Base Ball Bear『すべては君のせいで』歌詞考察:青春の光と影を読み解く

「すべては君のせいで」とは?作品の背景と概要

Base Ball Bearの「すべては君のせいで」は、2017年リリースのアルバム『光源』に収録された楽曲です。
この曲は、青春の光と影を描くバンドのテーマを象徴する一曲であり、小出祐介の実体験に基づくエモーショナルな物語が展開されています。

「すべては君のせいで」は、タイトルからも分かるように「君」という存在が重要な鍵を握っています。
この「君」は、特定の個人だけでなく、青春そのものやバンドとしての自己存在を象徴しているとも解釈できます。
また、歌詞の中では学校という空間や日常の風景が切り取られ、聴き手に共感を呼ぶ構成になっています。

小出祐介が中学時代に感じた孤独感や閉塞感が反映された歌詞と、アルバム全体の「青春の再発見」をテーマにした意図が、この楽曲には凝縮されています。


歌詞に秘められた「青春の二面性」とは?

「すべては君のせいで」には、青春期特有の二面性、つまり「甘さ」と「苦さ」が巧みに織り込まれています。
冒頭の歌詞では、「幽霊にされた」という言葉を通じて、孤独や疎外感という青春の影が描かれています。
この表現により、主人公が周囲の中で感じる孤立感や、自分の存在価値への問いが浮かび上がります。

一方で、サビに入ると、そんな閉塞感を一気に吹き飛ばすような「君」の眩しさが語られます。
青春の光とも言える「君」の存在が、日常に鮮やかな彩りを与えている様子が印象的です。

この対比は、青春という時期が持つ感情の振れ幅を見事に表現しています。
暗い部分と明るい部分が同居し、それがリアルな青春の姿として聴き手に響くのです。


「君」という存在が象徴するものとは?

「すべては君のせいで」の「君」は、歌詞の中で直接的な説明はありません。
それでも、「君」という存在が主人公にとって特別な影響を及ぼしていることが繰り返し示されます。
サビ部分で「すべては君のせいで 毎日が眩しくて困ります」と語られるように、「君」は主人公にとって輝きそのものです。

しかし、この「君」は単なる個人的な存在以上の象徴的な意味を持っています。
記事や解釈では、バンドとしてのBase Ball Bear自体を指しているとも言われています。
バンドを通じて孤独を克服し、青春の輝きを取り戻した小出祐介の思いが投影されている可能性も高いです。

また、「君」という存在を具体的に描写しないことで、誰もが自分の「君」を思い浮かべられる余地を与えています。
これが楽曲の普遍性と魅力をさらに引き立てています。


独特な言葉選びと表現の巧みさ

Base Ball Bearの楽曲の魅力の一つが、印象的でユニークな言葉選びにあります。
「すべては君のせいで」でも、この特徴が際立っています。
たとえば、「心が♯していきます」という表現は、音楽記号の「♯(シャープ)」を感情に結びつけ、聴き手の想像力を刺激します。

また、「君が微笑む みんなの輪の中で たまらなくなって ハードロック雑誌に目を落とす」という歌詞は、「僕」というキャラクターの孤独や不器用さを見事に描き出しています。
わずかな言葉で「君」と「僕」の対照的な立場を浮き彫りにし、青春の一瞬を切り取るような美しさがあります。

こうした言葉選びは、具体的な状況を説明しなくても、聴き手に深い感情を伝える力を持っています。
それがBase Ball Bearの歌詞の強みであり、リスナーが共感できるポイントとなっています。


ミュージックビデオに隠されたメタファー

「すべては君のせいで」のミュージックビデオ(MV)も、楽曲の魅力をさらに引き立てる重要な要素です。
本田翼が出演するこのMVは、楽曲のテーマを視覚的に象徴するメタファーが散りばめられています。

MVの中で本田翼が象徴するのは、主人公が心の中で描く「君」そのものです。
クレーンの上に作られた狭い空間は、孤立感や閉塞感を表現しており、そこから外を眺める様子は、新しい視点を得る過程を暗示しています。

また、MVの舞台である東京の風景は、主人公が感じる社会との距離感を象徴しています。
「君」との関係性や青春の輝きを抽象的に描きつつも、日常のリアルさを併せ持つ映像は、楽曲の持つメッセージをより深く聴き手に届けています。