「シュガーソングとビターステップ」は、ロックバンドUNISON SQUARE GARDENがプロデビュー10年目にリリースした大ヒットシングルです。
この曲は一般の人々にも広く知られ、ユニゾンの代表曲となりました。
しかし、中にはユニゾンの他の曲を知らない人もいるかもしれません。
ユニゾンの歌詞は一般的に難解であり、何を言っているのかわかりにくいと言われがちですが、実際にはメッセージが込められています。
「シュガーソングとビターステップ」も例外ではありません。
なぜなら、田淵智也さん(作詞作曲)はわかりやすい歌詞を書かないのではなく、歌詞の意味を考えながら楽しむことができる「贅沢な暇つぶし」として、聴衆に余韻や深い感情を味わってほしいからです。
私は今日、この曲の歌詞を考察し、メッセージを解読しました。
すると、この曲は驚きに満ちた構成であり、深い感情を引き起こすことがわかりました。
なお、日本語の歌詞を直訳した上で意訳が必要となる箇所もあります。
ユニゾンの歌詞は一見日本語で書かれているように見えますが、実際には田淵語とも言える独特の表現が使われています。
この文章では、なぜこのような歌詞の解釈に至ったのかを詳しく説明していますが、長くなりすぎてしまいました。
私なりに歌詞を解釈した結果を掲載していますので、ご覧ください。
1番のAメロ①
超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
こんな日常を平和と見間違う
rambling coaster
揺さぶられながら見失えないものは何だ?
①超自然な異変と同様、騒乱は普段とは異なる状況を指すことができます。
ユニゾンは、ライブ体験をたまにしか味わわない”非日常”として表現します。
彼らは常にライブハウスにいるため、日常の一部としてライブを楽しんでいます。
気分が乗った時にふらっと立ち寄ることができるのが最高だと、田淵さんは何度も話しています。
したがって、「狂騒にも慣れて」という表現は、彼らにとってライブが日常的であり、当然のこととなっていることを示していると考えられます。
②rambling coasterとは、直訳すると散漫なコースターを指します。
散漫とは、このコースターには明確なレールや目的地が存在しないことを意味するのでしょうか。
また、コースターという単語には速いイメージがあるかもしれません。
この表現は、音楽業界の変動の激しさを皮肉っていると考えられますが、その理由は後ほど説明します。
以上の情報から、
・超自然な異変→非日常的な経験
・狂騒→ライブ
・rambling coaster→変動の激しい音楽業界
と置き換えると、1番Aメロの意味は次のようになります。
非日常的な経験であるライブは、ユニゾンの中で日常と錯覚されるようになった。
変動の激しい音楽業界に揺れ動きながら、何を見失ってしまったのか、それは何なのだろうか?
1番のAメロ①
平等性原理主義の概念に飲まれて
心までがまるでエトセトラ
大嫌い 大好き ちゃんと喋らなきゃ
人形とさして変わらないし
①平等性原理主義は、”平等性”と”原理主義”という要素に分解できます。
田淵さんはよく「喧々粛々轟々」「静謐甘美」といった造語を作りますが、”rambling caster”や2番の”蓋然性合理主義”も同様ですね。
“平等性”は公平さや等しさを指し、それに過激さを思わせる”原理主義”という言葉を組み合わせることで、過激な平等さと解釈できます(元々の意味は異なりますが)。
これは日本での「出る杭は打たれる」という風潮や、「右へならえ」的な傾向を皮肉ったものでしょう。
ユニゾンの歌詞では、このような「右へならえ的な風潮」を揶揄した歌詞が何度も登場します。
②「エトセトラ」は、複数の項目を列挙する際に使われる言葉で、「その他」「以下略」という意味があります。
つまり、重要度が低く、優先順位が下がる要素を表しています。
以上の情報から、
・平等性原理主義の概念→みんなと同じであることや、右へならえ的な風潮
・まるでエトセトラ→優先順位が低下する
と置き換えると、意味は次のようになります。
「みんなと同じ」であることを過度に求める雰囲気の中で、本来の優先順位さえも、まるでエトセトラと同じくらい低くなっていないか心配だ。
大嫌いや大好きをちゃんと表明しなければ、ただの人形と変わりないよ。
1番のBメロ
宵街を行く人だかりは
嬉しそうだったり 寂しそうだったり
コントラストが五線譜を飛び回り
歌とリズムになる
①宵街は夜の街を指します。
ライブが終わり、ライブハウスを出る時間は通常20時から22時の間であり、つまり夜の時間帯です。
前の歌詞でライブが日常になったことを述べているので、ライブの終わりに向かう道を指している可能性もあります。
また、仕事や学校などが終わった後の道を意味することも考えられます。
②コントラストは、直前の「嬉しそう/寂しそう」という対照的な言葉を使っていることから、感情の起伏を表していると考えられます。
また、五線譜を飛び交うのは音符です。
音符の音の「高い/低い」もコントラストと言えます。
この表現には二つの意味が含まれているのだと思います。
以上の情報から、
・宵街→ライブの終わりに向かう道、または普段の帰り道(演者やリスナーの)
・コントラスト→感情の変動、音程の高低の二重の意味
と置き換えると、意味は次のようになります。
夜の街(ライブの終わりや通常の帰り道)を歩く人々の感情は、喜びや寂しさなどさまざまな起伏があります。
人々の感情には高低が存在し、それは音符となって五線譜上を飛び交います。
そして、その中から新しい楽曲が生まれるのです。
このように解釈できます。
「人々の感情の変動から新しい楽曲が生まれる」
という考えは、一見突然現れたかのように思われるかもしれませんが、実はシュガビタよりも遥か以前の曲である「シューゲイザースピーカー」という曲で既に歌われていました。
どんなヒットソングでも 救えない命があること
いい加減気づいてよ、ねえ
だから 音楽は今日も息をするのだろう
シュガビタのこの部分の歌詞を追加して、以下のように組み合わせると、
「全ての人を救済する歌は存在しない。あったら人は自殺をしないし、誰かを殺しもしない。
いつまでも安寧が訪れないから、人間は喜んだり悲しんだりができる。その感情を人は音階(五線譜)に委ねて、音楽がこの世に生まれる。」
という思想が田淵さんの内に存在する可能性が考えられます。
また、「救えない命」に「自殺」も含まれる理由は、ユニゾンの曲には「人生は素晴らしい。だから生きて欲しい」「この世界からさようなら?そんなの勿体ない」といった、自殺をしないでほしいという意味の歌詞が登場するからです。
なお、シューゲイザースピーカーは、トリビュートアルバム「Thank you, ROCK BANDS!」の中でThe pillowsによってカバーされており、原曲と合わせて楽しむことができます。
The pillowsのカバーバージョンも爆裂でかっこいいので、ぜひお試しください。
1番のサビ
ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
南南西を目指してパーティを続けよう
世界中を驚かせてしまう夜になる
I feel 上々 連鎖になってリフレクト
サビの部分の訳はまだ行わず、一旦置いておきます。
以下は軽い解釈になります。
・マーマレードとピーナッツは、特に深い意味はなく、それぞれ甘いものと苦いものを代表する言葉として、語感が良いものを選んだと考えられます(田淵さんはしばしば雰囲気で言葉を選びます)。
ピーナッツは本来甘くありませんが、この場合のピーナッツはピーナッツバターを指しており、それは甘いものです。
実際、ユニゾンの武道館ライブで販売されたシュガビタTシャツにはピーナッツバターが描かれています。
・甘くて苦くて目が回りそうというのは、Bメロの「嬉しそうだったり寂しそうだったり」という歌詞の要素を引き継いでいます。
したがって、それはプラスの(甘い)感情とマイナスの(苦い)感情を表していると考えられます。
サビの解釈はまだ行わないのは、正確には1番の段階では分からないことが多すぎるためです。
なぜなら、歌詞の進行によってこれらの情報が明らかになるのは先の段階になるからです。
シュガーソングって何?
ビターステップって何?
南南西って何?
世界が驚くのなんで?
上々なのなんで?
連鎖してリフレクトって何が?
これらの意味はまだ先に進まなければ分からないのです。
とりあえず、1番のサビから分かることはピーナッツがピーナッツバターであるということだけです。
謎を解き明かしていく
次に進みましょう。
2番に入ると、記事がさらに長くなることが予想されますが、お付き合いいただける方はどうぞお続きください。
2番では、ユニゾンの方向性を本格的に歌いながら、同時に先程挙げた7つの謎に取り組んでいきます。
・見失えないものは何か
・シュガーソングとは何か
・ビターステップとは何か
・南南西とは何か
・世界はなぜ驚くのか
・何が連鎖するのか
・何がリフレクトするのか
これらの謎を念頭に置いて、後半部分に進んでいきます。
2番のAメロ
蓋然性合理主義の正論に揉まれて
僕らの音楽は道具に成り下がる?
こっちを向いてよ 背を向けないでよ
それは正論にならないけど
①蓋然性とは、簡単に言えば「確からしさ」という意味です。
合理主義はそのまま、効率的に無駄を排除しようとする傾向です。
組み合わせると、「確かな合理性」となります。
②”正論”とは何でしょうか。
直訳すると正しい論理という意味ですが(日本語なのに直訳とは)、この歌詞の中では最も解釈が必要な言葉です(日本語なのに解釈が必要とは)。
1番のAメロで、私はrambling coasterを音楽業界と解釈しました。
では移り変わりの激しい音楽業界における「確かな合理的な正論」とは何でしょうか。
それは具体的には「一般受けする音楽を作ること、王道なライブを行うこと」と言えるでしょう。
③「僕らの音楽は道具に成り下がる?」と、明らかに不満の意思を示していますね。
つまり、「確かな合理性の正論に反した音楽」を「僕ら」は行っているのです。
正論ではない音楽です。
それはつまり、邪道な音楽なのです。
一般受けする音楽は歌詞がわかりやすいです。
ユニゾンの音楽は歌詞が意味がわからないと言われます。
一般受けする音楽は曲の流れが分かりやすいです。
ユニゾンの音楽は転調や変拍子、謎の奇声などが盛り込まれています。
一般受けするライブは観客を盛り上げ、一体感を生み出し、MCの時間をしっかりと取ります。
アンコールもあります。
ユニゾンのライブは基本的に自由なスタイルです。
観客が好きに動いたり座ったりすることを許します。
MCは最低限で、ない場合もあります。
アンコールで一度退場して再び登場する時間がもったいないと考え、フェスでは基本的にアンコールはなく、持ち時間いっぱいに曲を楽しませて終了します。
どちらが良いか悪いかではなく、ユニゾンは彼らの美学に従っています。
しかしそのスタイルは、音楽業界では一般的な方法ではありません。
「僕ら」とは、UNISON SQUARE GARDENであり、邪道な音楽を愛するリスナーであり、要するにマイノリティなのです。
※ややこしいかもしれませんが、ユニゾンは自分たちとリスナーを「僕ら」と一括りにはしません。ユニゾンの3人と、邪道な音楽を愛する人たちは別々の存在として考えられます。
そんな「邪道な音楽」が彼らの美学でありながら、売れるために意図的に曲げてしまったら、その音楽はアーティストの道具となってしまうのでしょうか?
「邪道な音楽」を愛する心を、周囲に合わせるために曲げることは、音楽が本来自由なものであるにもかかわらず、リスナーにとっては道具になってしまうのでしょうか?
そう歌っているわけです。
そして、音楽が道具になってしまうのはどのようなときなのでしょうか。
ここに繋がるのが1番のAメロの後半部分です。
平等性原理主義の概念に飲まれて心までがまるでエトセトラ。
人形とさして変わらないし=同調圧力に飲まれて本心の優先順位が低下し、人形と変わらない状態
これが2番のAメロの解釈となります。
もしかしたら1番の段階で疑問に思った方もいらっしゃるかもしれませんが、1番のAメロパート2とそれ以外の部分では音楽の話が展開されており、突然「本心の優先順位が下がっているのでは?」という啓示的な話題が出ていて、流れとして少し浮いてしまっているのです。
その違和感を2番のAメロで補完しているのです。
「本心を殺して人形になってしまった時、人は音楽を道具にしてしまうのではないか」という意味が込められています。
素晴らしい伏線の回収ですね・・・。
と、思われるかもしれません。
しかし、これからはさらにたくさんの伏線回収が待っています。
お楽しみに。
③「こっちを向いてよ 背を向けないでよ」とは、誰が誰に言っているのでしょうか。
これは、邪道好きのマイノリティが、マジョリティや一般的な考え方に向かって発せられている表現です。
(ユニゾンからファンへのメッセージとも捉えられますが、彼らの方向性上は「僕らを見ていてね」とは言いません)
④「正論にはならない」というのは、比較的に直訳に近いです。正当性がないということです。
移り変わりの激しい音楽業界において、「見失えないもの」は何でしょうか?
と前もって提示し、それについて自問自答する思考が2番のAメロとなります。
では訳してみましょう。
①②③④から
・蓋然性合理主義の正論 → 一般的に受け入れられる音楽を作り、王道なライブを行うこと
・道具に成り下がる? → 自分の方向性を意図せず変えること
・それは正論にならない → 「見捨てられないために」という理由で音楽を道具にすることは正当化されない
となります。訳すと
「一般的に受け入れられる音楽を作り、王道なライブを行う」という音楽業界の正論
でも自分たちの音楽性を曲げることは道具になってしまうのではないか?
しかし、まだ「見失えないもの」の答えにはたどり着いていませんね。
次はさらなる伏線回収が待っています。
お楽しみに。
2番のBメロ
祭囃子のその後で 昂ったままの人
泣き出してしまう人
多分同じだろう
でも言葉にしようものなら稚拙が極まれり
祭囃子とは、非日常的な体験であるライブを指すのでしょう。
ここでは、アーティストがライブを終えた後の心理と、ライブを観たリスナーの心理が歌われています。
ちなみに、田淵さんはライブ中には興奮している姿が見られますが、ライブ後の打ち上げではよく涙を流すそうです。
一応訳してみますが、ほとんど変わらないかもしれません。
ライブの後、感情の表現は異なるかもしれませんが、きっと受けた感動の大きさは変わらないでしょう。
しかし、その感動を言葉で表そうとすると、どうしても言葉が足りなくなってしまいます。
2番のサビ
最高だってシュガーソング
幸せってビターステップ
死ねない理由をそこに映し出せ
惜しがったって等速で明日は来ちゃうけど
脳内天気予報のアップデートを果たしたなら
①「最高だって」と「幸せって」というフレーズは、後に続く言葉の区切り方が特徴的ですね。
しかし、そのままでは意味が通りません。
そこで、シュガーソングとビターステップのように、日本語の単語と音が似ている英語を組み合わせる言葉遊びが行われている可能性が高いです。
田淵さんはこのような言葉遊びをよく行います。
例えば、「kid, I like」などもその一例ですね。
その法則を適応させると、
シュガーソング → シュガ/ア/ソング → Sing a song
ビターステップ → ビタ/ア/ステップ → Beat a step
ということになります。
つまり、「最高だ」って歌って、「幸せ」ってステップを踏むという意味になりますね。
②「等速で明日は来ちゃう」とは、等速とは秒針の速さであり、つまり時間の経過の速さが一定であることを表しています。
③「脳内天気予報のアップデート」は、おそらく感情の切り替えを意味しています。
1番のBメロで歌われた「嬉しそうだったり寂しそうだったり」を晴れ模様や雨模様に置き換えながら、感情の変化を表現しているのだと考えられます。
以上の内容から、以下のような訳になります。
「最高だ」って歌って、「幸せ」ってステップを踏む
死ねない理由をそこに映しだせ
楽しい時間(ライブ)が名残惜しくても、時計はいつもと同じ速さで時を刻み、明日がやってくる
けれど、気持ちの切り替えができたなら
という意味になります。
迷走から決意へ
ここからは、UNISON SQUARE GARDENというバンドの過去についての説明を挟みながら、なぜ「シュガーソングとビターステップ」という曲に対して一見飛躍した解釈が生まれるのか、について説明します。
「シュガーソングとビターステップ」は、ユニゾンがプロデビューから10周年目を迎えた節目のタイミングで発表されたシングル曲であり、初の武道館公演やベストアルバムの発売という重要なアナウンスと共にリリースされました。
ユニゾンは独特なスタイルを持つバンドとして知られていますが、初期の頃はライブや音楽の方向性について意見が対立し、迷走する時期があったと言われています(本人の証言によるものです)。
特に「売れやすい方向に変えるかどうか」という点での意見の食い違いがありました。
このバンドの経緯を知っているコアなファンは、シュガーソングとビターステップの歌詞を見た時点で、この曲がユニゾンの決意を表す歌であることに気づいていることでしょう。
また、ユニゾンの特異な歌詞や曲調を知らなくても、「作詞作曲:田淵智也」というクレジットを見れば、彼らの特異さが分かる人もいるでしょう。
ライブスタイルも他のバンドや一般的なスタイルとは異なるものです。
迷走期にはライブで煽りを入れることもあり、ロックかポップか、わかりやすい曲を作るかなど、メンバー間でも意見が対立した時期だったそうです。
現在の彼らのスタイルは、ポップもロックも取り入れるというものであり、わかりづらい歌詞や難易度の高い曲で展開されます。
ライブでは煽りをせず、最低限のMCに留める方針が固まってきたのは、「オリオンをなぞる」のリリース辺りからです。
ウケやすい音楽か、やりたい音楽か。
観客の一体感を煽るライブか、自由に過ごさせるライブか。
これらがかつてユニゾンがぶつかった壁であり、迷走した時期であったことを知っていると、「シュガーソングとビターステップ」にはさらなる深みが生まれます。
これらの壁を乗り越え、スタイルを確立し、ついに10周年目を迎えた彼ら。
そして発表されたシングル曲「シュガーソングとビターステップ」。
2番のサビを終え、曲はいよいよ佳境に入っていきます。
さて、ここからは1番で提示された謎の確認を行いたいと思います。
・シュガーソングとは何か → シング・ア・ソング = 歌を歌うこと
・ビターステップとは何か → ビート・ア・ステップ = ステップを踏むこと(踊ること)
残りの謎は以下の5つです。
・見失えないものは何か
・南南西とは何か
・世界はなぜ驚くのか
・何が連鎖するのか
・何がリフレクトするのか
これらの謎については、ほぼ答えが出ているものもありますが、順を追って解明していきましょう。
Cメロ
someday 狂騒が息を潜めても
someday 正論に意味がなくなっても
feeling song & step 鳴らし続けることだけが
僕たちを僕たちたらしめる証明になる、QED!
・狂騒は何を表しているのか?
→ ライブの経験とライブ体験の大切さを表しています。
・正論は何を指しているのか?
→ ウケやすい音楽と王道なライブをすることを指していますが、その一般受けがなくなる可能性も示唆しています。
・Q.E.D.は何を証明しているのか?
→ 「僕たち」、つまりUNISON SQUARE GARDENと邪道な音楽を愛するリスナーを証明しています。
彼らの宣言は、「いつも通りの田淵節の強い音楽を、いつも通りの会場で、いつも通りのメンバーで、いつも通りのクオリティで演奏する」というものであり、一般受けやバカ売れを狙うことなく、自分たちの音楽でライブをやりたいという姿勢を表明しました。
彼らの宣言通り、武道館ライブでもユニゾンはいつも通りの演奏を披露し、特別な演出はしませんでした。
同様に、リスナーも自分自身が好きな音楽を愛することで、自分らしさを表現しているのです。
以上の経緯を踏まえて、以下のように訳してみます。
いつの日か、ライブが下火になっても
いつの日か、「普遍的な一般受け」がなくなっても
歌とステップを感じ、本当に好きな音楽を鳴らし続けることが
僕たちを、他の誰でもない、僕たちだと証明してくれる。Q.E.D!
こうしたパートになります。
非常に情熱的で、まるで少年漫画でいうラスボス戦前の覚醒。
1番で投げかけた問いをCメロで回収し、盛り上がりにつながるラスサビが続きます。
ラスサビ①
ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
生きてく理由をそこに映し出せ
北北東は後方へ その距離が誇らしい
世界中を、驚かせ続けよう
①マーマレード/ピーナツは、相反する要素で対比を成していますね。
Bメロから始まる部分では、感情と音程がコントラストを作り出しています。
また、シュガビタではマーマレードの「&」を「に」と読み、ピーナツの「&」を「アンド」と読みます。
これにより、次のような意味が生まれます。
「嬉しい時に歌って」「高い音に合わせて歌って」
「寂しい時に踊って」「低い音に合わせて踊って」
ただし、「嬉しい時」と「高い音」、また「寂しい時」と「低い音」は同じ意味ではなく、マーマレードやピーナツという言葉が持つ二つの意味を併記しています。
②北北東は南南西の真反対に位置します。
この歌の中では、「僕たち」は「南南西」に向かって進んでおり、「北北東」は遠くにあります。
この方角が何を表しているかは明確です。
南南西は非主流で、マイノリティの立場を意味します。
北北東は主流で、一般的に受け入れられる立場を意味します。
自分たちが好む音楽やライブは北北東(つまり正統派で一般的に受け入れられる音楽で、MCを多く行ったり、ファンサービスをしたり、盛り上げるライブ)とは真逆の位置にあります。
自分たちが持つ信念を貫いていることは、北北東との距離が誇らしい証拠です。
そのような歌詞になっているのです。
1番と2番では、サビの解説を十分に説明できませんでしたが、Cメロまでの流れを把握しないとサビに散りばめられた単語の意味が理解できないためです。
今はピースが揃ったので、次々に訳していきたいと思います。
③「世界中を驚かせ続けよう」というフレーズでは、ユニゾンで歌われる「世界」という言葉は、一般的には各国や地域を指すものではありません。
私たちが生活している空間が、私たちにとっての世界全体であり、それを指して「世界」と表現しています。
人々や社会は、通常のものや予測できないもの、マイノリティに対して驚きます。
つまり、「非主流な音楽や変わった音楽を私たちが存在する世界に対して広め続けましょう」という意味になります。
①②③から以下のようなメッセージが伝わってきます。
嬉しい時は高い音に合わせて歌いましょう。
寂しい時は低い音に合わせて踊りましょう。
自分たちが生きる理由をその中に映し出しましょう。
一般的に受け入れられることからは遠く離れているかもしれませんが、その距離が誇らしいのです。
変わった音楽で世間を驚かせ続けましょう。
以上のような内容となっています。
ラスサビ②
ママレード&シュガーソング、
ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
南南西を目指してパーティを続けよう
世界中を驚かせてしまう夜になる
I feel 上々 連鎖になってリフレクション
goes on 一興去って一難去ってまた一興
①目がくらむような感情の波と、音程の高低の変化に基づいて、喜びや寂しさを表現する言葉です。
それは感情、日常生活、音楽業界、曲の進行、ライブなど、あらゆるものの甘い側面と苦い側面に対しても使われます。
②パーティーはまさにライブと同じです。
ライブを続けることで、南南西(非伝統的な道)を目指していきましょう。
この「続けよう」とは、単にライブ自体だけでなく、バンドとしての活動も含みます。
このスタイルで、将来の活動を続けていこうという意味です。
③私は上々な気分になっています
「上々」とは非常に良いことを指します。
2番のサビで歌われる「最高」「幸せ」と同じ意味です。
そして、私はこの感情を「感じて」います。
ここでの「私」はこの曲の一人称である「僕ら(ユニゾン)」を指しています。
また、私はマイナー音楽のファンでもあります。
この感情は連鎖して広がっていくのです。
④リフレクション
ついに最後の謎が解けました。
「リフレクション」とは、反射や反映という意味の単語です。
動詞として使うと、反射する、映し出すという意味になります。
歌詞の中にも「映し出せ」という言葉がありましたね。
そう、それは「死ねない理由」「生きていく理由」を表しています。
連鎖していく感情は、私自身または誰かの死ねない理由や生きていく理由を映し出します。
⑤そして、続いていくのです。
バンド活動も、日常も続いていくのです。
楽しいことが過ぎ去り、苦しいことがやってきても、それを乗り越えてまた楽しいことがやってくるのです。
締めのフレーズ
You got happiness, pharse and melodies !
締めの部分ですね。
この文は、直訳することで適切だと思います。
文をどこで区切るかによってわずかに意味が変わりますが、斉藤さんの歌唱スタイルに合わせて区切ると次のようになります。
訳: あなたは幸せを手に入れました。それはフレーズと音楽です。
まとめ
本当に好きなものを見失わずに楽しむことで、その中に死ねない理由が映し出されて、目まぐるしい日常が続いていくのです。
まとめると、シュガーソングとビターステップはこのような歌詞を持っています。
数分程度の楽曲にこれだけのメッセージが詰まっていると驚きますよね。
彼らはそんなアーティストです。
彼らの世界は奥深いです。
この曲は、曲の中での謎解きの構成が非常に巧妙ですね。
最初に謎を提示し、ラストサビの前で解答を示し、その後に一気に伏線を回収してエピローグにつなげるという部分が心地よいです。
もちろん、これは推理小説の話ではなく、曲の話です。
この長い考察になったのは、この曲の単語や文が重複した意味を持っているからです。
ただし、これは血界戦線のタイアップ曲であり、さらに血界戦線のオマージュも含まれています。
例えば、「超天変地異」「平和と見間違う」といったフレーズですね。
これらはすべて削除して以下のようになります。
自分たちが好きな方向に進んでいくことを気にせずに、邪道な道を選ぶぞー!というのがこの曲の一番面白い現象です。
ファン層以外にも広まっていくのです。
ちなみに、ユニゾンは楽曲のクオリティはもちろんのこと、歌詞も曲も難解ですが、彼らのライブ技術も素晴らしいです。
ユニゾンは音楽番組などにはあまり出演しませんが、メンバーによると「3日に1日はライブをしている」とのことです。
彼らは現場に常に存在しています。
ユニゾンのライブを観た人々が口を揃えて言うのは「演奏技術が非常に高い」ということです。
最も難しい歌詞を、音程を外すことなく完璧に歌いながら、複雑なギタープレイをこなす斎藤宏介。
手数の多さと正確さで曲の基盤を揺るぎなく支えるドラムの鈴木貴雄。
暴れているのに驚くほど正確に演奏し、何故かコーラスもこなす田淵智也。
個性も趣味も異なる3人が、それぞれのスキルを磨きながら最高のライブパフォーマンスを披露します。
ユニゾンのライブは本当に素晴らしいのでおすすめです。
きっとあなたの世界は驚きの夜となるでしょう。