今回は、個人的に大好きなバンドである「THE YELLOW MONKEY(ザ・イエローモンキー、通称:イエモン)」の名曲「バラ色の日々」の歌詞について、個人の解釈と考察を共有したいと思います。
この曲は1999年にリリースされ、イエモンの代表作のひとつとして知られています。
再結成後も、ライブなどでファンと一緒に大合唱されることで、非常に感動的な瞬間となっています。
この曲は、公式のYouTubeチャンネルでも視聴が可能であり、宮殿内で歌うメンバーや挿入される戦争シーンが、特別な雰囲気を醸し出しています。
この解釈では、主に歌詞自体に焦点を当てていきます。
曲の作詞を手掛けた吉井和哉氏の意図については深く掘り下げず、むしろ歌詞がどのような意味を持ち、どんな内容を伝えているのかについて、ストレートに考察していきます。
聴き手の心を掴む冒頭
追いかけても 追いかけても 逃げて行く月のように 指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ
冒頭のシンプルなギターから始まる部分です。
タイトル「バラ色の日々」が何を指すのかは、聴く人それぞれの解釈に委ねられるでしょう。
それは過去の栄光や大切な人との思い出、自分が大切にしてきたもの、素晴らしい瞬間や、夢見た光景などを意味するかもしれません。
しかしその一方で、追い求めても逃げてしまう月や、指の間をすり抜けるという二つの描写が表現されています。
これにより、手に入れることができない何かが暗示されているのです。
通常ならば一つの表現にとどまるところを、二つの表現を連続して歌詞に盛り込むことで、聴き手はの儚さや無謀さを強く感じさせられます。
さらに、その切ない感情に浸っているところで、「バラ色の日々よ~」という歌詞が挿入され、聴衆の心をさらに揺さぶります。
こうした表現によって、聴き手は深く感情移入し、胸が締め付けられるような体験をするのです。
追及する道のりに意味がある
バラ色の日々を君と探しているのさ たとえ世界が生き場所を見失っても
(中略)
雨の中を傘もささずに走るのは 過去の悲しい思い出のように大事なような…
(中略)
乾いてしまうのは寂しいね
AメロもBメロも印象に残る素晴らしい歌詞が豊富な「バラ色の日々」ですが、最低限の部分に留めつつ、特徴をお伝えします。
気になる方は、YouTubeで全編をぜひお聴きください。
この曲の特徴は、冒頭のサビとAメロ、Bメロの歌詞を入れ替えると、まったく異なる意味合いになる点です。
オリジナルのままでは、バラ色の日々を手に入れないことを知りながらも、その追求による生き様は無駄ではなかったという思い出話が語られています。
逆に、冒頭とAメロを入れ替えると、現在進行形でバラ色の日々を求めるものの、失敗してしまったような、ある種の失恋ソングに近い意味合いとなります。
タイトルや冒頭から「バラ色の日々」は求める価値があると強調されています。
この強調があるからこそ、Aメロでは、バラ色の日々を追い求めてきたパートナーや雨の中でも傘をささずに走るような行為が、大切だったと感じさせる仕組みとなっているのです。
大切なことを気付かせてくれる
明日は明日の風の中を 飛ぼうと決めた
2番の歌詞では、1番で感じたように、バラ色の日々を追い求めるためにがむしゃらに行動して傷ついたことが、実は大切な経験だったと歌われています。
傷つくからこそ、相手を癒し、夜の静寂な音にも気づけるようになるという素晴らしいメッセージが込められています。
この一節だけを読むと、勇気を湧き起こさせる応援ソングのように聴こえるかもしれません。
実際に曲のテンポ、盛り上がり、グルーヴが最高潮に達していることも、この感動的なメッセージをより一層強調しています。
私たちはこの歌詞に完全に共感し、安堵します。
「そうだ、バラ色の日々よりも大切なことは身近にあったんだ」と心に響くのです。
バラ色の日々とは何なのか
バラ色の日々よ バラ色の日々よ
そう、満たされ流され汚され
捨てられ騙され 心まで奪われ
I WANT POWER I WANT FLOWERS
I WANT A FUTURE I WANT PLEASURE
I’M JUST A DREAMER
ARE YOU A BELIEVER?
ARE YOU A BELIEVER?
ラストのフレーズをカラオケで歌うと、気持ちが非常に高揚し、歌詞考察をするまであまり気に留めていなかったこのラストの一節です。
この歌の主人公らしき人物は、バラ色の日々への執着が強いことが窺えますが、依存しているわけではなく、むしろ「私は今、夢追い人なんだ」と自覚しているようです。
そして、最後の歌詞で「あなたは信じてくれますか?」というフレーズが2回繰り返されます。
この部分を解釈すると、様々な意味合いが考えられます。
同じようにバラ色の日々を求めることを懇願しているのか?
それとも、助けを求めているのか?
バラ色の日々というのは、人間の本能として求めてしまうものであり、そのために頑張って生きてきたけれど、その過程が大切だったと気づいたのです。
しかしながら、主人公は結局バラ色の日々を再び求めてしまうと言っています。
どんなに汚れても、傷ついても受け入れる覚悟があるようです。
この曲は、イエモンのバンドとしての在り方についても歌われているとされています。
吉井和哉は、自伝で歌詞と作曲の両方を担当することに限界や疲れを感じたことを示唆しています。
バンドとしての成功を果たし、吉井和哉のような目に見える成功を持たない一般の人々からすれば、バラ色の日々の実感は理解しがたいかもしれません。
実際に吉井和哉自身も、バラ色の日々が何なのか理解できないのかもしれません…。
恋愛ソングとしてとらえてみる
次に、異なる視点からバラ色の日々を見てみましょう。
バラ色の日々は、前半の解説でも示されているように、失恋ソングとして受け取ることができます。
しかし、バラ色の日々をどのように解釈するかで、見方が変わります。
それは、憧れの人をバラ色の日々と捉えるのか、逆に好きな人と恋愛や婚姻関係になり、それが破綻してしまい、バラ色だった日々を思い返しているのかということです。
私の場合は、憧れの人をバラ色の日々として捉えて、この曲を聴いていました。
その憧れの人は、どれだけ望んでも手に入らない存在でした。
そして、最後に歌われる「俺は力も、花も、未来も、喜びも欲しいんだ」というフレーズは、その人と一緒になれば、それらが手に入ると信じてしまうほどに、執着していることを表しています。
憧れの人への思いが募りすぎて、それが叶わずに自ら傷ついてしまうという状況に陥っているのです。
バラ色の日々を何にたとえるか、自分の人生にとってどんな意味を持つかを考えることによって、歌詞の意味や解釈ががらりと変わります。
そのため、今でもこの曲は、他のジャンルのアーティストによってカバーされるほどの作品となっています。