。
次に、「欲張らなくちゃ駄目」という要求があります。
これは、悪役が自分の行いを正当化し、自分が正しいと主張しなければならないというプレッシャーを意味しています。
悪役は自分の行いを隠すために、時に卑怯な手段を使うことが物語を盛り上げる要素として活かされています。
最後に、「こんな女々しさ出しちゃ駄目」という要求が挙げられています。
この要求は、悪役が自分が悪事を犯す理由を説明しようとしないことを指摘しています。
悪役が自分を正当化することで、物語のヒーローが対抗しにくくなるため、この矛盾がストーリーを興味深くしています。
人間は通常、良心を持つ生き物ですが、悪役の役割はその逆であるため、悪役としての役割は相当な挑戦です。
大体最後はこうやって ひらひら踊ればいいんでしょう
大体最後はこうやって ハチの巣にされればいいんでしょう
物語の進行において、悪役が直面する最も辛い現実が明らかになりました。
それは、物語の結末が決まっているということです。
一般的に「終わりよければ全てよし」と言いますが、悪役にとっては必ずしも良い終わりが待っているわけではないのです。
この現実は、悪役の立場から見ると非常に苦しいもので、その無情さに共感を覚えることもあるでしょう。
なぁなぁあんたさ伺いますけど
かえるを茹でたことはあるかい
アンダンテくらいでアルデンテすれば
気づかず茹だるのさ
これで誰でも騙せるさ「なんちゃって」で済む冗談で 済まないから針千本だよ
アンダンテに棲む妖怪さん すまないけどあんたが飲んでよ
この部分において、カエルが熱湯に徐々に慣れてしまい、最終的には熱さに気付かずに茹で上がってしまうことが例えとして挙げられています。
この例え話は、時に周囲の状況がどれほど過酷であっても、人々はそれを当たり前と受け入れてしまうことを示しています。
要するに、この部分で伝えたいのは、「悪役って実はかなり厳しい扱いを受けているけれど、それが当たり前になってしまっていること」です。
悪役はこの状況について「なんちゃって」ではなく、真剣に問題提起しているのです。
そして、この悪役を取り巻く状況を創り出した人々に対しても責任を問うような描写が見受けられます。
ちなみに実際のカエルは、どれほど緩やかに温度が上昇しても、熱さに気付いて逃げ出すと言われています。
なぁなぁ姫様そうあんたですよ
キスで呪いを解いてやれよ
任された この悪役ってやつも
蛙は相手にできないよ
この部分は、おそらくグリム童話の「かえるの王さま」が元ネタになっていると考えられます。
この童話では、カエルにキスをすることで魔法が解け、王子様に戻るというストーリーが描かれています。
一部のバリエーションでは、カエルを壁に投げつけることで魔法が解けるオチもあるようです。
おそらく、子供向けの優しい表現に改良された可能性もあるでしょう。
「やられるのがお決まりの悪役」という表現からも、悪役たちはカエルには敵わないと自覚していることが伺えます。
また、先に挙げた「茹でガエル」の部分と合わせて、ヒーロー側も感覚が麻痺している可能性が示唆されています。
一般的にヒーローは勝つことが当然とされがちですが、この歌詞はその当たり前に疑問を投げかけています。
「かえるの唄」というタイトルは、何が当たり前かという考え方に皮肉を込めているのかもしれませんね。
まとめ
このたび、クリープハイプの「かえるの唄」をご紹介しました。
この楽曲は、物語の結末が「大体こうなる」という常套句に対して疑問を投げかける内容を持っています。
実際の人生は、予測が難しく、物語のように常に予想通りには進みません。
この楽曲は、そのような常套句に挑戦し、自分自身の答えを探求する精神性を表現しています。
クリープハイプが一線で活躍できているのは、おそらくこのような精神性に起因しているのでしょう。
そして、この精神性が、この曲を生み出す原動力の一部となっている可能性があるでしょう。