【デイドリームビリーバー/ザ・タイマーズ】歌詞の意味を考察、解釈する。

1988年に飛び入りでデビューした伝説のバンド『ザ・タイマーズ』は、忌野清志郎に似た「ZERRY」というリーダーを擁していました。
このバンドは、沢田研二を中心とした『ザ・タイガース』のパロディとして現れました。
メンバー全員が土木作業用のヘルメットを被り、社会に対する鋭いメッセージを放っていました。
彼らは激しいが、どこか悲痛な叫びを非論理的な現実世界に投げかけていました。
手ぬぐいで鼻から下半分を覆ったその外見は、新左翼活動家が行う学生運動の風刺とも見なされました。

社会的なメッセージを伝える存在

「ZERRY」として知られるタイマーズのボーカルは、実は忌野清志郎であり、彼はバンドの楽曲に自らが感じる社会の葛藤や矛盾を込めています。
このバンドは社会的なメッセージを伝える存在として知られていますが、中には「デイドリームビリーバー」という曲を聴いたことがある人もいるかもしれません。

1989年にはエースコックのスーパーカップのCMで、2006年にはサントリーのモルツのCM、更に2011年にはセブンイレブンのCMに採用されたこともあります。
「ずっと夢を見て〜♪」というフレーズとともに、CMソングとして認識されている方もいらっしゃるでしょう。

亡き母へ捧げたもの

この曲の起源は、1967年に『The Beatles』に対抗すべく結成された『The Monkees』の5枚目のシングル曲「Daydream Believer」にあります。
『ザ・タイマーズ』が日本語の歌詞を加え、1989年にシングルとしてリリースされました。
実は、「デイドリームビリーバー」はZERRYこと忌野清志郎が亡き母へ捧げた歌なんです。
彼の実の母親は彼が3歳のときに亡くなりました。
その後、継母がずっと面倒を見てくれたのですが、彼女も1986年に他界しました。
その時、忌野清志郎は初めて、実の両親が生みの親ではないことを知ったのです。
歌詞を掘り下げていけば、この曲が彼が亡き母へ捧げたものだと理解できます。

夢から現実への目覚め

もう今は彼女は どこにもいない
朝早く 目覚ましがなっても
そういつも彼女とくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり

この文脈では、「彼女」とは亡き母親を指しています。
「もう今は彼女(母親)はどこにもいない」というのは、彼が母親を失ったことを指しています。
また、「目覚まし」という表現は夢から現実への目覚めを象徴しています。
目覚まし時計の音が鳴り響こうとする時、母親が見当たらない理由は、実際には彼の目がすでに覚醒しており(=現実を受け入れている)、彼女を見つけることができないからです。

長い間白昼夢を見続けてきた

ずっと夢を見て安心してた
僕はデイドリームビリーバー
そんで彼女はクイーン

私は「デイドリームビリーバー」、忌野清志郎が長い間白昼夢を見続けてきたことを指しています。
先述の「彼女とくらしてきたよ」という歌詞は、彼の白昼夢、つまり現実とは異なる空想のことを表しています。
ここでは「それで彼女はクイーン」という部分ではなく、「そんで彼女はクイーン」としています。
元の歌詞のこの部分は「and a」であり、音を似せるために「そんで」という言葉が使われたと推測されます。

実母の死を乗り越えるための決意

でもそれは 遠い遠い思い出 
日がくれて テーブルにすわっても
ah 今は彼女 写真の中で 
やさしい目で僕に微笑む

「遠い遠い思い出」とは、3歳の時に母親が亡くなり、それから何十年も経っているということ。
忌野清志郎にとっては、過去の出来事です。
彼はケンカしたり仲直りしたりして暮らしてきたはずの母親が、「写真の中でやさしい目で微笑んでいる」と歌っています。
つまり、ここで彼が既に現実を受け入れていることを表現しています(=母親が亡くなった事実を知っている)。
写真の中で時が進まない状態で「僕に微笑む」というのは、亡き母が時間の制約のない天国から彼を見守っていると解釈できます。
デイドリームビリーバーは穏やかな曲調ですが、忌野清志郎は亡き母を思いやる明るい気持ちを込めるために、開放感のある楽曲を選んだのかもしれません。
しかし、歌詞の意味を知ると、その明るい雰囲気が逆に悲しみをもたらすことに気づきます。
このデイドリームビリーバーは、実母の死を乗り越えるための忌野清志郎の決意が込められた一曲だったのかもしれません。