宇多田ヒカル「何色でもない花」とは?23年ぶりの月9主題歌
「何色でもない花」は、宇多田ヒカルが2024年2月にリリースした楽曲で、フジテレビ系月9ドラマ『君が心をくれたから』の主題歌に起用されています。
宇多田ヒカルが月9ドラマの主題歌を担当するのは、2001年の「HERO」以来、実に23年ぶりのことです。
この楽曲は、ドラマのテーマに合わせて書き下ろされたもので、心や自己信頼をテーマにした繊細なラブソングとなっています。
宇多田ヒカルの楽曲は、これまでもその歌詞の深さや、心に訴えかけるメッセージ性が高く評価されてきましたが、「何色でもない花」もその流れを受け継いでいます。
曲の中では、主人公の心情がストレートに表現されており、宇多田自身も「こんなに直接的なラブソングを書くのは久しぶり」と語っています。
彼女の繊細で深い感情を乗せた歌声は、多くのリスナーに共感を与え、またその歌詞には、自己信頼や人間関係に対するメッセージが込められています。
さらに、楽曲の世界観は、ドラマの主人公が直面する困難や葛藤ともリンクしており、ドラマと音楽の融合によって、より一層深みのある作品となっています。
タイトル「何色でもない花」に込められた意味とは
「何色でもない花」というタイトルには、深い意味が込められています。
花といえば、通常はその色が美しさを象徴するものとして捉えられますが、この曲では「何色でもない」とされています。
つまり、特定の色に縛られない、色に依存しない花が象徴するのは、人の心や感情が目に見える形で判断できるものではないということです。
宇多田ヒカルは、この花を「心の象徴」として描いています。
心は目に見えるものではなく、色に例えることもできない曖昧な存在です。
しかし、その曖昧さゆえに、他者との関係においてさまざまな形で作用する重要な要素でもあります。
この花が「何色でもない」というのは、心が固定的なものではなく、時に変わりゆくものであり、無限の可能性を持っていることを示唆しているのかもしれません。
また、この花は、相手が持つ心の色を受け入れることで成立する関係性や、目に見えるものだけに依存しない絆を表しているとも考えられます。
視覚に頼らず、感じ取ることが大切だというメッセージが、タイトルに込められているのではないでしょうか。
「何色でもない花」というタイトルには、ただ一つの色に限定されない多様な感情や、色を超越した心の美しさが象徴されており、その曖昧さが宇多田ヒカルの楽曲に独特の深みを与えています。
歌詞に見る「自己信頼」と「存在しない真実」
宇多田ヒカルの「何色でもない花」の歌詞には、自己信頼とそれに関連する深いメッセージが込められています。
特に、「自分を信じられなきゃ、何も信じらんない」という歌詞は、自己信頼が他者との信頼関係を築くうえで不可欠であることを示唆しています。
このフレーズは、自分自身を信じることができなければ、他者の言葉や行動も真実として受け止めることができないという、宇多田ヒカルの一貫したテーマのひとつです。
また、歌詞には「存在しないに同義」という表現があり、これは確証を持つことができない曖昧なものを真実と呼べないという哲学的な考えを表しています。
目に見えない感情や関係性の不確かさに対する不安を示しつつも、最終的には自分自身の心を信じることの重要性を強調しています。
「存在しない真実」というフレーズは、現実の曖昧さや不確かさに向き合う必要性を象徴しており、その中で自分の価値観や感覚を信じることが、人生において最も重要であるというメッセージが込められています。
宇多田ヒカルの歌詞は、単なる愛情表現にとどまらず、自己と向き合い、自己信頼を築くことが、他者との真のつながりを生むことを示しています。
この歌詞の背景には、宇多田ヒカル自身が公表したノンバイナリーとしてのアイデンティティや、これまでの人生経験から培われた自己理解と自分を信じることの難しさ、そしてその大切さが反映されていると言えるでしょう。
ドラマ「君が心をくれたから」との関連性
「何色でもない花」は、フジテレビの月9ドラマ『君が心をくれたから』の主題歌として書き下ろされた楽曲です。
ドラマのストーリーは、幼少期のトラウマや人間関係の葛藤に苦しむ主人公が、自らの心の傷と向き合いながら、愛と自己信頼を取り戻す過程を描いています。
このストーリーラインと楽曲のテーマは、非常に密接に関連しています。
特に、主人公が五感を失うという設定は、宇多田ヒカルの歌詞に登場する「何色でもない花」の象徴性と呼応しています。
視覚的な色の判断ができないという設定が、視覚や五感に頼らず、感覚や感情を通して心の本質を捉えるというテーマに結びついているのです。
ドラマの中で主人公が経験する感情の揺れ動きや成長は、宇多田の楽曲が表現する「自己信頼」や「心の不確かさ」とも重なり、両者が相互に強化し合う構造になっています。
また、ドラマの物語では、過去のトラウマから抜け出し、他者と真に向き合うために自己を信じることが重要なテーマとなっています。
このテーマは、「自分を信じられなければ、何も信じられない」という歌詞にも反映されています。
ドラマの主人公が自己を信じられるようになる過程と、宇多田ヒカルが描く心の成長は、聴く者や観る者に強く響くメッセージを伝えています。
結果的に、「何色でもない花」は、ドラマの物語が描く人間関係や心の成長を見事に補完し、視聴者に感情的なインパクトを与える重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
宇多田ヒカルが伝えたい「信じることが怖い人へのメッセージ」
「何色でもない花」の歌詞には、信じることに対する恐れを抱いている人々への強いメッセージが込められています。
宇多田ヒカルは、信じることの困難さや痛みを知りつつ、それでも信じ続けることの重要性を訴えています。
特に「自分を信じられなければ、何も信じられない」という歌詞は、自己信頼の大切さを強調しており、他者を信じる前にまず自分を信じることが必要であるというメッセージを投げかけています。
多くの人が経験するように、過去の経験や傷ついた記憶は、誰かを信じることを躊躇させる要因となり得ます。
しかし、宇多田の楽曲は、そうした恐れに対しても「心の中身は誰にも奪えない」と歌い、私たちの心は強く、自分を信じ続けることで他者との本物のつながりが生まれると伝えています。
このメッセージは、信じることが怖い人にとって、心強い励ましとなるでしょう。
また、「何色でもない花」という表現は、特定の色や形に捉われず、目に見えるものだけでなく、感じることの大切さを教えてくれます。
心や感情は目に見えるものではなく、信じること自体も形のない曖昧な行為です。
しかし、その曖昧さを受け入れ、自分自身を信じることができるなら、他者との絆も築けるというメッセージが、この楽曲を通して伝わってきます。
宇多田ヒカルがこの曲を通して届けたいのは、「信じることの怖さ」を理解しながらも、その先にある心の成長や人間関係の深まりへの希望です。
リスナーは、この歌を聴きながら、自分自身を信じる力を見つけ、少しずつでも前進する勇気を得ることができるでしょう。