「アポリア」とは?タイトルに込められた哲学的な意味
「アポリア」というタイトルには、哲学的な深い意味が込められています。
この言葉はギリシャ哲学に由来し、「解決のつかない問題」や「行き詰まり」を指します。
日常生活ではあまり耳にしないこの言葉をあえて楽曲のタイトルに据えることで、ヨルシカは歌詞全体に「答えの出ない問い」というテーマを明確にしています。
『アポリア』は、天動説と地動説の対立が描かれたアニメ『チ。―地球の運動について―』のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲です。
このアニメ自体が、「常識」とされていた天動説を覆す地動説の探求を通じて「知の探求」を描いています。
この背景を踏まえると、「アポリア」というタイトルは、現実世界でも直面する解決困難な問いや新しい視点を得るための葛藤を象徴していると言えるでしょう。
歌詞全体を通じて提示される「知らないことを知る喜び」と「未知の恐怖」、そしてそれらを追い求める人間の本能は、哲学的な問いかけそのものです。
『アポリア』は、私たちに日常の中で埋もれがちな「知る」という行為の重要性を問いかけているように感じられます。
歌詞に隠された「知」と「未知」の象徴
『アポリア』の歌詞には、知識への渇望と未知への恐れが織り交ぜられています。
冒頭の「あなたは小さくため息をした」というフレーズは、知ることへの挑戦がもたらす孤独や困難を象徴しているようです。
一方で、波打つ光や春の木漏れ日といった暖かいイメージは、新しい発見や知識を得る喜びを表しています。
また、「僕の体は雨の集まり」「あなたの指は春の木漏れ日」といったフレーズは、対照的な存在を通して「未知と既知」の関係性を示しているように思えます。
雨(水)はどこにでも存在するが形を持たない一方、木漏れ日は具体的な形や暖かさを伴います。
このように、知識や真理を象徴する「あなた」が、「未知」を象徴する「僕」に影響を与える構図が歌詞全体で繰り返されています。
「長い夢を見た」というフレーズもまた、「知」と「未知」の間を彷徨う人間の姿を描写していると言えるでしょう。
夢の中では自由に知識を追い求められる反面、現実には限界がある。
その境界を行き来する歌詞が、『アポリア』の核心テーマを鮮やかに描き出しています。
「気球」のメタファー:知識探求の果てしなさ
歌詞に登場する「気球」は、知識への果てしない探求心を象徴しています。
n-buna氏もコメントで「気球は際限のない知の欲求の喩え」と述べています。
空高く舞い上がる気球は、より多くの景色を見たいと願うように、私たちが未知を追い求める姿そのものです。
気球は、地上(既存の知識)を離れ、より高い場所(新しい知見)へと向かいます。
しかし、気球には燃料が必要であり、到達できる高さにも限界があります。
この比喩は、どれほど努力しても知識には限りがあり、完全な理解に至ることはできないという現実を表しています。
また、「遠い国の誰かが月と見間違ったらいい」という歌詞は、自分たちの知識や努力が他者にも影響を与えることを期待していると解釈できます。
このフレーズは、知識探求の孤独を和らげる「共感」の存在を示唆しているのかもしれません。
「水平線」と「白い魚」が示す新たな視点の発見
『アポリア』の中で繰り返し描かれる「水平線」や「白い魚の群れ」は、新しい視点を象徴しています。
水平線は遠くに見える地平線の終わりを表し、一見到達不可能な未知の場所を意味します。
一方、白い魚の群れは、まだ誰も手にしていない知識や真理を示唆しています。
「水平線の先を僕らは知ろうとする」というフレーズは、私たちが未知への探求を止めないことを象徴的に表現しています。
水平線の向こうに広がる新しい景色に心を躍らせる姿は、知識欲そのものです。
また、白い魚は「school of fish」という英語の語呂合わせから、学びや学校を連想させます。
魚が海中を自由に泳ぐように、人間も未知の世界で自由に学び続けるべきだというメッセージが込められているのかもしれません。
「あなた」と「僕」:対照的な視点で描かれる世界
歌詞に登場する「あなた」と「僕」は、知識と感情、または未知と既知を象徴する存在です。
「あなたの指は春の木漏れ日」「僕の体は雨の集まり」という対比的な描写は、それぞれのキャラクターが持つ特性を際立たせています。
「あなた」は未知に挑戦し、新しい発見を追求する象徴的な存在です。
一方、「僕」はその変化を受け入れ、未知の世界に引き込まれる受動的な立場を示しているように思えます。
2人の対比は、「知る」という行為が一人だけで完結するものではなく、他者との相互作用の中で意味を持つということを暗示しているようです。
さらに、「波打つ窓の光があなたの横顔に跳ねている」という表現は、「あなた」の姿を追い続ける「僕」の視点を強調しています。
この視点は、未知を追いかける人間の姿そのものであり、私たち自身に問いを投げかけるように響きます。