映画『君の名は。』内で流れるRADWIMPS(ラッドウィンプス)の楽曲『スパークル』は、物語の要素を反映させつつ、人生の輝きを歌い上げています。
この歌詞に込められた意味を探求してみましょう。
大ヒット映画の劇中歌
RADWIMPSの楽曲『スパークル』は、人気アニメ映画『君の名は。』の劇中歌として制作されました。
映画では、主題歌を含むすべての楽曲が野田洋次郎によって作曲・作詞されており、特に『スパークル』は物語のクライマックスで使用される重要な楽曲として注目されています。
楽曲は、迫力のあるメロディラインと繊細なピアノやバイオリンの音色、そしてオーケストラの荘厳さが絶妙に組み合わさり、8分にわたる長さでも飽きることなく聴き続けられる魅力的な一曲となっています。
新海誠監督によって制作された楽曲のミュージックビデオ予告編も存在し、映画の世界観が見事に再現されていることで注目を浴びました。
タイトルの「スパークル」は英語で「きらめき」や「活気」といった意味を持つ言葉であり、この楽曲を通じて観客は映画の世界観だけでなく、日常の輝きを感じることができるでしょう。
オリジナルの楽曲に加えて、映画用に編集されたバージョンも存在しており、いずれもRADWIMPSの6枚目のスタジオ・アルバム『人間開花』に収録されています。
ここでは、2016年にリリースされたオリジナルバージョンの歌詞に込められた意味を詳しく解説していきます。
退屈な日々の繰り返し
まだこの世界は 僕を飼いならしてたいみたいだ
望み通りいいだろう 美しくもがくよ
主人公である「僕」は、現実世界に対して不満や疑問を抱えています。
「僕を飼いならしてたいみたい」というフレーズは、自身が自分の人生をコントロールしているように感じている一方で、実際には周囲の状況や制約に縛られているという複雑な感情を表しています。
それでも、「僕」はこの葛藤の中で、自分自身の存在を確認し、自分らしい生き方を模索しようとする強い意志を持っています。
互いの砂時計 眺めながらキスをしようよ
「さよなら」から一番 遠い 場所で待ち合わせよう
砂時計は有限な時間の経過の象徴であり、その中に一生の時間を凝縮しているかのようです。
お互いの残された時間を気にしつつも、今を共有する大切な人とのひとときを大切に刻みたいという感情が歌詞に表れています。
特に印象的なのは、「「さよなら」から一番遠い場所で待ち合わせよう」という一節です。
これは、別れが最も遠い場所で再び出会おうという意味を込めたものであり、新たな出会いが最も遠くにあることを暗示しています。
つまり、この歌詞は予期される終わりを意識しながら、その中でも出会いを大切にしようという願いが込められているのです。
ついに時はきた 昨日までは序章の序章で
飛ばし読みでいいから ここからが僕だよ
経験と知識と
カビの生えかかった勇気を持って
いまだかつてないスピードで 君のもとへダイブを
「君」という存在と出会う前の日々は、まるで序章の序章のような時間であったと感じます。
ここからが、本当に自分の人生の幕開けです。
これまで積み重ねてきた「経験と知識」、そしてまだ使ったことのない「勇気」を手に、世界がどんな困難を投げかけてきても、「君のもとへ」進む覚悟を持っています。
どのような場所であろうとも、その決意は揺るぎません。
まどろみの中で 生温いコーラに
ここでないどこかを 夢見たよ
教室の窓の外に
電車に揺られ 運ばれる朝に
「まどろみ」という言葉が使われるように、彼は夢と現実の間で微妙な境界にいるようです。
コーラが爽やかさを持つはずが、生温くなっている描写は、日常の退屈な現実を象徴していると言えるでしょう。
「教室の窓の外」や「電車」などのシーンも、ありふれた日常の一場面を表しています。
毎日同じ風景や同じ行動の繰り返しによる退屈さは、誰もが経験する感情かもしれません。
彼もまた、「ここではないどこか」への渇望を抱えていることが示唆されています。
どんな未来が待っていても
「はじめまして」なんてさ 遥か彼方へと追いやって
1000年周期を 一日で息しよう
出会った日の記憶が遥か遠い過去のように感じるほど、彼は「君」との共有した時間を長く続けたいという強い願いを抱いています。
まるで1000年もの歳月を一日のように感じるかのように、彼は永遠に「君」と一緒に過ごしたいという思いを胸に秘めています。
辞書にある言葉で
出来上がった世界を憎んだ
万華鏡の中で 八月のある朝
君は僕の前で
ハニかんでは澄ましてみせた
この世界の教科書のような笑顔で
「辞書にある言葉で出来上がった世界」とは、何ものも特別ではない言葉で表現しようとするこの現実のことを指しているかもしれません。
人生や人々の感情は、簡単に言葉で捉えられない複雑さに満ちています。
それは、美しさと繊細さを併せ持つ万華鏡のようなものです。
しかし、現実世界は勝手に言葉で区分し、全てを単純なカテゴリーに収めようとします。
「君」が放つ、正しさの象徴とも言える微笑みの裏に隠された思いについて、主人公は知識を持っていません。
その感情はきっと、言葉で具体的に表現することができないものでしょう。
だからこそ、主人公は万華鏡を覗くようにして、ただその美しさをじっくりと眺めたいと思ったのかもしれません。
嘘みたいな日々を 規格外の意味を
悲劇だっていいから望んだよ
そしたらドアの外に
君が全部抱えて立っていたよ
日常の退屈から抜け出せるなら、「悲劇だっていい」と彼は考えていました。
しかし、「君」との出会いによって、「嘘みたいな日々」や「規格外」な出来事が彼に訪れます。
これは二人にとって困難な局面でもありましたが、彼女と出会えたことで感じる幸福は変わりませんでした。
運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で 僕ら遊ぼうか
多くの人々が、運命や未来といった概念に縛られて日々を過ごしていることは確かです。
「遊ぼう」という表現は、映画内で瀧と三葉が現実に逆らって入れ替わる出来事とリンクしています。
どんなに運命が定められようとも、見通せない未来が待っていようとも、彼女と一緒に楽しく生きることに重点を置く心情が、この表現によって伝わってきます。
限りある人生をどう生きるか
愛し方さえも 君の匂いがした
歩き方さえも その笑い声がした
いつか消えてなくなる 君のすべてを
この眼に焼き付けておくことは
もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ
「愛し方」や「歩き方」といった些細なことにも、彼女の存在が息づいているようです。
どんな些細な仕草も、彼にとっては愛おしく感じられるほど、彼は彼女への深い愛情を抱いています。
将来的には避けられない死という運命を考えれば、彼は彼女が過ごした日々や共に過ごした瞬間を、永遠の記憶として心に焼き付けたいと思っています。
この願いは、彼女との出会いから生まれた「義務」として、果たさなければならないことだと感じているのです。
運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
時計の針も二人を 横目に見ながら進む
そんな世界を二人で 一生 いや、何章でも
生き抜いていこう
予定外だった出会いから、運命に立ち向かって愛を育みました。
「時計の針」は容赦なく進み、残る時間は次第に減っていく中で、二人の関係も深まっていきました。
そうした厳しい現実の中でも、彼女と共に過ごせるなら、どれだけ困難な世界でも何度でも受け入れる覚悟を歌っています。
一生をまるで一つの章と喩え、どれだけの章が訪れようとも、彼女との時間を大切に生き抜こうと願っています。
この歌詞は、限られた人生の中で愛する人との瞬間を存分に楽しむことの難しさを、繊細な表現で伝えています。
大切な人との時間を大切に
『スパークル』は、深い愛情が人々の心を打つ感動的な楽曲です。
日々の平凡な過ごし方でも、愛する人の存在があれば、人生は美しさに満ち、輝きを放ちます。
もしもあなたが、大切な人と出会い、その人との瞬間に感謝の気持ちを抱いているなら、どんな運命が訪れようとも、その絆を手放してはならないという意味が歌詞から伝わってきます。
この歌は、あなたの大切な愛を、より華やかに輝かせてくれることでしょう。