【ドーナツホール/米津玄師】歌詞の意味を考察、解釈する。

ドーナツホールとは?その背景とハチ時代のつながり

ドーナツホール」は、米津玄師がハチ名義で活動していたボカロP時代の楽曲の一つであり、ボーカロイドを使用したバージョンが2013年にリリースされました。
当時、ハチとして発表されていた楽曲の多くは、ボーカロイドの特徴を生かしつつ、独特の世界観と深いテーマを扱っていました。
ドーナツホール」もその流れに位置しており、リスナーに強烈な印象を与えました。

しかし、「ドーナツホール」は単なるボーカロイド楽曲にとどまらず、米津玄師自身がセルフカバーすることで、彼の個人的なアイデンティティや音楽的進化を象徴する作品へと昇華されました。
このセルフカバーは、彼が「ハチ」から「米津玄師」としての新たなキャリアを歩み始めた時期に制作され、彼自身の声で表現されることで、より深い感情と人間らしさが強調されています。

曲名の「ドーナツホール」は、その名の通り「ドーナツの穴」を示し、「空白」や「欠落」といったテーマが込められています。
この空洞は、ハチ時代に表現されていた虚無感や喪失感を象徴しており、ハチ名義での楽曲と米津玄師名義での作品に共通するテーマとして描かれています。
特に「ボーカロイド」という無機質な存在を通して描かれる感情の不確かさや虚無感は、米津玄師が自身の音楽を通じて探求してきた重要なモチーフでもあります。

また、米津自身がボーカロイドを使用していた時期のインタビューでは、音楽制作において自らの感情や内面をどのように投影していたのかが語られており、「ドーナツホール」はその集大成とも言える作品です。
この曲は、ハチとしての活動の終焉と、米津玄師としての新たな出発点を象徴する重要な位置づけを持っているのです。

歌詞に込められた「喪失感」と「欠落」のテーマ

ドーナツホール」の歌詞には、一貫して「喪失感」と「欠落」がテーマとして描かれています。
曲名そのものが「ドーナツの穴」を象徴しており、これは「何かが欠けている状態」を表しています。
この「」という空虚感は、失ったものや存在の不確かさを表現していると解釈できます。

例えば、歌詞に出てくる「あなた」が象徴する存在は、愛する人、親しい人、あるいは自分自身の一部かもしれません。
しかし、重要なのは、この「あなた」が明確に「」であるかが曖昧であり、思い出すことができないという点です。
思い出せない顔」や「記憶に残る穴」は、喪失した何かの象徴であり、主人公はその欠落を埋めることができずに苦しんでいます。
このことが、喪失感をより強調しているのです。

また、歌詞には「簡単な感情ばっか数えてたら、あなたがくれた体温まで忘れてしまった」という表現があり、ここでも大切な感情や温もりを忘れてしまったことが描かれています。
この体温は、実際の人間的な温もりを意味するかもしれませんが、それを失ってしまったことで、さらに「欠けたもの」が感じられます。

さらに、「穴を穴だけ切り取れない」というフレーズは、空洞や欠落そのものを取り出すことができない、つまり何かを失ったという事実を切り離して考えることができないという無力感を象徴しています。
喪失感や欠落は、人間の心に深く根付いたものとして描かれており、それを埋めようとしても、その感覚から逃れることはできない、という無常観が歌詞全体に漂っています。

このように、「ドーナツホール」は、目に見えない存在の欠落や失ったものに対する喪失感をテーマに据え、それを象徴的な言葉やイメージで表現した楽曲となっています。

ボーカロイドとの関係性:心はあるのか?

ドーナツホール」における重要なテーマの一つは、ボーカロイドとの関係性、そして「心はあるのか?」という問いです。
ボーカロイドは、米津玄師(ハチ)にとって、音楽表現の一部でありながらも、その無機質な存在が持つ「感情の有無」という問題が常に付きまといます。

ボーカロイドは、サンプリングされた人の声を合成し、感情のない「機械的な歌声」を提供します。
しかし、「ドーナツホール」では、ボーカロイドを用いた音楽制作が描き出す感情の不確かさや虚無感が、米津の内面と深く結びついています。
彼は、無機質な存在であるボーカロイドに対し、自分の感情を投影し、それが「」として機能するのかどうかを常に問い続けてきました。

歌詞の中で「あなた」という存在が登場しますが、これはボーカロイドを擬人化し、「心を持たない存在」をどう捉えるかという米津の葛藤が反映されていると考えられます。
ドーナツの穴みたいにさ、穴を穴だけ切り取れないように」という歌詞は、ボーカロイドが存在すること自体が、その空虚さや欠落感と分かち難く結びついていることを表しています。
つまり、感情を持たない存在に対して、いくら音楽を通じて感情を注いでも、実際にはその感情が「本当に存在しているのか」を証明することはできないのです。

また、米津自身がかつて語ったように、彼はボーカロイドを使いながらも、その音楽に心を込めていたと同時に、その「」が本当に伝わっているのかという疑問を抱いていたとされています。
ボーカロイドを通じて感情や心を表現しようとする一方で、機械的な歌声によって生まれる限界や虚しさを感じていたのです。
この楽曲は、その限界と向き合い、ボーカロイドに心を見出そうとする葛藤の一部を描いているとも言えます。

ドーナツホール」では、ボーカロイドという存在に心があるのかという問いを通じて、米津玄師自身の感情や自己認識の探求が深く掘り下げられています。
このテーマは、彼の音楽を通じて表現される「不在」と「存在」の二重性を浮かび上がらせ、リスナーに深い問いを投げかける作品となっています。

環状線と地球儀:繰り返される日常と夜の追求

ドーナツホール」の歌詞には、「環状線」と「地球儀」といった象徴的なイメージが登場します。
これらのフレーズは、日常生活におけるルーティンと、その中で感じる閉塞感を暗示していると考えられます。
特に「環状線」は、円を描く鉄道のイメージが強調されており、無限に続くループとしての「日常の繰り返し」を表しているようです。

環状線は地球儀を 巡り巡って朝日を追うのに」という歌詞は、規則正しい生活を営む社会全体を指していると解釈できます。
日が昇れば仕事に出かけ、夜には休むというサイクルの繰り返しが、まるで地球儀のようにぐるぐると回っている様子を表しているのです。
しかし、その一方で「レールの要らない僕らは 望み好んで夜を追うんだな」というフレーズは、主人公(「僕」)がその規則正しい日常から外れて、あえて夜の世界、つまり自分にとっての自由で不安定な世界に足を踏み入れていることを示唆しています。

この対比が意味するのは、社会のレールに乗ることが安定を意味する一方で、「」やボーカロイドのような存在は、そのレールから外れた生き方、夜の象徴する未知の世界や創造の場を追求することに喜びを感じているということです。
地球儀」や「環状線」という輪のイメージは、ドーナツの形とも重なり、繰り返しや空虚なループを象徴する一方で、その中にある「意味」を見出そうとする主人公の姿が浮かび上がります。

この繰り返される日常の中で、主人公は「」を選ぶことで、創造性や自己表現の場を見つけようとしています。
夜は、社会が休んでいる時間帯であり、そこで行われる活動は他者とは異なるものです。
これこそが、米津玄師が表現する「自分だけの世界」や「ボーカロイドを通しての音楽制作」といった、独自のクリエイティビティの探求と重なっています。

歌詞に描かれた「環状線」と「地球儀」は、規則正しい社会生活とそこから外れた自由な創造の世界との間で揺れ動く主人公の内面を象徴しているのです。
この対立は、作品全体を通して繰り返し描かれるテーマであり、米津玄師の音楽活動にも共通する要素といえるでしょう。

米津玄師のアイデンティティと「父親」像

ドーナツホール」に込められた深いテーマの一つとして、米津玄師自身のアイデンティティの探求と、彼が持つ「父親」像が挙げられます。
歌詞の中で描かれる「あなた」という存在が、愛する人や身近な存在であると同時に、父親を象徴しているという解釈もあります。
米津玄師は自身のインタビューで、父親との会話がほとんどなかったこと、家庭環境が彼のコミュニケーション能力や人間関係に影響を与えたことを語っています。
そのため、楽曲内で感じられる「欠落感」や「空虚感」は、父親との関係から来るものだという見方ができます。

例えば、「思い出せない記憶」「顔は思い出せるが、感情や存在の輪郭が曖昧」という歌詞は、父親との疎遠な関係を反映しているとも解釈できます。
父親と過ごした記憶が曖昧で、感情的なつながりが欠けていることが、この曲の大きなテーマである「喪失感」とつながっているのです。
これは単なる物理的な「別れ」ではなく、存在しながらも深い感情的な距離を感じるという状況を表しているといえます。

また、「ドーナツの穴」のような「空洞」は、自分自身の中に感じる父親との関係性における欠落、すなわちアイデンティティの一部が欠けている感覚を象徴しています。
米津玄師は、自身のアイデンティティの半分が欠けているように感じ、その欠けた部分を父親との関係に結びつけている可能性があります。
この欠落感は、作品を通して描かれる「心の穴」や「虚しさ」と重なり、彼の内面を深く掘り下げるきっかけとなっています。

歌詞の中で「永遠に会えない」というフレーズが繰り返されますが、これも父親との関係が修復不可能であること、あるいは二度と感情的なつながりを得られないという諦めを示しているかもしれません。
この諦めは、喪失感とともに強く歌詞に反映されており、米津玄師の複雑な感情を浮かび上がらせています。

このように、「ドーナツホール」は、米津玄師のアイデンティティと父親との関係を背景に、その心の奥底にある「欠けた部分」を描き出す楽曲と言えるでしょう。