米津玄師が手がけた『まちがいさがし』は、ドラマ「パーフェクトワールド」で注目を集めました。
この曲は外見や内面、現状の自分に自己肯定感を見いだせない人々に寄り添うような温かいメッセージを届けています。
『まちがいさがし』というタイトル
「まちがいさがし」は、通常は2つの絵を比較して誤りを見つける遊びとして知られています。
しかし、この楽曲の中身は、誤りを見つけることに焦点を当てていません。
むしろ、歌詞は「そもそも間違いを見つけるとはどういうことなのか?」という根本的な疑問を探求しています。
この疑問に対する答えを理解するために、重要な登場人物である「僕」と「君」にも注目しながら、なぜこの曲が『まちがいさがし』というタイトルになったのかを追求していきましょう。
「君」に対する好意的な感情
まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う
「自分のことが好きか?」という問いに対して、自信を持って「好き」と言える人は稀だと考えられます。
外見や内面において、不自由や好きになれない部分、または他の人と比べて独自であると感じる箇所を「間違い」として描写しています。
しかしこれは本当に誤りなのでしょうか?
歌詞では明確に「間違いじゃない」とは述べていませんが、歌詞からの考察で、「正解の方ではなくても、今の自分でいい」という自己肯定感が芽生えていることがうかがえます。
劣等感を抱えながら歩んできた人生も、些細なできごとや人間関係の出会いによって、意外な展開を迎えることがあります。
君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ
その日から何もかも 変わり果てた気がした
風に飛ばされそうな 深い春の隅で
退屈なくらいに何気なく傍にいて
歌詞の中の主人公である「僕」は「君」との出会いによって変化しました。
そして、「君」は「僕」にとって不可欠で大切な存在であることが歌詞から明らかです。
「退屈なくらいに何気なく傍にいて」という表現は、飽きるほど一緒にいたいという感情を表し、長い時間を共に過ごすことが当たり前になるような願望が「君」に対する好意的な感情を示しています。
人生を共有していきたいという想い
最初は強い劣等感を抱き、自己肯定感が低かった「僕」は、自分が他の人々とは異なる「まちがいさがし」の中で、自虐的な感情を抱いていました。
間違いだらけの 些細な隙間で
くだらない話を くたばるまで
正しくありたい あれない 寂しさが
何を育んだでしょう一つずつ 探し当てていこう
起きがけの 子供みたいに
「僕」独自の「まちがいさがし」が「君」との関係に変わりました。
一緒に過ごす時間には楽しさがある一方で、時には衝突やすれ違いもあります。
しかし、困難や課題を共に乗り越える中で絆は深まります。
「一つずつ」探すものは、出会ってからの様々な出来事を指しているでしょう。
嬉しいことも楽しいことも、嫌なことも悲しいことも、これらの出来事は2人が出会わなければ経験できなかったものであり、それが全て大切でかけがえのないものなのです。
将来も一緒にさまざまな経験をし、人生を共有していきたいという想いが「探し当てていこう」という歌詞で表現されています。