1. 「旅立ち」と「過去との決別」が描く歌詞背景とは?
『ワタリドリ』の歌詞には、「旅立ち」や「別れ」といった感情が繊細に描かれています。特に冒頭の「新しい季節に僕らは旅立つ」からは、ただの物理的な移動ではなく、精神的な成長や決別を意味する旅を想起させます。
この「旅立ち」は、単に故郷を離れるという意味に留まらず、過去の自分や慣れ親しんだ環境、あるいは“甘え”のようなものと決別し、新しい自分へと生まれ変わろうとする意思が込められていると解釈できます。まるで、変化を恐れずに羽ばたく「渡り鳥」のように、自らを奮い立たせて進んでいく姿勢がにじみ出ています。
2. “飛べる者・落ちる者”──夢を追う苦悩と継続の意思
「飛べる者」と「落ちる者」という対比的な表現が象徴的です。このフレーズは、夢を追う者すべてに降りかかる現実を描いているように思えます。
夢は美しく、誰もが憧れるものですが、その実現には大きな困難が伴います。飛べる者(夢を掴む者)と落ちる者(夢に敗れる者)――このような二元性の中で、歌詞では「どちらにもなり得る自分」が表現されています。
それでも「君が笑っているならばそれでいい」といった一節からは、他人の評価や成功の有無に関係なく、「自分は歌い続ける」「歩みを止めない」という強い意志が感じられます。理想と現実の狭間で葛藤しながらも、それでも“前に進む”という意思が、本楽曲の核を成しているのです。
3. 渡り鳥は目的地へ飛び立つ者:「ワタリドリ」の比喩とは
タイトルにもなっている「ワタリドリ」は、もちろん実在する渡り鳥を指しますが、歌詞中では比喩としての意味合いが非常に強い存在です。
歌詞に登場する“渡り鳥”は、もともと渡り鳥だったわけではなく、「渡り鳥になろうとしている存在」と捉えることができます。すなわち、“まだ飛び立てていないけれど、意志を持って羽ばたこうとする人間”を象徴しているのです。
また、渡り鳥の習性として「目的地を持って飛ぶ」「時に群れから離れて一羽で飛ぶ」などがあります。これは、個人の信念に従って孤独な道を選ぶことや、誰にも頼らず自分の意志で進む姿勢と重なります。このように、「ワタリドリ」というモチーフには、決意・自由・孤独・挑戦といったさまざまな意味が込められているのです。
4. 映画主題歌としての重み:「明鳥」とのリンクと強さの表現
『ワタリドリ』は、映画『明鳥』の主題歌として書き下ろされた楽曲でもあります。この映画では、少年たちの葛藤や成長が描かれており、そのストーリーと歌詞の内容が深くリンクしています。
「迷いや不安を抱きつつも、それでも飛び立とうとする姿勢」は、映画の登場人物たちの生き方と共鳴しており、単なる挿入歌ではなく、作品全体のメッセージを支える存在となっています。
また、映画との相乗効果により、『ワタリドリ』の歌詞がより立体的に響くようになります。楽曲だけでは伝わりきらないニュアンスが、映画を通して浮き彫りになり、聴き手により強い感情を呼び起こすのです。
5. 制作裏話から見る「ワタリドリ」に込められた覚悟と想い
ボーカルの川上洋平は、インタビューなどで『ワタリドリ』に対して特別な思い入れを語っています。
制作時は「ただのポップソングにはしたくなかった」と明言しており、楽曲に芯のある強いメッセージを込めることを意識していたそうです。実際、歌詞のワード選びには非常に慎重を期し、「言葉の一つ一つが聴き手の背中を押すような存在にしたかった」とも述べています。
さらにレコーディングでも、あえて一発録りに近い形で感情を込めて歌い上げるなど、演奏や歌唱にもこだわりが詰まっています。タイトルの「ワタリドリ」も、制作当初から決まっていたわけではなく、最終的にこの言葉に決まった背景には、「自分たちの姿そのもの」としての象徴性があったと言われています。
つまり『ワタリドリ』は、[Alexandros]というバンドの“意志表明”ともいえる楽曲であり、彼らがなぜ音楽を続けるのか、どこに向かっているのかを明確に示すマイルストーンでもあるのです。
【まとめ】“ワタリドリ”は、挑戦し続ける者のアンセム
『ワタリドリ』は、ただの別れの歌でも、夢を語る歌でもありません。それは「自分自身を奮い立たせ、何度でも飛び立とうとする者」へのエールです。
歌詞の一つ一つに込められた意志と情熱が、聴く人それぞれの人生に重なり、多くの共感と感動を呼び起こしています。そして何よりも、「何度落ちても、また飛び立てばいい」と語りかけてくれるこの曲は、人生の転機に寄り添う“旅立ちの歌”であり、“覚悟の歌”でもあります。