【堕天/Creepy Nuts】歌詞(リリック)の意味を考察、解釈する。

Creepy Nuts(クリーピーナッツ)がTVアニメ『よふかしのうた』のために特別に制作したオープニングテーマ『堕天』は、新たな世界への一歩を踏み出し、変化を遂げる主役の感情を映し出した楽曲です。

この歌の歌詞が持つ深い意味について解き明かしていきます。

『堕天』歌詞解釈:禁断の行為から覚醒への旅路

『堕天』は、Creepy Nutsが2022年7月から放送されたアニメ『よふかしのうた』のために特別に作成したオープニングテーマです。

このアニメは、コトヤマの同名の漫画作品を原作としており、不眠症に悩む主人公・コウが夜の町で出会う吸血鬼・七草ナズナとの出会いを通じて展開する、吸血鬼への憧れと恋愛を絡めたユニークなラブコメディです。

『よふかしのうた』は、作品のエンディングテーマとしてもCreepy Nutsの楽曲が選ばれており、オープニングではそのエネルギッシュな音楽性と深い歌詞で注目を集める『堕天』が採用されました。

さらに、フジテレビのドラマ『パリピ孔明』で上白石萌歌が演じるキャラクター・月見英子の歌うシーンにもこの曲が使われ、幅広い層からの関心を引き寄せています。

この曲が込めたメッセージや歌詞の深い意味について掘り下げてみましょう。

あの日林檎の木の下 共犯で
踏み越えてみた境界線
すぐにblack out「あ、お怒りで…」
追い立てられてこんな次元へ
俺とした事が…
俺如きですら…
俺に限っていや、まさかね…
君のせいにした
秘密を手にした
イチジクの葉が右左

『堕天』の初めの部分は、旧約聖書の「創世記」にある「失楽園」のエピソードを思わせる内容が込められています。

この物語は、アダムとイブが悪魔の計略によって神が禁じた果実を食べ、結果として喜びの地であるエデンの園から追放される運命にあることを描いています。

この楽曲の歌詞を通じて、同様の場面がアダムの目線で語られているのが明らかです。

楽園を離れることとなり、その失敗を受け止められずに、誘惑した「君」を責める心情が表現されています。

これは、恋愛が自己の判断を鈍らせることへの言及とも取れます。

また、禁果を食べた後、二人が自らの裸体を恥じて「イチジクの葉」で身を隠したことが示されており、エデンの園を追われた後、目的もなく二人が歩く様子が思い浮かべられます。

あっという間、目が醒める
かと思えば空に落ちて行く
なんというか、やめられぬ
もうひと齧り…again

楽曲『堕天』の名前は、キリスト教伝承における、神に逆らった結果として天から落とされた天使、いわゆる堕天使の概念に由来していると解釈することができます。

この用語をアダムとイブに適用することで、彼らが人間でありながら「堕天」の状態にあるという視点を提供しています。

彼らが禁断の一線を越えた瞬間、まるで深い眠りから覚醒したかのように現実に引き戻される感覚を経験したと歌詞は伝えています。

しかし、その直後には、天から落ちる天使のように、自身が人間の闇へと落ちていく実感があります。

それにも関わらず、「もうひと齧り」というフレーズは、この堕落の感覚に何らかの中毒性があるかのように示唆しています。

『堕天』解析:新生活と自己受容の詩的表現

fallin’ falling
螺旋状に堕ちてゆく摩天楼に
今 fallin’ falling
二人ぼっち気づかない
カーテンコールにも
(yeah yeah yeah yeah yeah)
どこまでも
(yeah yeah yeah yeah yeah)
この身任せて
いつの間に傷が埋まってくyeah…

二人が螺旋を描くようにして深みに落ちていく過程で、終幕を知らせる「カーテンコール」にも気付かないほど、その状況に身を委ねることで、「気づけば傷も癒えてきた」という感覚に包まれます。

エデンの園から放逐されたことによる深い傷にもかかわらず、互いの存在が心の傷を和らげていくような感覚があると言えます。

これは、アニメ『よふかしのうた』において、主人公のコウがナズナと徐々に心を通わせ、精神的、肉体的に癒されていくプロセスを象徴しているように見えます。

そこじゃ何から何までごった煮で
鬼も仏もおんなじ目
全てshut out どうかしてる?
俺らハナから大真面目
ふりほどいて来た
うしろ指ですら
むしろ追い風さ まだ足んねぇ
蛇に睨まれた
歴史の徒花
エデンにはまだ「空室あり」

新たに定住した場所は「ごちゃ混ぜの状態」であり、「悪魔も仏も同じ扱い」を受けることから、善と悪の区分が曖昧であることが想像されます。

主人公は、社会の一般常識から解放され、「真剣そのもので」自らの望む通りに生活を送り始めます。

批判されることさえも、「むしろ後押しになる」と感じ、困難の中でも自身の価値を見出しています。

「徒花」という言葉は、花は咲くものの果実をつけない植物を指し、見た目は魅力的でも実際には価値が伴わないことを意味します。

蛇の姿をした悪魔に見つめられながら、初めての人間として華々しく誕生したが、結局は楽園を追放されて何も成し遂げられなかった自身を「歴史上の徒花」と自嘲します。

しかし、同時にその生きざまを受け入れている様子も見られます。

「エデンにはまだ「空室あり」」という言葉は、自分たちがもはや楽園にはいないという現実を、ホテルの空き部屋に喩えています。

これは、コウとナズナの関係性がまだ完全な恋愛に至っていないことを示唆している可能性があります。

『堕天』歌詞深堀り: 複層的な意味と自己受容の探求

あっという間 染められる
かと思えば熱が醒めていく
ちょっと待ってその前に
もうひと雫… again

悪への染まりは瞬く間に起こり、その熱情が冷めるのも同じく速やかです。

それでもなお、禁断の果実の甘い蜜を追い続けるかのように、魅惑的な悪の世界から抜け出せないのです。

この部分をアニメの物語と重ね合わせてみると、恋愛と血液という二重の意味合いを持たせているとも解釈できます。

この血が冷めないうちに飲み干して
眩暈するほど気取って
取り留めない出会いに色付けて
この目が醒めないうちに憑り込んで
狭い空ごと突き抜けてfalling…
蜜の味二人ハマってくyeah

悪への染まりやすさとその魅力から抜け出すのが一瞬であるかのような体験を歌詞では描いていますが、同時に禁じられた果実の甘さを引き続き望む心情も表しています。

この部分をアニメの物語と比較すると、恋愛と血に関する二重の意味合いがあると見て取れます。

また、「血」は文字どおりの血と同時に、内に秘めた感情を指すメタファーとしても解釈できます。

吸血鬼の行為を通じて感情が高まる瞬間を自己認識し、現在の自分を受け入れる姿勢が感じられます。

「偶発的な出会い」も、視点を変えれば価値ある色彩豊かな経験に変わり得ることを示唆しています。

そのため、自己の感情を深く理解し、それを自然な部分として受け入れようとする意志が伺えます。

歌詞を全体的に見ると、アダムとイブ、そしてアニメ『よふかしのうた』のコウとナズナの物語をCreepy Nutsのメンバーと彼らの音楽との関係性に重ね合わせているように思われます。

彼らも社会からの厳しい目を受けながらも、HIP-HOPというジャンルに情熱を感じ、音楽界での地位を築き上げました。

主流とは異なる道を選んだ彼らの姿勢は、「狭い空を突破する」努力に喩えられます。

それにも関わらず、音楽への深い愛情を持つ二人は、自分たちの信じる道を突き進む決意を新たにしています。

このような彼らの姿勢は、アニメ『よふかしのうた』の物語と相通じる部分があり、自己の信念を貫く重要性を物語っています。

『堕天』: 暗闇を彩る愛の讃歌とCreepy Nutsの言葉遊び

Creepy Nutsの楽曲『堕天』は、暗い世界へと魅了された人たちの異なる種類の愛情を描出するラブソングとして位置づけられます。

歌詞には直接「堕天」という言葉は現れませんが、タイトルを思わせるような韻を踏んだ言葉が巧みに散りばめられており、その技巧には感服させられます。

恋愛と音楽に内在する情熱を、選び抜かれた言葉とメロディーによって表現しているこの曲は、アニメとのつながりを意識しながら楽しむのがおすすめです。