【小さな頃から/JUDY AND MARY】歌詞の意味を考察、解釈する。

こんにちは。
今回は、JUDY AND MARY(ジュディアンドマリー)の楽曲『小さな頃から』に焦点を当てていきたいと思います。

小さな頃から 叱られた夜は
いつも 聞こえてきてた あの小さなじゅもん

この曲の冒頭部分は本当に感動的ですね。

たった2行だけで心に深く響き、悲しみを感じさせます。

主人公はもはや幼いわけではなく、叱られることも減っているのかもしれません。

そんな状況から振り返る、幼い時の話が今、私たちにどのような感情や意味をもたらすのでしょうか。

夢と現実の崩壊:時間の流れにおける自己の脆弱性

この楽曲では、序盤の二節を通じて「呪文」について深く掘り下げています。

その理由は、序盤でしか話せないテーマだからです。

一度機会を逃すと、もうその話をする機会はなく、一方的に流れていくような感覚があります。

これは、子供から大人へと成長する過程にも似ているのです。

大人になってしまうと、何か特別なこと(例えば、荒井由実の『やさしさに包まれたなら』のような体験)が起こらない限り、子供時代へと戻ることは不可能です。

『小さな頃から』は、幼い日の思い出から物語が始まります。

しかし、思い出には終わりが来ます。

その終わりには、成長した自分が立っています。

この楽曲では、その成長の過程を象徴するように、回想シーンは冒頭部分だけに留められています。

小さな頃から 叱られた夜は
いつも 聞こえてきてた あの小さなじゅもん
静かに流れる 時にいつの日か
あたしは 眠れる森に 連れ去られてた

「じゅもん」を耳にするのは、夜の時間だけです。

「眠れる森」での連れ去りが指すのは、恐らく睡眠の領域を意味しています。

夜、叱られた後に響くじゅもんに慰められながら、その音に耳を傾けている間に気づけば眠りに落ちる小さな女の子の姿が描かれています。

小さな頃から 見えない力で
あたしを強くさせる あの小さなじゅもん
たくさんの傷と 争う夜にも
抱きしめるたびに いつも震えて響く

このじゅもんの顕著な特徴は、「常に」存在することです。

これは叱られた夜に限らず、その女の子が「多くの傷や争いの夜」を経験することを意味します。

挑戦は絶えず続きますが、じゅもんは常に彼女を守り続けます。

このようにじゅもんは、女の子に安心感を与える存在として描かれています。

そして、Bメロでは物語は次のように進展します。

すりきれた 言葉達の かけらさえも もう
どこかへ 消えたわ

ここで言及されている「言葉達」は、間違いなく「じゅもん」を指しています(英語では単語も呪文も「spell」と表現されます)。

幼い時期に主人公を護っていたその力は、今はもう存在しないのです。

そして、さらに

壊れそうなのは 夢だけじゃないの
窓から差し込む光 もう行かなくちゃ…

このような展開は非常に深い意味を含んでいます。

「夢だけが壊れそうなわけではない」と聞かされると、夢以外のものも崩壊の危機に瀕していることを意味します。

夢の対極にあるのは現実(うつつ)です。

従って、このセクションが伝えたいのは、夢だけではなく現実も壊れやすい状態にあるということです。

「夢」は幼い頃の記憶を表し、「現」は現在、成人となった自己を指します。

子ども時代の記憶が脆く崩れ去りつつあるのと同様に、成人した今の自分も同じように崩壊しつつあるのです。

時間と群衆の流れの中で:迷いと困惑を抱えた主人公の物語

初めの部分で、「じゅもん」が平仮名で表記されています。

これに対応する単語が、詩の最後に登場します。

それは「ひとごみ」という言葉です。

ただ 歩く ひとごみにまぎれ
いつも なぜか 泣きたくなる

人混みには常にある種の動きが存在します。

例えば花火大会では、駅から会場への人の動きがあり、その後は会場から駅へ戻る動きが見られます。

通勤電車の場合も、乗車する方向と下車する方向に人々の流れがあります。

このような流れは、曲の前半部分で言及されているキーワードとしても登場します。

静かに流れる 時にいつの日か
あたしは 眠れる森に 連れ去られてた

この曲を通じて、一貫して存在する要素があります。

それは時間の流れです。

時間は冒頭で「じゅもん」の旋律として漂っていましたが、最終的には人々の動きとして、同じように進んでいます。

しかしながら、「ひとごみにまぎれる」という表現は、単に群衆に身を任せているだけでない主人公の状態を示唆します。

それでいて、群衆に対して積極的に反抗する意志も感じられません。

群衆の中で自分を見失い、どこへ向かうべきかわからなくなり、立ち止まる勇気もなく、ただ泣きたい気持ちだけが残る、そんな状況が描かれています。

この人ごみへの感情は、時間への感情とも重なります。

自分の意志とは無関係に流れ去っていく時間に対し、ただ流されるわけにはいかないという思いがありますが、反対することもできません。

時間は勝手に進み、人々は勝手に歩きます。

主人公はその流れに身を任せきれずに困惑しています。

曲の終わりには、そんな困惑を強く感じました。

主人公はただ人混みに紛れて泣いているわけではなく、時間の流れにも巻き込まれ、困惑しているのです。

夜明けの迷い: 時間の流れと成長の狭間で

『小さな頃から』において、Bメロが終わりAメロに戻る部分で、「行かなくちゃ」というフレーズが登場します。

少し眠ったら 朝はまたくるわ
窓から差し込む光 もう行かなくちゃ…

この楽曲は夜が舞台からスタートし、曲が進むにつれて朝が訪れます。

夜から朝への変化を描いた曲には、BUMP OF CHICKENの『オンリーロンリーグローリー』などが例として挙げられます。

こうした曲では、夜の間に経験した暗い感情が朝になると解消し、希望に満ちた明るい展開に変わるストーリーがよく描かれます。

しかし、『小さな頃から』はそう簡単には展開しません。

主要な理由は、主人公が時間の流れに対して継続的に迷いや困惑を感じているためです。

夜が明けて朝になっても、それはまるで子供から大人へと変わる過程のようで、悩みが解消されるわけではありません。

窓から射し込む朝日を受けながら、「もう行かなくちゃ…」と呟く主人公の姿からは、特に明るい未来が見えるわけではありません。

むしろ、大人としての責任を果たす必要性に迫られ、仕方なく行動を起こさなければならない状況にあるように思えます。

この歌詞を読むと、そんな印象を受けました。